キップリング(読み)きっぷりんぐ(英語表記)Joseph Rudyard Kipling

デジタル大辞泉 「キップリング」の意味・読み・例文・類語

キップリング(Joseph Rudyard Kipling)

[1865~1936]英国の小説家・詩人。ボンベイ(ムンバイ)の生まれ。インドを舞台とする作品で知られる。1907年、ノーベル文学賞受賞。小説「ジャングルブック」、詩集七つの海」など。

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精選版 日本国語大辞典 「キップリング」の意味・読み・例文・類語

キップリング

  1. ( Joseph Rudyard Kipling ジョゼフ=ラドヤード━ )[ 異表記 ] キプリング イギリスの小説家・詩人。ムンバイ(旧ボンベイ)の生まれ。おもにインドの生活や雰囲気に取材し、当時のイギリスの国策に添った作品で愛国詩人としての名声を得た。一九〇七年、ノーベル文学賞受賞。小説「ジャングル・ブック」、詩集「七つの海」など。(一八六五‐一九三六

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改訂新版 世界大百科事典 「キップリング」の意味・わかりやすい解説

キップリング
Rudyard Kipling
生没年:1865-1936

イギリスの小説家,詩人。インドのボンベイに生まれ,インド人の乳母に育てられた。6歳で帰英し教育をうけたが大学へは進まず,1882年渡印してジャーナリズムに入った。88年,愉快な3人の兵卒が活躍する《三兵士》,在印イギリス軍人や文官の生活,土地怪談迷信,アヘン窟などに題材をとった《高原平話》の2冊の短編集を出し,これらが彼の出世作となった。92年アメリカ婦人と結婚し,一時アメリカに移り住んだが,その間,インド在住軍人の生活を歌い上げ一世を風靡した詩集《兵営の歌》(1892),狼に育てられた少年マウグリの物語で日本でも有名な《ジャングル・ブック》(1894),《続ジャングル・ブック》(1895)を出版しますます文名を高めた。96年に帰国,詩集《七つの海》を出版,99年のボーア戦争では強硬論を唱えた。1901年の,ラマ僧と旅行する孤児キムを主人公とした小説《キム》でインドの各方面の生活を生き生きと描き出し,この後も数多くの作品を発表した。彼の作品には大英帝国主義的な傾向,ひたすら法の側に立とうとする態度がみられるが,第1次大戦後はこの点が知識階級の反発を買うようになった。しかし児童文学者としての才能,特に動物への優れた共感は今でも少年たちに非常な魅力をもっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キップリング」の意味・わかりやすい解説

キップリング
Kipling, (Joseph) Rudyard

[生]1865.12.30. ボンベイ
[没]1936.1.18. ロンドン
イギリスの小説家,詩人。インドで生れイギリス本土で教育を受けたあと,インドに戻り,ジャーナリズムに身を投じ,インド,海洋,ジャングル,軍隊などを題材とする短編小説によって名をあげた。初期の『高原平話』 Plain Tales from the Hills (1888) はその一つ。 1889年本国に帰る。狼に育てられ,種々の野獣と交わりながらジャングルの掟を学ぶ少年モーグリの物語『ジャングル・ブック』 The Jungle Book (94) や,ラマ僧に従って放浪するうち軍隊に拾われ,密偵となって活躍する少年の物語『キム』 Kim (1901) などは,少年読物として世界的に名を知られている。兵士や水夫の生活を歌った彼の詩作は,当時きわめて人気があり,92年出版の『兵営の歌』 Barrack-Room Balladsの売行きは,かつてのバイロンをもしのぐといわれ,同年の桂冠詩人テニソン死去の際も,大衆の声は一致して後任にキップリングを推したといわれる。その後も多くの物語を書いて人気を維持したが,それを支えるものは,インドの風物の異国情緒と当時の帝国主義的な思潮であった。そして彼が第1次世界大戦以後忘れられるようになったのも,また時代思潮の変化によるものといえよう。 1907年ノーベル文学賞受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キップリング」の意味・わかりやすい解説

キップリング
きっぷりんぐ
Joseph Rudyard Kipling
(1865―1936)

イギリスの小説家、詩人。インドのボンベイ(現、ムンバイ)生まれ。イギリス本国で教育を受け、1882年以降インドで新聞記者として活動、かたわら詩集や、『高原平話』(1888)などインド在住のイギリス人を扱った7冊の短編集を出版した。日本、中国、アメリカ、アフリカなどに旅行し、1889年イギリスに落ち着いた。インド駐屯の愛国的イギリス兵を兵隊ことばで歌った詩集『兵営の歌』(1892)、オオカミに育てられる少年や動物を主人公にした児童文学『ジャングル・ブック』(1集・1894、2集・1895)、ラマ僧とインドを旅する少年探偵を描いた小説『キム』(1901)などを発表し好評を博した。いずれも当時の大英帝国の政策にマッチした作品であるが、異国的な、たくましい行動の世界を平易な文体で描いて、内面分析にはまり込んだ大陸文学に新風を吹き込んだ。1907年ノーベル文学賞受賞。

[安達美代子]

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百科事典マイペディア 「キップリング」の意味・わかりやすい解説

キップリング

英国の小説家,詩人。インドに生まれたが6歳で帰英。青年期にジャーナリストとしてインドで活躍後,各国を旅行,在インドの軍隊や土地の物語,密林や海洋を題材とした勇壮な小説や詩を発表,《兵営バラッド》や《ジャングル・ブック》,《キム》(1901年)などで人気を博した。短編小説の名手。1907年ノーベル文学賞。
→関連項目パイク

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旺文社世界史事典 三訂版 「キップリング」の解説

キップリング
Rudyard Kipling

1865〜1936
イギリスの小説家・詩人
生地インドを舞台にした清新な作風と,イギリスのインド支配を美化した多くの作品を残した。童話『ジャングル−ブック』,小説『キム』,詩集『兵営の歌』『七つの海』などが有名。1907年ノーベル文学賞を受賞。

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世界大百科事典(旧版)内のキップリングの言及

【児童文学】より

…少年小説もまたT.ヒューズの《トム・ブラウンの学校生活》(1857),R.バランタインの《サンゴ島》(1857),ウィーダOuidaの《フランダースの犬》(1872),シューエルA.Sewellの《黒馬物語》(1877)のあとをうけて,R.L.スティーブンソンの《宝島》(1883)で完成した。架空世界を取り扱った物語は,J.インジェローの《妖精モプサ》(1869),G.マクドナルドの《北風のうしろの国》(1871),R.キップリングの《ジャングル・ブック》(1894),E.ネズビットの《砂の妖精》(1902),K.グレアムの《たのしい川べ》(1908),J.M.バリーの《ピーター・パンとウェンディ(ピーター・パン)》(1911),W.デ・ラ・メアの《3びきのサル王子たち》(1910)にうけつがれ,ファージョンE.Farjeon《リンゴ畑のマーティン・ピピン》(1921)は空想と現実の美しい織物を織り上げた。さらにA.A.ミルンの《クマのプーさん》(1926)が新領域をひらき,J.R.R.トールキンの《ホビットの冒険》(1937),《指輪物語》(1954‐55)は妖精物語を大成する。…

【ジャングル・ブック】より

…イギリスの詩人R.キップリングの物語集。1894年出版。…

※「キップリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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