ロシアの革命家、アナキズム(無政府主義)の理論家、社会学者、地理学者、生物学者。公爵の家柄に生まれ、中央幼年学校を卒業(1862)。士官としてアムール・コサック軍に勤務し、1864年から1866年にかけてロシア地理学協会の北東アジア探検隊に参加した。1867年退役してペテルブルグ大学の物理・数学科に学ぶ。1872年1月ベルギー、ついでスイスを訪れ、この地でアナキズムの指導者バクーニンと知り合い、インターナショナルのバクーニン派に加わった。同年5月ロシアに帰ってニコライ・チャイコフスキーのサークルに加盟し、首都ペテルブルグの労働者の間で宣伝活動を行った。1874年逮捕、投獄されたが、監獄病院から脱出し、国外に逃れ、以後40年以上にわたって亡命生活を送る。
1879年ジュネーブで新聞『レボルテ』を発行。1881年スイスから追放され、1883年リヨンで禁錮(きんこ)5年の判決を受けたが、フランスの世論の支持で釈放された。こののちイギリスに渡り、ロンドン郊外に住んでアナキズム的共産主義の運動を推進し、『パンの略取』(1892)、『無政府――その哲学と理想』(1896)、『相互扶助論、進化の一要因』(1902)など多くの著書を著した。これらのなかで彼は、ダーウィンの主張した種内における生存競争の考えに反対し、相互扶助と生産者の自発的な連合に基づいた社会のビジョンを描いた。1917年6月ロシアに帰国したが、十月革命以後のソビエト政権に対しては、そのプロレタリアート独裁の考えに反対し、ボリシェビズムを新しいジャコバン主義として批判した。1921年2月8日モスクワで死去。
[外川継男]
『クロポトキン著、高杉一郎訳『ある革命家の手記』全2冊(岩波文庫)』▽『クロポトキン著、高杉一郎訳『ロシア文学の理想と現実』全2冊(岩波文庫)』
ロシアの地理学者,アナーキズムの理論家。モスクワの名門貴族の家に生まれ,1857年陸軍幼年学校に入れられたが,卒業後近衛兵とはならず,自ら選んでシベリア駐屯の騎兵中尉となり,在任中の5年間にシベリア,中国北部を広く踏査した。67年首都に戻りペテルブルグ大学理学部に入学,地理学協会に加わって71年にはフィンランドとスウェーデンの氷河系を調査し,また北極海の実体解明にも寄与した。別に早くから革命思想の洗礼を受けていたクロポトキンは,第一インターナショナルの創設とパリ・コミューンへの強い関心からスイス,ベルギーへと赴き,バクーニン派インターのメンバーと接触してジュラ連合(社会民主同盟)に加入した。帰国後,チャイコフスキー団の一員として革命宣伝に従事,74年3月官憲に逮捕されたが,76年監獄病院から脱獄してスイスへ逃れ,これより40年を超える亡命生活が始まった。81年,ロシア皇帝暗殺のあおりを受けてスイスを追放され,フランスへ移ったが,83年のリヨン蜂起に関連して逮捕,投獄の身となり,86年に保釈されて今度はイギリスへ渡り,ロシアの二月革命まで同地にとどまった。1917年,ロシア革命の渦中に帰国し,おもに協同組合運動に専念して,21年に没した。自ら無政府主義的共産主義と呼ぶその主張は,人民の意識的行動に基づく社会革命を行い,相互扶助という進化論的自然認識を社会に適用しつつ,自由な共同体の連合を基礎に都市と農村を有機的に統一し,協同化社会を実現しようとするものであった。彼の思想は明治期日本にも強い影響を与え,幸徳秋水や大杉栄らの共鳴者を生み,有島武郎や石川啄木らの文学にも足跡を残し,のちには労働運動の一方の流れとなっていわゆるアナ・ボル論争をもたらすこととなった。おもな著書に,《氷河期の研究》(1876),《パンの獲得》(1892),《ある革命家の手記》(1899),《現代科学とアナーキー》(1901),《相互扶助論》(1902),《フランス大革命》(1909),《倫理学》(1922)などがある。
執筆者:左近 毅
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1842~1921
アナーキズムの思想家。ロシアの名門公爵の出身で,地理学者であったが,ナロードニキのサークルに加わり,亡命した。国外でアナーキスト思想家として著述活動に従事した。第一次世界大戦時に帰国。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…彼は第一インターナショナルの中でのマルクスとの論戦を通じて,アナーキスト勢力を一つの党派にまでまとめ上げたといえる。この後に直接的テロ行動と,アナルコ・サンディカリスム運動との一時期が続くが,19世紀末におけるアナーキズム理論の集大成者はクロポトキンであり,彼は〈無政府共産制〉という標語で平等思想を徹底させ,明治・大正期の日本にも影響を与えた。 日本では明治30年代末に煙山専太郎や久津見蕨村によって無政府主義の紹介がなされているが,社会運動の中でそれを推進したのは,クロポトキンとも文通して1908年に《麵麭(パン)の略取》を翻訳公刊した幸徳秋水や大杉栄らである。…
※「クロポトキン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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