ギリシア正教会(読み)ギリシアせいきょうかい(英語表記)Greek Orthodox Church

精選版 日本国語大辞典 「ギリシア正教会」の意味・読み・例文・類語

ギリシア‐せいきょうかい ‥セイケウクヮイ【ギリシア正教会】

〘名〙 東ローマ帝国時代からの伝統を受け継ぐキリスト教の一宗派。東地中海世界の教会から一〇五四年に分離。ギリシアロシア・西アジア・東ヨーロッパなどに伝わる。神学と礼拝とに神秘主義的性格を持つ。ロシアをはじめ、ルーマニアブルガリア、ギリシアなどに信者が多い。東方正教会。ギリシア教。

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改訂新版 世界大百科事典 「ギリシア正教会」の意味・わかりやすい解説

ギリシア正教会 (ギリシアせいきょうかい)
Greek Orthodox Church

東方正教会のなかでギリシアを管轄地域とする独立教会。ギリシアには使徒の時代にキリスト教が伝わった。ちなみにパウロの第2回宣教旅行は小アジアからギリシア北部のフィリッピ,テッサロニケを経て,アテナイコリントスに及んだ。しかし使徒時代以降のキリスト教布教の状況はほとんど知られていない。教会管轄に関して,ギリシアはローマ教皇の管轄下にあったが,8世紀中葉,イコノクラスムの時代にコンスタンティノープル総主教の管轄に移された。6世紀よりギリシアには大量のスラブ人が侵入したが,キリスト教を受容し同化した。9世紀後半,テッサロニケ出身のギリシア人キュリロスとメトディオス兄弟はビザンティン帝国の使命を帯びて,モラビアのスラブ人にスラブ語典礼を伝えた。13世紀初頭,第4回十字軍の侵入によってコンスタンティノープルラテン帝国が樹立されると,ギリシアの教会も大部分ラテン司教の管轄下に置かれたが,典礼や信仰生活に大きな変化はなかった。

 1453年,ビザンティン帝国が滅亡し,オスマン帝国支配の時代に入ると,コンスタンティノープル総主教を首長とするミッレト制の成立により,ギリシアのキリスト教徒も従前どおりその管轄下に置かれた。ギリシアの独立運動が高まると教会もそれに荷担し,1821年にパトラスのラウラ修道院長ゲルマノスは自由への闘争を呼びかけた。22年にギリシアの教会は,オスマン帝国の利害を代弁していたコンスタンティノープル総主教座からの独立を宣言し,33年に国王もそれを確認した。コンスタンティノープル総主教はギリシア教会の独立を認めなかったが,50年に妥協がなった。ただしアトス山などギリシアの一部はコンスタンティノープル総主教の管轄下に残された。アテネ大主教を首長とするギリシア正教会は,社会主義国を除くと,東方正教会のなかで最大の教会をなし,ギリシア国民の95%以上が正教会に帰属している。
東方正教会
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギリシア正教会」の意味・わかりやすい解説

ギリシア正教会
ぎりしあせいきょうかい
Greek Orthodox Church

ロシア正教会とともに、東方正教会の中核をなす教会。日本では、正教そのものをギリシア正教ということもある。1832年にギリシアがトルコから独立したのち、コンスタンティノープル総主教管下にあったギリシアの正教会は、1850年独立教会となった。こうして、ギリシアは正教を国教とする国となった。現在ギリシアには78の府主教区があり(ギリシアでは大主教が府主教の上)、初代教会機構の形態をそのまま受け継いでいる。ギリシア正教会には国民の約98%、約1028万人の信徒がいる(1996)。ビザンティン時代に建てられた教会や修道院が数多くあり、ギリシア人の生活の中心となっている。小学校の教科書には、復活祭(イースター)や降誕祭(クリスマス)の祝いが出ていて正教意識を植え付け、また若者に対する布教、伝道も盛んである。ギリシア国立のアテネ、テッサロニキ両大学には聖職者養成機関の神学部があり、ギリシア正教神学を教えている。なお、アトス山はギリシアの国の中で、「修道共和国」として特別区となっており、アトス山にある各修道院の代表による聖務院が最高機関である。

[田口貞夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ギリシア正教会」の解説

ギリシア正教会(ギリシアせいきょうかい)
Greek Orthdox Church

ビザンツ帝国コンスタンティノープルアレクサンドリアアンティオキアイェルサレム諸教会のもとに発展したキリスト教会。「神聖にして正統普遍なる使徒の東方教会」と称したことから正教会,東方正教会ともいう。また1833年にナフプリオン教会会議で自治独立を宣言したギリシアの正教会をさすこともある。ローマ教会がラテン語を典礼用語とし,ゲルマン人の侵入によって文化の低下した西方で発展したのに対し,ギリシア語を典礼用語としヘレニズムの伝統を持つ東方で発展し,伝道によってグルジアやスラヴ世界にキリスト教を広めた。1054年に西方教会と分離したが,正教会はブルガリア正教会,セルビア正教会,ロシア正教会などのように多数の民族教会を認め今日に至っている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ギリシア正教会」の解説

ギリシア正教会
ギリシアせいきょうかい
Greek Orthodox Church

1054年にローマ−カトリック教会から分離し,コンスタンティノープル(現イスタンブル)の総主教を中心に東方に発展したキリスト教会。東方正教会ともいう
726年のビザンツ皇帝レオン3世による聖像禁止令をきっかけに,ローマとコンスタンティノープルの両本山は絶縁の方向にむかい,1054年正式に分離した。カトリックと違い教皇のような存在はなく,それぞれの教会が自治をもち独立している。伝統的にビザンツ皇帝が首長をかね,伝承主義,儀礼を重んずるギリシア的主知主義が特色。その教会建築ではモザイク画が有名。またイコン(聖像画)信仰が強い。バルカンからロシアのスラヴ民族の地域に伝わり,ビザンツ帝国滅亡(1453)後,ロシア皇帝が首長をかねた。

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百科事典マイペディア 「ギリシア正教会」の意味・わかりやすい解説

ギリシア正教会【ギリシアせいきょうかい】

東方正教会の代表的教派。英語でGreek Orthodox Church。正教会の総称として用いられることもあるが,1822年以降コンスタンティノープル総主教座から離れており,ギリシアを管轄する独立教会とするのが正確。アテネ大主教を首長とし,ギリシア国民の95%以上が同教会に属する。
→関連項目マカリオス[3世]

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