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カンプハウゼン カンプハウゼン Camphausen, Ludolf

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カンプハウゼン
カンプハウゼン
Camphausen, Ludolf

[生]1803.1.10. ヒュンスホーフェン
[没]1890.12.3. ケルン
ドイツの政治家。自由主義的な商業・金融資本家として,プロシアの政界に進出。 1848年の三月革命とともにプロシア首相に任命された。

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カンプハウゼン
カンプハウゼン
Camphausen, Otto von

[生]1812.10.21. ヒュンスホーフェン
[没]1896.5.18. ベルリン
ドイツの政治家。 L.カンプハウゼンの弟。穏健自由主義者としてプロシアの政界で活躍。 1869年蔵相,73年には副首相をも兼ね,財政の改善に貢献したが,自由貿易の主張などで首相ビスマルクと対立,78年に辞職した。

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百科事典マイペディアの解説

カンプハウゼン

プロイセンの政治家。自由主義者で三月革命に際し短期間プロイセン首相。次いでフランクフルト臨時中央政府にプロイセン代表として派遣されたが,フランクフルトとベルリンの関係を調整できず,国王にドイツ帝冠を受理させえなかった。

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世界大百科事典 第2版の解説

カンプハウゼン【Gottfried Ludolf Camphausen】

1803‐90
1848年三月革命前のドイツにおける,自由主義的ブルジョアジーの代表者。ケルンの銀行家。1843年からライン州議会,47年にはプロイセン連合州議会議員となり,革命後,プロイセン〈三月内閣〉の首相(3~6月)。しかしこの内閣は,国王ら旧勢力との妥協に終始し,革命の〈挫折〉への道を開くこととなった。革命後は政治から退き,実業家,航海天文学研究家として生きた。【川越 修】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カンプハウゼン
かんぷはうぜん
Ludolf Camphausen
(1803―1890)

プロイセンの実業家、政治家。1841年にライン汽船会社を創設、1839~1847年ケルン商業会議所会頭を歴任した。また1843年以来ライン州議会議員となり、1847年プロイセン連合州議会で自由主義の領袖(りょうしゅう)として政府批判の論陣を張った。1848年、三月革命の勃発(ぼっぱつ)直後プロイセン首相となり、立憲政体への漸進的移行に努力したが道なかばで辞職。同年7月以降フランクフルトの臨時中央政府のもとでプロイセン全権として、プロイセン国王のドイツ皇帝への推挙と小ドイツ的統一を提唱した。1849~1851年にはプロイセン上院議員。1871年のドイツ統一以後は政界を引退した。[末川 清]

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