良心的徴兵拒否ともいう。本来は,信仰にもとづいて戦争に反対し,兵役に就くこと,あるいは兵役に服しても戦闘業務に就くことなどを拒む行為を指し,その人をconscientious objector(略してC.O.)という。アメリカには古くからあり,クエーカーのように信仰上の理由によると確認されたものは重労働による国家への奉仕を兵役に代えることが認められていた。しかし近年では,広く個人の良心に発する兵役拒否や戦闘業務拒否をも指すようになっている。兵役拒否,戦闘業務拒否は軍隊の歴史と同様に古いといわれ,その例に聖マクシミリアヌスMaximilianusの行動がある。ローマのカトリック教徒として兵役を拒否したこの人物は,295年3月12日死刑を執行され,のちに聖人に列された。ここでは近現代に限るが,日本では,1873年1月10日,徴兵令が制定されると,西日本一帯で徴兵反対一揆(血税一揆)が起きた。最大規模の岡山県美作(みまさか)地方の一揆では15人が死刑となった。その後の徴兵忌避で最も顕著だったのは逃亡失踪であり,1897年現在で4万8557人に達した。日露戦争は日本最初のキリスト教信仰にもとづく,公然たる良心的兵役拒否者を生んだ。セブンスデー・アドベンティスト教会の信徒矢部善好である。召集された矢部は入隊前夜,仙台連隊長に〈汝殺すなかれ〉の戒めを守る,敵兵でも殺すことはできぬと告げた。1905年2月13日,福島県若松区裁判所は禁錮2ヵ月の判決を下した。十五年戦争中の顕著な事例に,アメリカに本部をもつ無教会派の灯台社の日本支部に属する明石真人,村本一生の行動がある。2人は入隊後同じ態度をとり,軍法会議でそれぞれ3年,2年の懲役刑に処せられた。
兵役拒否が最も大規模に展開したのはアメリカであり,南北戦争中のニューヨーク反徴兵暴動では1200人が殺された。第2次大戦では1万6000人が軍隊よりも牢獄を選んだ。ベトナム戦争では拒否者は最大規模に達し,その過程で,良心的兵役拒否は従来のクエーカーなど特定の信仰をもつ者に限られる権利から,個人の良心に発する行為として,法的にも認定範囲を広げていった。徴兵制をもつ国のうち,ドイツ連邦共和国は憲法(基本法)4条で良心的兵役拒否の権利を認めている。
→市民的不服従
執筆者:清水 知久
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…国民の必任義務とされた兵役を免れるための合法・非合法の行為。絶対的平和主義などの信条にもとづく良心的兵役拒否と,その他の動機にもとづく徴兵忌避とがあった。前者は日露戦争以来,少数であったが一部のキリスト教徒の間に出現し,徴兵を拒否して懲役に服する道を選んだ。…
※「良心的兵役拒否」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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