教育の問題を哲学的態度・方法によって研究する教育学の一領域をいう。その際、哲学的態度・方法の基本的特徴として、教育の問題を根源的(根本的)、全体的(総合的)に問い、認識を獲得することがあげられる。ただ、哲学的態度・方法のあり方をめぐって、またそれに起因する哲学と教育学の関係から多様な教育哲学の立場、主張がある。
[小笠原道雄]
教育に関する理論的な学問としての教育学は哲学との深い結び付きのなかで成立、発展をみた。1776年、カントがケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)において初めて教育学の講義を開講して以来、19世紀末まで、教育学の講義は哲学教授によって行われていた。
つまり、教育学は一般哲学理論の教育問題への適用として、あるいは特定の哲学体系の特殊な応用と考えられていた。19世紀前半、カントの講座の継承者であるヘルバルトによって、初めて教育学が固有の概念(独自の対象と方法)をもつべきことが主張され、体系的理論としての教育学が構想された。しかしその学としての教育学も本質的には哲学から演繹(えんえき)された「哲学的教育学」(=教育哲学)にほかならなかった。その後、経験科学の発達とその影響のもとで、教育の問題に関する帰納的、実証的な研究が盛んになるにつれて、哲学と教育学の分離がみられ、哲学的教育学に対して「教育科学」という名称が用いられるようになる。
[小笠原道雄]
教育の哲学的研究は多様な態度・方法によって行われているが、〔1〕時代の有力な哲学思想(理論)に依拠して行われる場合には、たとえば、現代では(1)生の哲学によるもの、(2)プラグマティズムによるもの、(3)実存哲学によるもの、(4)分析哲学によるもの、(5)マルクス主義によるものなど、教育哲学の諸類型がみられるし、〔2〕教育の役割を社会との関連においてとらえる立場からは、たとえば、1950年代アメリカのブラメルドTheodore Brameld(1904―1987)のように、(1)本質主義、(2)永遠主義、(3)進歩主義、(4)改造主義の類型化もみられる。
1960年代から、有力な哲学思想の適用、応用という立場より、むしろ広く人間の生成、形成という教育の相対的に独自な領域に対して、生物学、心理学、社会学などの諸科学の成果を学際的に統合する立場(教育人間学)や、社会科学の立場から「行為研究(アクション・リサーチ)」としての教育科学の構想が企図され、教育哲学研究の革新が図られた。
[小笠原道雄]
日本の場合、1970年代後半から深刻化する「教育病理」現象に対して、さまざまな教育理論、思考、方法が模索されるが、問題現象が先行して有効な解決策(理論)をみいだしえない状況である。そのようななかで、教育問題を教育者にとっての教育の意味生成の契機としてとらえる臨床教育学が注目されるようになった。皇紀夫(すめらぎのりお)(1940― )によれば、臨床教育学は教育(学)の脱教育化と教育における「意味」の危機の動向のなかで誕生したのであり、教育をめぐる意味の転換、意味の激変のなかで改めて教育の意味の発見、教育の理解の新たな視点の獲得が志向されているという。
なお、本稿では教育学の原理的、基礎的領域として教育哲学を位置づけ、その立場から論述しているが、この立場にたてば、今日、教育哲学と教育学の境目はきわめて曖昧(あいまい)となる。したがって教育学の項目も参照していただきたい。またこのような立場からは、教育学研究における教育哲学の特徴、機能をめぐって、以下のような課題が考えられよう。
[小笠原道雄]
教育作用の本質的解明と教育理論の基礎的、体系的把握を主たる課題として発展してきた教育哲学は、今日、教育現実の全体を構造的に把握し、教育の根本的な意味(教育とは何か)、目的(なんのための教育か)を追究し、同時に、極度に専門分化している教育諸科学の全体を統一的に構造化し、そこから教育問題の解決と将来の方向に関する原理的な提案がなされることが期待されている。さらに教育に関する諸用語の厳密化、過去・現在の教育学理論・思想の批判的確認(学理論的精査)も教育哲学の課題であろう。
[小笠原道雄]
『森昭著『教育人間学』(1961・黎明書房)』▽『『稲富栄次郎著作集 第6巻 西洋教育思想史』(1980・学苑社)』▽『村田昇編『教育哲学』(1983・東信堂)』▽『小笠原道雄著『教育学における理論=実践問題』(1985・学文社)』▽『小笠原道雄著『教育哲学』(1991・福村出版)』▽『和田修二・皇紀夫編『臨床教育学』(1996・アカデミア出版会)』▽『小笠原道雄著『精神科学的教育学の研究』(1999・玉川大学出版部)』▽『教育思想史学会編『教育思想事典』(2000・勁草書房)』▽『村井実著『教育学入門 上』(講談社学術文庫)』
教育は人間の成長,発達にかかわる個人的・心理的事象であるとともに,社会や国家の存続にかかわる社会的・歴史的事実である。教育は学校ばかりではなく,家庭でも社会でも行われており,それだけに教育的事象は多様である。その個々の教育的事象を貫いて,教育とは何かを探求する学問が教育哲学である。人間の成長にとって,教育はどのような意味と役割を担うのか,国家や社会が教育制度を組織する根拠はどこに求められるのか,教育的働きかけの根底になる人間像や価値意識は何であるかなどの問いは,〈教育について哲学すること=教育哲学〉の中心課題だといってよい。かつて,教育哲学は哲学の教育への適用と考えられ,教育の目的や価値は実践哲学に,方法は心理学に求めればよいとされてきた。しかし,教育哲学は哲学の単なる応用部門ではない。教育という事象の根本には人間存在の実存の問題と歴史性の問題,個人の発達と歴史の発展の問題がよこたわっている。そして教育の本質への問いは,そのまま人間の本質への哲学的問いと重なっている。J.デューイもいうように,哲学的探究が人間の本質の探究である限り,それは人間の知的および道徳的習慣形成,人間の発達と教養と深くかかわる教育への問いを含んではじめて,人間探究の名に値するものとなる。その意味で,教育への問いは哲学的実践といえる。
今日の教育諸科学の発展は,教育哲学のあり方に逆に影響を与えている。学問の分化と教育諸科学の発展とともに,それぞれの分化科学が対象とする事象の背後に,教育の本質を見いだす努力がなされてきた。たとえば教育行政学は,国家と教育の関係を問うことを通して教育の本質を問うものであり,教授学は教育技術の意味を明らかにすることによって教育の本質を解こうとするものであった。その意味で,A.vonフンボルトの教育に対する国家介入の限界についての探究や,J.A.コメニウスの〈すべてのものに,すべてのことを〉確実にわからせる教授学の研究は,そのまま教育哲学的探究だといってよい。さらに,教育諸科学の専門分化のなかで,かえって,教育の本質への探究を軸とし,教育諸科学の総合が求められている。この課題を自覚し,方向を示すことも教育哲学の課題である。
教育哲学と教育実践の関係はどうであろうか。教育哲学はそのまま科学ではない。それは知恵と幻想を含みつつ,教育実践を方向づける。教育哲学的思索は,教育実践によってその有効性が問われると同時に,逆に,前者は後者を発展,深化させる契機ともなる。
→教育 →教育学
執筆者:堀尾 輝久
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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