パイク(読み)ぱいく(英語表記)Kenneth Lee Pike

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パイク」の意味・わかりやすい解説

パイク(Kenneth Lee Pike)
ぱいく
Kenneth Lee Pike
(1912―2000)

アメリカの言語学者。1933年ゴードン・カレッジで神学士、1942年ミシガン大学で言語学博士の学位を取得、1955~1979年ミシガン大学で言語学教授を務めた。

 パイクは、中南米、アジア、アフリカ各地の、文字をもたない言語を使用する人々へのキリスト教布教を目的とする「ウィクリフ聖書翻訳協会」の活動に古くから貢献し、豊富な現地調査の経験を通して、タグミーミックスtagmemicsとよばれる独自の言語理論を築き上げた。すなわち、言語を人間の他の活動(思考、スポーツ、儀式行動など)と同一の基本的構造をもつものとみなし、言語を含む人間の諸活動は、共通の基本的方法論・術語によって分析されるべきであるとする。1943年には音声記号についての考案Phonetics』を刊行。主著は『Language in relation to a unified theory of the structure of human behavior』(「人間の行動構造に関する統一的理論との関連における言語」1967年第2版、邦訳未刊)。またタグミーミックスを理論と実践両面にわたって平易に説いた書として、妻イーブリンEvelyn Griset Pike(1915―2016)との共著Text and Tagmeme』(「テクストとタグミーム」1983年、邦訳未刊)がある。

[今井邦彦 2018年7月20日]

『ケネス・L・パイク著、谷口伊兵衛訳『英語学の基本概念――タグミーミックス入門』(1997・而立書房)』『ケネス・パイク他著、片田房編訳『文化の文法――40の行動原理』(2000・彩流社)』『Language in Relation to a Unified Theory of the Structure of Human Behavior(1967, Mouton)』『Text and Tagmeme(1983, F Pinter)』


パイク(淡水魚)
ぱいく
pike

硬骨魚綱サケ目カワカマス科に含まれる淡水魚と、そのなかの1種の英名。この名称は、頭部形状がパイクpike(とがった槍の穂先)に似ていることに由来する。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パイク」の意味・わかりやすい解説

パイク
Paik,Nam Jun

[生]1932.7.20. 朝鮮,ソウル
[没]2006.1.29. アメリカ合衆国フロリダ,マイアミ
朝鮮 (大韓民国) 生まれのアメリカの現代美術家。漢字表記は白南準。 1950年に一家で日本へ移住。 1956年東京大学美学美術史学科を卒業後,ドイツのミュンヘン大学,フライブルク高等音楽院で学び,ジョン・ケージとの出会いにより前衛音楽活動を行なう。 1960年代初頭に前衛芸術家集団「フルクサス」に参加,1964年渡米。ニューヨークを拠点に本格的にビデオ作品を手がけ,多数のモニターを並べる『ビデオ・ガーデン』などビデオ・インスタレーションを開拓し,テレビの映像を電磁石によってゆがめた「ビデオ・シンセサイザー」の制作や通信衛星により『グッド・モーニング・ミスター・オーウェル』 (1984) を世界各国に同時中継するイベントなどさまざまな試みを展開し,ビデオ・アートの先駆者として国際的に活躍した。ケルン芸術協会,ニューヨーク近代美術館 (MOMA) ,ヘイワード美術館,ポンピドー・センターなど世界各国の美術館で個展を開催。 1987年ベルリン芸術アカデミー会員。

パイク
Pike, Kenneth (Lee)

[生]1912.6.9. コネティカット,ウッドストック
[没]2000.12.31. テキサス,ダラス
アメリカの言語学者,宣教師。ミシガン大学教授。メキシコ,南米諸国,フィリピンなどで先住民の言語を多数調査し,それに基づく音声学,音韻論の著作が多い。さらに,タグミーミックスの創始者として知られる。主著『人間行動の構造についての統一理論との関連における言語』 Language in Relation to a Unified Theory of the Structure of Human Behavior (1954~55) 。

パイク
Puyck, Nicholaes

[生]?
[没]1664. ルーフェハーフェン
オランダ最初の遣日特使の一人。東洋派遣船隊司令官マテリーフの義弟。オランダ東インド会社に入り,1607年『フリフーン』号の上級商務員として東インドに来て,09年『ローデ・レーウ・メット・パイレン』号の上級商務員 A.ファン・デン・ブルックとともに来日,駿府で徳川家康に謁見してその答書と通商許可の朱印状を得て日蘭貿易を開いた。帰国後ロッテルダムの市長,西インド会社理事 (1625~38) を歴任した。

パイク
Pike, Zebulon Montgomery

[生]1779.1.5. ニュージャージー,ランバートン
[没]1813.4.27. オンタリオ,ヨーク
アメリカの軍人,探検家。 1805年ミシシッピ川の水源を求めて探検,さらに 06年アーカンソー川,レッド川の上流地方にかけて南西部を探検,ニューメキシコ北部の高原地帯に達したが,そこでスペインの官憲に捕えられ,翌年ようやく釈放された。 12年アメリカ=イギリス戦争に従軍,戦死。

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