中部・東部太平洋にまたがって散在する群島国家。東西南北すべての四半球に国土が存在する世界唯一の国である。正称キリバス共和国Republic of Kiribati。1979年7月12日にイギリスから独立。人口8万3000(1997年推計)、9万8045(2009年、世界銀行)。人口の9割が首都バイリキのあるタラワ環礁を中心にしたギルバート諸島に居住している。
[小林 泉]
ギルバート諸島、フェニックス諸島、ライン諸島の三つの島嶼(とうしょ)グループで構成される。西端のバナバ(オーシャン)島だけが海抜80メートルを超す隆起サンゴ礁島で、その他は標高数メートル以下の環礁島ばかりである。そのバナバ島から東端のクリスマス島までは3870キロメートルもあるため排他的経済水域は355万平方キロメートルにもなって、その広さは太平洋島嶼諸国第1位を誇る。だが、陸地面積は730平方キロメートルで、日本の対馬(つしま)程度しかない。東半球に位置するクリスマス島はハワイと同経度のため、かつては同一国内で日付が異なっていたが、議会は1995年に領土線に沿って日付変更線を東に迂回(うかい)させる決定を下して国内同一日付とした。
近年の考古学・言語学の研究によると、紀元前2000年ごろに西方のカロリン諸島からミクロネシア人がカヌーに乗ってギルバート諸島へと移動してきたと推定される。それによって、カヌー建造技術や航海術などの伝統が引き継がれミクロネシア海洋文化が栄えたが、東方からのポリネシア文化の影響も少なからず流入している。一方、陸地では平坦なサンゴ礁島ゆえに自然資源に乏しく、ココヤシの実、タロ、ヤム、パンノキの実などを食料とする自給的な村落共同体社会を形成していた。ところが、18世紀ごろから本格化する西洋人との接触によってキリスト教や貨幣経済の導入が進むと、しだいに伝統的生活様式が崩れていった。
[小林 泉]
1788年にイギリス海軍大佐トーマス・ギルバートThomas Gilbertが上陸したことに始まり、1892年に英国の保護領、そして1916年には隣接するエリス諸島(現、ツバル)とともにギルバート・エリス諸島としてイギリス植民地となった。その後、イギリスはフェニックス諸島、ライン諸島も植民地に編入。1941年に太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)すると、日本軍はマキン(現、ブタリタリ)、タラワを占領したが、1943年にアメリカ軍の攻撃にあい全滅した。
終戦後、ふたたび植民地宗主国に復帰したイギリスは1956年から1958年にかけて、さらにアメリカが1962年に、無人であったクリスマス島で核実験を実施した。1979年7月に、同一植民地でありながらポリネシア人の諸島であるエリス諸島を切り離して独立した。キリバスという国名は、ギルバートの現地語発音である。エリス諸島は1978年1月、独立してツバルとなった。
[小林 泉]
独立後もイギリス連邦に所属することとしたが、採用した政体は大統領を国家元首とする共和制である。ただし、議院内閣制との混合型ともいえるもので、国会議員のなかから3~4名の候補者を選出して、国民投票で大統領を決める。議員定数は選挙で選ばれた議員44名に司法長官とランビ島議会代表が加わり総計46名で、大統領、議員ともに任期は4年。大統領、副大統領を含め最大限12名の大臣により内閣が構成されており、そのほか全国6地区に地方行政官が配置されている。初代大統領となったのは、当時29歳であったイレミア・タバイIeremia Tabai(1950― )。3期12年(1979~1990)を務めたのち、憲法にある4選禁止規定に基づいてその座を退いた。国内政争がそれほど激しい国柄ではないが、二代目以降で3期を全うした大統領はいない。2012年3月時点での大統領はアノテ・トンAnote Tong(1952― 、在任2003~ )で3期目。
イギリス連邦加盟国としてオーストラリア、ニュージーランドとの関係が深く、太平洋諸島フォーラム(PIF)のメンバー国として周辺島嶼諸国との友好関係維持・強化に努めている。また、2003年11月には、それまで国交関係にあった中国と断交して台湾との外交関係を樹立するなど、経済協力や近年の地球環境問題への関心から、積極的に国際社会へ独自のアピール活動を続けている。1999年には国連加盟を果たした。
[小林 泉]
本来の島々の暮らしは、いも類、パンノキの実などの自生植物と魚貝類の自給自足による非貨幣経済下にあったが、植民地行政が始まった後には若干の賃金生活者が出現した。1900年にイギリスは、隆起サンゴ礁島であるバナバ島が燐(りん)鉱石に覆われていることを発見。それ以来採掘を続けたため、独立時の1979年には資源が枯渇した。しかし植民地政府は、1968年から燐鉱石の輸出利益を基金化して独立後の政府財源の確保に備えた。2012年時点で政府財政となるおもな収入源は、この基金の運用益、排他的経済水域内の入漁料、外国の援助等である。税収が主要財源にならないのは、国内にみるべき産業がなく、国民生活を支える生産活動は自給的な農漁業と若干のコプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの)や魚貝類等の輸出に限られるからである。キリバス人は外国の漁船や貨物船の乗組員として働く者が多く、そのほかの海外出稼ぎ者も含めて、彼らがもち帰ったり、家族に送金したりする、いわゆる外貨がこの国の最大収入源になっている。
経済指標にみる国民1人当りのGDP(国内総生産)は1890ドルであるが、みるべき国内産業がないわりには自給経済と海外からの送金のおかげで人々の暮らしぶりは所得値以上にみえる。通貨はオーストラリア・ドルを使用しており、補助通貨のコインのみキリバスが発行している
公用語は英語とキリバス語であるが、日常生活ではキリバス語を使用。国民の大半はミクロネシア人で、宗教はカトリックかプロテスタントの教会に所属するキリスト教徒である。政府は、人口が首都圏に集中しはじめて居住環境が悪化しているため、東側のクリスマス島への移住を奨励してきた。そのため無人島であったこの島の人口は5000人を超える。クリスマス島は周囲160キロメートルにもなる世界最大の環礁島(388平方キロメートル)で、ハワイから空路3時間の距離にある。漁業、観光の拠点として開発が期待されている。
6歳から10年間の義務教育が始まる。初等レベルは7年制で、その後の中等教育は3年で修了できるが、高等教育機関に進学する者のためにさらに2年の追加コースが設けられている。国内に南太平洋大学(本校はフィジー)の分校のほかに漁船員や教員の養成学校があるが、成績優秀者は奨学金を得て南太平洋大学本校やニュージーランドの大学を目ざす。
[小林 泉]
太平洋戦争前、ブタリタリ(マキン)に日本の南洋貿易会社が駐在員を置いていた。戦争中は日米両軍の激戦地となった。
経済関係では、キリバスから日本への輸出が魚貝類を主として年間5.8億円、日本からの輸入が26億円(2010)と小規模である。日本の協力で設立した「カツオ一本釣り」の漁船員養成学校があり、日本は講師を派遣、卒業後は日本や台湾の漁船に乗り組んで働くなど、漁業にかかわる日本との関係は深い。かつてクリスマス島に宇宙開発事業団(現、宇宙航空研究開発機構)の衛星追跡所が設けられていたが、2011年(平成23)時点では静止衛星投入時に臨時の観測所として借り受けることになっている。
日本は、1979年(昭和54)のキリバス独立と同時に外交関係を結び、駐フィジー日本大使館が兼轄している。また、2009年までの累積で212.24億円の無償資金協力・技術協力を実施した。
[小林 泉]
『郡義典著『マウリ・キリバス――今日は、キリバス共和国』(1996・近代文芸社)』▽『助安博之、ケンタロ・オノ著『キリバスという国』(2009・エイト社)』
基本情報
正式名称=キリバス共和国Republic of Kiribati
面積=726km2
人口(2010)=10万人
首都=バイリキBairiki(日本との時差=+3時間)
主要言語=キリバス語,英語
通貨=オーストラリア・ドルAustralian Dollar
中部太平洋にある島国。1979年7月12日にイギリスから独立した。旧ギルバート・エリス諸島のうちのギルバートGilbert諸島で,ポリネシア系のエリスEllice(独立後ツバル)諸島から分かれたミクロネシア系住民の国。1606年にスペインの航海者キロスPedro Fernandez de Quirosにより諸島の一部が発見され,1788年にイギリス海軍のギルバート大佐が測量し,1892年からイギリスの統治下にあった。国名キリバスはギルバートの現地語発音で,語尾のtiは[s]と発音する。赤道と日付変更線をはさんで,その経済専管水域は500万km2と世界有数の広さがある。ギルバート,フェニックス,南・北ラインの4島嶼グループから成る。
執筆者:青木 公
ギルバート諸島のオーシャン(バナバ)島を除く他の島々は,標高5m未満の小規模なサンゴ礁島で,人口の9割以上がギルバート諸島に集中している。ギルバート諸島は首都のあるタラワ(人口の3分の1が住む)をはじめ,マキン(ブタリタリ),アベママなど16の環礁と,隆起サンゴ礁のオーシャン島とから成る。降水量は島により,また年により変化するが,平均年降水量は北部で2000~2500mm,南部で1000mm。ほとんどの島がサンゴ礁のため自然資源に乏しく,タロイモ,ヤムイモ,パンノキの実などを主食とする。ココヤシの実から取れるコプラが最も重要な産物で,漁業開発が将来の重要な課題である。
最近の考古学および言語学の成果によると,ギルバート諸島への民族移動は前2000年ころに西方のカロリン諸島からカヌーによって行われたと推定され,したがって住民はミクロネシア系の文化をもっている。たとえば言語はアウストロネシア語族のうちのキリバス(ギルバート)語で,他のミクロネシア諸言語と近親関係にある。しかしすぐ南隣のツバル(エリス諸島)は紀元後にポリネシアのサモア諸島より植民が行われたと推定されており,そのためギルバート諸島もポリネシア系の文化の影響を少なからず受けている。優れた伝統的航海術やカヌー建造技術などをもとに漁労や遠洋航海が活発に行われ,海洋文化が栄えた。しかし,18世紀に本格的に始まるヨーロッパ人との接触によって,伝統文化を喪失することになった。キリスト教や貨幣経済の導入によって伝統的生活様式が崩れ,急速に近代化が進んでいる。
執筆者:石森 秀三
政体は共和制をとり,一院制の議会(定員41,うち2は指名による,任期4年)がある。1979年までオーシャン島産出の肥料用リン鉱石を主財源にしていた。掘り尽くしたのちはオーストラリア,日本,ニュージーランドの3ヵ国を中心とした援助に依存しており,94年度の援助総額は1250万ドルにのぼった。日本は94年度までに100億円を超す無償援助,技術協力を行っている。85年にソ連と1年間の漁業協定を結んだことがあるが,現在は日本や韓国からの入漁料を財源にしている。国民1人当りのGNPは920ドル(1995)。タラワ島にある船員訓練学校出身の船員が外国船に乗り組み,収入を送金しているが,その額が年80万ドルにのぼる。コプラ,鱶ひれを輸出するが,オーストラリア,フィジー,ニュージーランドから輸出額の4倍の生活用品を輸入している。
マキン島は第2次大戦中,日米の激戦地だった。クリスマス島には日本の宇宙開発事業団の人工衛星追跡ステーションがあり,釣客用ホテルもある。83年から東京に名誉総領事館を設けている。
執筆者:青木 公
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