フランス革命史(読み)フランスカクメイシ

デジタル大辞泉 「フランス革命史」の意味・読み・例文・類語

フランスかくめいし【フランス革命史】

《原題The French Revolutionカーライルの著作。1837年刊。全3巻。フランス革命に関わった人物群を描き、革命の歴史を紹介する。著者の出世作。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランス革命史」の意味・わかりやすい解説

フランス革命史(年表)
ふらんすかくめいしねんぴょう

1787 2月22日 第一次名士会開催(~5月12日)。カロンヌの「補助地租」提案に名士会多数派が反対
1787 7月16日 パリ高等法院、全国三部会の招集を要求、宮廷の浪費を攻撃
1787 9月17日 アメリカ合衆国憲法制定
1787 10月13日 ブリエンヌ国庫制度の改革
1788 5月8日 ラモアニョンの司法改革
1788 8月23日 ネッケル、財務長官に再任
1788 9月25日 パリ高等法院、全国三部会招集方式を裁定
1788 11月6日 第二次名士会開催(~12月12日)
1789 1月  全国三部会選挙開始。シエイエス、『第三身分とは何か』を発表
1789 1月12日 ラ・ファイエット、アメリカのジェファソン駐仏公使と会見、人権宣言私案を提示
1789 3月 都市、農村の暴動多発
1789 5月5日 ベルサイユで 全国三部会開催
1789 6月20日 球戯場の誓い(テニスコートの誓い)
1789 7月9日 憲法制定作業が本格化(憲法制定議会
1789 7月14日 バスチーユ牢獄占拠。農村で「大恐怖」起こる
1789 8月4日 封建的特権の廃止
1789 8月26日 人権宣言の公布
1789 9月12日 マラー、『人民の友』発刊
1789 10月5日 パリ民衆のベルサイユ行進
1789 10月6日 国王ルイ16世一家が議会とともにパリに移る
1789 11月 ジャコバン・クラブ(ジャコバン派)の設立
1789 11月2日 教会財産の国有化
1789 11月4日 アッシニャの発行
1789 12月14日 地方自治法制定、選挙法の議決
1790 2月13日 修道団体の廃止
1790 6月27日 パリ市組織法の成立
1790 7月12日 僧侶民事法を可決
1790 7月14日 全国連盟祭
1790 12月 バーク、『フランス革命に関する省察』を出版
1791 2月  トマス・ペイン、『人間の権利』第一部をロンドンで出版
1791 3月2日 同業組合の廃止
1791 4月2日 ミラボー死去
1791 4月 「ロンドン人民の友協会」発足
1791 5月15日 植民地奴隷制の改革、有色自由人の一部に参政権
1791 6月14日 ル・シャプリエ法の制定
1791 6月20日 バレンヌ逃亡事件(~25日)
1791 7月17日 シャン・ド・マルスの虐殺事件
1791 8月27日 オーストリア皇帝レオポルト2世とプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム2世のピルニッツ宣言
1791 9月3日 「1791年憲法」完成、可決
1791 10月1日 立法議会の成立
1791 10月31日 亡命貴族の財産没収に関する法令
1791 11月29日 宣誓拒否僧に公民宣言を要求する法令
1791 12月30日 ブリソ、ジャコバン・クラブで聖戦論を主張
1792 3月23日 ジロンド派内閣成立
1792 4月20日 対オーストリア宣戦布告
1792 4月25日 『ラ・マルセイエーズ』作曲
1792 4月30日 フランス軍、緒戦で敗走
1792 6月20日 チュイルリー宮前の示威運動
1792 7月11日 「祖国は危機にあり」の宣言
1792 7月25日 ブリュンシュビック宣言
1792 8月9日 パリ蜂起、コミューンの成立(パリ・コミューン)
1792 8月10日 チュイルリー宮襲撃(八月十日事件)。王権の停止
1792 8月20日 領主制地代の無償廃棄
1792 9月 バルナーブ、『フランス革命序説』を執筆
1792 9月2日 9月虐殺(~3日)
1792 9月20日 バルミーの戦いに勝利
1792 9月21日 国民公会の招集(~22日)。共和制宣言
1793 1月21日 ルイ16世処刑
1793 2月1日 フランス、対イギリス・オランダ宣戦。小ピット挙国一致内閣を率い、第一回対仏大同盟を提唱
1793 2月24日 30万人徴用令。パリに食糧暴動(~25日)。アンラジェの登場
1793 3月10日 革命裁判所の設置。バンデーの反乱
1793 4月6日 公安委員会の設立
1793 6月2日 ジロンド派議員29人逮捕
1793 6月24日 共和国憲法(ジャコバン憲法)可決(8月10日発布と同時に延期)
1793 7月26日 買占め取締法
1793 7月27日 ロベスピエール、公安委員会に参加
1793 8月23日 国民総徴用令
1793 9月29日 一般最高価格令
1793 10月18日 バンデーの反乱鎮圧
1793 11月10日 エベール派、理性の祭典開く(理性の崇拝)
1793 11月24日 共和暦実施される
1793 12月19日 トゥーロンを回復
1794 2月26日 バントーズ法の可決(~3月3日)
1794 3月24日 エベール派の処刑
1794 4月5日 ダントン派の処刑
1794 6月8日 ロベスピエール、最高存在の祭典開く
1794 7月27日 テルミドールの反動
1794 8月24日 革命政府の改組
1794 11月12日 ジャコバン・クラブ閉鎖
1795 1月 オランダ占領。バタビア共和国宣言
1795 4月1日 ジェルミナールの民衆蜂起(パリ)
1795 4月5日 フランス、プロイセンとバーゼルの和約、ライン地方を占領
1795 5月20日 プレリアールの民衆蜂起(パリ)
1795 8月22日 共和暦3年の憲法
1795 9月18日 僧侶基本法の廃止
1795 10月3日 バンデミエールの王党派蜂起
1795 10月27日 総裁政府の発足
1796 3月10日 アッシニャの廃棄決定
1796 3月18日 マンダ・テリトリアル(土地証券)発行
1796 3月27日 ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)、第一次イタリア遠征
1796 5月10日 バブーフの陰謀発覚
1796 11月15日 ナポレオン、アルコレの戦いでオーストリア軍を撃破
1797 2月7日 マンダ・テリトリアル廃止
1797 3月 共和暦5年の選挙、立憲王党派の勝利
1797 5月27日 王党派のバルテルミー、総裁に選任
1797 7月16日 宣誓拒否僧の追放処置を廃止
1797 9月4日 フリュクチドール18日の政変、共和派の政権独占
1797 10月17日 カンポ・フォルミオでオーストリアと和約(カンポ・フォルミオ条約)
1798 2月15日 フランス、ローマ共和国を設立
1798 3月26日 ジュネーブを併合
1798 4月 共和暦6年の選挙、ジャコバン派の勝利
1798 5月11日 フロレアール22日のクーデター、ジャコバン派議席の剥奪
1798 5月19日 ナポレオン、エジプト遠征
1798 8月 強制国債の発行を議決
1798 12月 第二回対仏大同盟
1799 5月16日 シエイエス、総裁に就任
1799 6月30日 プレリアールのクーデター、総裁政府内部の粛清
1799 11月9日 ブリュメール一八日のクーデター
1799 12月25日 共和暦8年の憲法を発布、統領政府の発足(~1804)

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のフランス革命史の言及

【カーライル】より

…《ウィルヘルム・マイスター》を翻訳,その他ドイツ文学の紹介を雑誌に寄稿していたが,1833‐34年,自己の思想的立場の宣明である《衣装哲学》を雑誌に発表。奇想に富むこの作品はなかなか理解されなかったが,ロンドンに出て書いた大作《フランス革命史》(1837)は色彩豊かで生動する叙述により大好評を博した。40年には《英雄崇拝》について講演,その頃から《チャーチズム》(1839),《過去と現在》(1843)などを著して工場労働の非人間性,労働者の悲惨な生活を無視する自由放任主義を痛撃し,大きな影響を与えたが,英雄を待望して民主主義を否定し,独裁的指導者の出現を期待するなどの傾向も現れている。…

【ティエール】より

…彼ははじめ王政復古期(1814‐30)のフランスで極右王党派と対立する自由派の代議士や銀行家のラフィットなどと親密となった。1824年から27年にかけて《フランス革命史Histoire de la Révolution》全10巻を書き,その自由派の立場に立った文筆の才で名声を得,30年1月にミニエーとともに新聞《ナシヨナル》を創刊した。7月にシャルル10世が勅令を発布すると,《ナシヨナル》の編集室には43人のジャーナリストらが集まるが,ティエールはその中心になって,この七月勅令に対する共同抗議文を起草した。…

※「フランス革命史」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android