労働者自主管理(読み)ろうどうしゃじしゅかんり(英語表記)workers' self-management 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「労働者自主管理」の意味・わかりやすい解説

労働者自主管理
ろうどうしゃじしゅかんり
workers' self-management 英語
radničko samoupravljanje セルビア・クロアチア・ボスニア語

労働自主管理原義は、勤労者たちが会社(オフィス、商店、工場など)で働く際に他者によって管理されるのではなく、権利として自分たちで自分たち自身を管理し、その結果責任を当然に負うこと。民主主義思想が政治の領域から経済や産業の領域に進出して生まれた社会思想である。この管理する他者が資本の私的所有者とその代理人であるような経済社会を資本主義といい、資本の国家的所有の人格的表現者としての国家官僚であるような経済社会を国権的社会主義(ソ連型社会主義)という。

 思想は実践を通して社会を把握する。旧ユーゴスラビアにおいて企業の労働者自主管理をシステムの基軸とする自主管理社会主義が1950年から1990年まで40年間にわたって全社会的に実験された。それは、(1)生産手段など資本の社会的所有(私有でも国有でもない)、(2)会社における自主管理的経営(従業員から選挙される労働者評議会、会社の合併や分割など基本問題に関する全員投票制、社長選挙制など)、(3)経営成果の自主管理的分配(投資基金と共同消費基金と個人所得基金への分配、個人所得基金の従業員個々人への分配)、(4)消費者と会社、会社と会社の取引の場として、協議的計画化にサポートされる市場メカニズムの採用、を基本的特性とする。

 旧ユーゴスラビアにおいて、このシステムは、1950年6月27日、「労働集団による国家経済企業と上級経済連合の管理に関する基本法」、いわゆる労働者自主管理法に始まり、53年憲法的法律、63年憲法を経て、74年憲法、76年連合労働法でその理念的・法制度的展開における頂点に達した。たとえば、「会社」や「企業」という用語は、歴史的に諸私有財産や諸国有財産の結合のみを表現しているとして拒否され、さまざまな労働の協業・分業の組織を表現する「連合労働組織」に置き換えられた。一種の労働者自主管理原理主義とでもいうべき社会現象である。このような労働者自主管理の実践は、ソ連型社会主義諸国における改革運動や反体制運動に、たとえば、1968年チェコスロバキアの「プラハの春」や1980年ポーランド独立自主管理労組「連帯」の運動に大きな影響を与えた。ところが、その後1980年代の経済停滞(1952年から1979年まで社会的生産物の年平均成長率は6.8%、1979年から1988年まで0%)のなかで、1988年憲法修正を経て、1989年に企業法など連合労働法を否定する形で行きすぎの是正が企てられた。

 しかしながら、時すでに遅く、1990年、ロシア・東欧のソ連型社会主義と同時に旧ユーゴスラビアにおける労働者自主管理の社会主義体制もまた崩壊する。その根本原因は、(1)経済活動や公共サービスの種類・性質を問わず、一律に平板的に労働者自主管理を実行した組織論、(2)ブルーカラー(肉体労働)をホワイトカラー(精神労働)より優位におく原始的社会主義のイデオロギー、(3)集団的意思決定の過剰と個人的意思決定の過少、(4)集団的意思決定の補完としての過剰な規範主義、(5)自主管理思想が原理主義化し国家官僚制の理論的承認ができなかった結果としての、責任感ある国家官僚制の創出失敗、(6)市場メカニズムと協議システムの不整合、にあると思われるが、さらに究極の原因は、ユーゴスラビア共産主義者同盟の一党支配体制にある。共産主義者同盟という社会に超然するマルクス・レーニン主義的権力主体が労働者自主管理を要(かなめ)とする諸制度をデザインして、社会の外から社会のなかへ押し入れる形で、すなわち党社会主義として自主管理社会主義は誕生した。ここに労働者自主管理のデザイン主義的な非自主的・非自生的な成立という矛盾と無理が認められる。

 マルクス・レーニン主義的党社会主義の労働者自主管理は、40年の実験の結果、失敗が確認された。しかし、その歴史のなかに学ぶべき貴重な経験も多くある。資本主義的自由企業システムの枠組みを桎梏(しっこく)と感じる勤労者たちの知的・道徳的生長と自主的努力の結果として、資本主義社会の内部から自生する労働者自主管理の可能性は、党社会主義の失敗で否定されはしない。逆である。その失敗に経験的に学ぶことで、自生的な労働者自主管理の展望にリアリティが増すであろう。

[岩田昌征]

『岩田昌征著『労働者自主管理』(1974・紀伊國屋書店)』『岩田昌征著『現代社会主義の新地平』(1983・日本評論社)』『岩田昌征著『凡人たちの社会主義――ユーゴスラヴィア・ポーランド・自主管理』(1985・筑摩書房)』『岩田昌征著『現代社会主義・形成と崩壊の論理』第2版(1993・日本評論社)』『岩田昌征著『ユーゴスラビア:衝突する歴史と抗争する文明』(1994・NTT出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「労働者自主管理」の意味・わかりやすい解説

労働者自主管理
ろうどうしゃじしゅかんり

労働者自身が企業を管理,経営すること。旧ユーゴスラビアが 1950年以降発達させてきた制度が代表的なもので,同国では労働者の代表機関である生産 (労働) 者評議会が企業運営の最高機関であり,国有国営のソ連型企業と大きく違っていた。労働者による企業管理は,1871年のパリ・コミューンに現れたあと,ロシア革命後の工場委員会,イタリアの工場評議会など多様な発展を示し,1956年にポーランド,ハンガリー,68年にチェコスロバキアで一時的実験が試みられたほか,アルジェリアなどで導入され,またフランス社会党などによって主張されている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の労働者自主管理の言及

【計画経済】より

…しかしなんといっても社会主義計画経済に質的に異なる新しい観点を持ち込んだのはユーゴであろう。そこでは労働者自主管理(労働者管理)・住民自治に基づいて社会主義像が構築され,その一環として社会計画が位置づけられた。自主管理計画化と呼ばれるユーゴの計画化は,伝統的な意味での計画化と呼べるか否かまで含めて,社会主義における計画化の可能性に再考を迫る点で大きな意義を有していた。…

【社会主義】より

…第2次大戦後,歴史や経済的諸条件がソ連とは著しく異なる東ヨーロッパ諸国や中国その他の国が社会主義の道を選んだとき,原型として採用されたのは,30年代にソ連で成立したこのモデルであった。労働者自主管理と市場経済を結びつけた1950年以降のユーゴスラビアの路線,挫折したチェコスロバキアの〈プラハの春〉(1968)当時の改革構想,同じく挫折したポーランドの〈連帯〉の闘争期に提起されていた改革構想は,いずれもこの基本モデルからの離脱ないし,離脱の試みであったということができる。他方,その他のソ連・東欧諸国では,60年代半ばの経済改革以来,漸進的な変化は進んではいるものの,ハンガリーを除いて,このモデルからの原理的脱却はなおおこなわれていない。…

【労働者管理】より

…職場,企業,産業さらには国民経済に至る各レベルでの管理・運営のあり方について,労働者が労働組合などを通して主体的に決定しその執行をみずから担うことを追求する思想と運動の総称であり,労働者自主管理workers’ self‐management,または単に自主管理ともいう。広義には,資本主義のもとで職場・企業における資本家の経営権限を侵食し,労働者による自主決定=自治の領域を拡充していく営みと,公有化された経済体制のもとで労働者が管理主体として各レベルの運営を担う営みの双方をさすが,狭義には前者を労働者統制とし,後者を労働者管理として峻別する。…

※「労働者自主管理」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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