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クルーエ クルーエClouet, François

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クルーエ
クルーエ
Clouet, François

[生]1515/1520. トゥール
[没]1572.9.22. パリ
フランスの画家。 J.クルーエの息子で,ジャネとも呼ばれた。 1541年,父の跡を継いでフランソア1世宮廷画家となり,次いでアンリ2世シャルル9世に仕え,おもに肖像画を制作。署名のある最初の作品『薬剤師ピエール・クテ』 (1562,ルーブル美術館) は A.ブロンツィーノの作風に酷似しており,彼がイタリアへ行った経験のあることを暗示しているが,『シャルル9世の肖像』 (61,ウィーン美術史美術館) や『アンリ2世の肖像』 (59,ルーブル美術館) などの洗練された細密描写は,H.ホルバイン (子) に近い。

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クルーエ
クルーエ
Clouet, Jean

[生]1485頃.ブリュッセル?
[没]1540/1541. パリ
フランスの画家。 F.クルーエの父。 1516年以後はフランソア1世の宮廷画家としてトゥールおよびパリで制作。若干のミニアチュールと宗教画を除けば作品のほとんどは肖像画で,赤や黒のパステルで描かれた約 130点の肖像デッサン (シャンティイーコンデ美術館に大部分を所蔵) およびそれらと関連のある数点の肖像油彩画を残し,特に『フランソア1世』 (1524頃,ルーブル美術館) や『ギヨーム・ビュデの肖像』 (35頃,メトロポリタン美術館) が有名。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

クルーエ(François Clouet)

[1510ころ~1572]フランスの画家。父ジャンとともに宮廷画家として、精緻(せいち)な描写の肖像画・デッサンを多く残した。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

クルーエ

フランスの画家。トゥール生れ。父のジャンJean Clouet〔1480から1485-1540か1541〕亡きあと,フランスの王室画家として活躍。おもに肖像画を描き,冷静で精密な観察眼に基づく客観的描写が特徴。
→関連項目フォンテンブロー派

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世界大百科事典 第2版の解説

クルーエ【François Clouet】

1505か10‐72
フランスの肖像画家。トゥール生れ。父ジャンJean Clouet(1485ころ‐1541ころ)はフランドル出身の画家で,フランスに帰化した。1541年父より王室画家の地位を継ぐ。署名作品は《薬種商ピエール・クートの肖像》(1562)と《浴女》のみである。4代の王に仕え,王侯貴族を描き,油絵《アンリ2世像》(1559),素描《シャルル9世像》(1566)をはじめ彼の作と推定される作品は数多く存在する。

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大辞林 第三版の解説

クルーエ【François Clouet】

1505頃~1572) フランスの画家。父(Jean C. 1485頃~1541頃)の地位を継ぎフランス王室に仕え、素描による肖像画と寓意的風俗画において影響力を残した。代表作「浴女」

出典|三省堂
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