ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネット」の意味・わかりやすい解説
ベネット
Bennett, James Gordon
[没]1872.6.1. アメリカ合衆国,ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の新聞編集者。1819年イギリスからアメリカに移住し,ニューヨークに居を定めた。当地に学校を設立し政治経済学を教えるかたわら,ジャーナリストとしても働き,その後 10年間にさまざまな新聞社に雇われた。『ニューヨーク・インクワイアラー』特派員,『モーニング・クーリエ・アンド・ニューヨーク・インクワイアラー』共同編集者を務め,ベネットが執筆した記事は注目を集めた。1832年ニューヨークで『グローブ』を発行したが,長続きしなかった。1833~34年フィラデルフィアで『ペンシルバニアン』の主筆を務めるとともに,経営陣の一角を占めた。1835年に資本金 500ドルで新聞社を設立,4ページ,1部 1ペニーの『ニューヨーク・ヘラルド』を創刊した。ベネットの勤勉な働きと洞察力によって,新聞は商業的成功を収めた。ベネットはニュースの収集にとりわけ注意を払い,今日の報道手法の多くを取り入れた。1835年6月,アメリカの新聞で初めてウォール街の金融記事を,同年 12月にはニューヨーク大火の生々しく詳細な記事を掲載。1838年に初めてヨーロッパに特派員を置き,1846年に政治演説の全文を電報を使って入手,南北戦争の取材に延べ 63人の従軍記者を送り込んだほか,挿絵の掲載,社会部の創設など,斬新な編集によってアメリカ新聞界に大きな影響を与えた。(→ジャーナリズム,新聞)
ベネット
Bennett, (Enoch) Arnold
[没]1931.3.27. ロンドン
イギリスの小説家。法律家を志したがジャーナリズムに転じ,雑誌編集者となった。 1903年パリに渡り,07年フランス人の女優と結婚,11年帰国して創作に専念,数編の戯曲と雑文のほか,フローベールやバルザックから学んだリアリズムによる小説を多数書いた。モーパッサンの『女の一生』に範をとって2人の姉妹の生涯を描いた代表作『老妻物語』 The Old Wives' Tale (1908) をはじめ,『五つの町のアンナ』 Anna of the Five Towns (02) ,3部作『クレーハンガー』 Clayhanger (10) ,『ヒルダ・レスウェイズ』 Hilda Lessways (11) ,『この二人』 These Twin (16) など,いずれも製陶業の中心地である郷里の「五つの町」を背景としている。エドワード朝の代表的作家の一人。
ベネット
Bennett, Richard Bedford, Viscount Bennet
[没]1947.6.27. サリー,マイクルハム
カナダの政治家。首相 (在任 1930~35) 。弁護士をつとめたのち,1909年アルバータ州下院に当選して政界に入り,11年連邦下院議員となった。保守党に属し,21年の短命に終った A.ミーエン内閣で法相を,同じく 26年のミーエン内閣では蔵相をつとめた。 27年保守党大会で党首に選ばれ,30年の総選挙で保守党が勝利を占めると,首相,蔵相,外相を兼ねるという強力な地位についた。大恐慌時のカナダの統治者となり,32年のオタワにおけるイギリス帝国経済会議や,35年にニューディールのカナダ版を議会に提出することで景気の回復をはかったが成功せず,同年大敗を喫して自由党に政権を譲り渡した。 38年まで保守党党首をつとめたのち政界を引退し,39年からイギリスに永住した。 41年子爵に叙せられた。
ベネット
Bennet, John
[没]?
イギリスの作曲家。エリザベス朝時代に活躍した。 1599年 17曲から成る『四声のためのマドリガル集』を出版。 1614年編集されたマドリガル集『オリアンナの勝利』に収められている『万物は今や楽しげに従い』 (1601) が有名。
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