通貨の単位。英語のcrown(王冠)と同義で、かつてはオーストリア・ハンガリー帝国の通貨単位であったが、現在はスウェーデン、ノルウェー、デンマークおよびアイスランドの通貨の名称となっている(正確にはスウェーデンではクローナKrona、ノルウェー、デンマークではクローネKrone、アイスランドではクローナKróna)。
1875年スウェーデン、ノルウェー、デンマーク3国はスカンジナビア貨幣同盟をつくり、同じ品位の本位貨幣を法貨として流通させる共通の金本位制を樹立した。第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)すると、これら3国は金本位制を停止し、金の輸出を禁止したが、大戦中にこの中立3か国が悩んだのはむしろ金の大量流入であり、その対策として金排除政策をとった。第一次世界大戦後、スウェーデンは1924年、デンマークは1927年、ノルウェーは1928年に金本位制に復帰したが、1931年にイギリスが金本位制を離脱すると、同年3国ともこれに倣った。第二次世界大戦中の1944年にアイスランドはデンマークから独立して共和国となった。第二次世界大戦後はいずれも国際通貨基金(IMF)に加盟し、対米ドル平価の維持に努めた。
[原 信]
デンマークは1946年3月IMFに加盟、平価を1米ドル=6.90714デンマーク・クローネに設定、1966年まで維持した。その後米ドル不安が進むなか、7.5デンマーク・クローネに切り下げて1970年まで継続したが、1972年ヨーロッパ共同体(EC、後のヨーロッパ連合=EU)の相場安定システムである「スネーク」に参加、さらに1973年にはスミソニアン協定(変動幅が2.25%へ拡大された固定為替(かわせ)相場制)が崩壊し、共同変動相場制(共同フロート)に加わった。その後対米ドルに対しては5デンマーク・クローネ台の水準に上昇、1979年3月にヨーロッパ通貨制度(EMS)の為替相場機構(ERM)に参加し、ユーロ体制が始まるまで、ECの相場安定体制の一員であった。しかし米ドルをめぐる為替相場の不安定な状況のなかで、地域的な安定制度を維持するのは困難であり、とくにデンマークのような周辺国の立場はさらに不安定で、1986年までに5回も平価を変更した。ユーロ発足後もERMにとどまり、ついに2000年9月国民投票によりデンマークはユーロ圏参加を拒否した。
同国は輸出入の合計が国内総生産(GDP)の60%を上回り、貿易依存度が高く、その貿易の6割強がユーロ圏である。相互に機械など工業製品を中心とし、ユーロ加盟はメリットが多いと思われるが、それだけに大国の影響を受けやすく、とくに同国の高福祉政策に支障がないか懸念もあろう。
20世紀末から21世紀初めにかけての同国の経済運営は好調で安定した成長率を維持し、インフレ率は低く1990年以降経常収支もおおむね黒字を保っており、外貨準備も400億ドル近くなった。デンマーク・クローネ相場は、2000~2001年にかけてユーロが大きく下落、それにリンクしていたデンマーク・クローネも1米ドル当り8デンマーク・クローネ台に落ちたが、以後ユーロとともに回復、2008年末から翌年頭にかけて1米ドル当り5~5.5デンマーク・クローネの水準で推移した。
ただその時点でアメリカから広がった金融危機が実体経済に大きな影響を与えた。なかでもユーロ圏諸国の発足後初めての不況で、ユーロ圏向けの輸出も伸び悩みつつあり、当国の景気も悪化した。ユーロ圏からの流入資金も流出、デンマーク・クローネはユーロに対してときに下落傾向を示し、外国為替市場の不安定は相当期間続くであろう。ユーロ圏参加も重要な選択肢である。2009年3月末の時点で同通貨の対米ドル相場は5.6099デンマーク・クローネである。
[原 信]
スウェーデンは1951年8月IMFに参加、1米ドル=5.17321スウェーデン・クローナに平価を設定した。ブレトン・ウッズ体制崩壊後1973年「スネーク」に参加したが、2回平価切下げを行ったあと、1977年に離脱した。そして1979年にできたEMSにも参加しなかった。しかし同国の貿易依存度、およびユーロ圏との貿易の比率は、デンマークとほぼ同様に高く、したがってユーロおよびその前身のヨーロッパ通貨単位ECU(エキュ)に対してスウェーデン・クローナを安定させる相場政策をとってきたようで、それは同通貨の名目実効相場とユーロのそれが似たような動きを示していることで明らかである。
さらに当国は2003年9月国民投票により、ユーロ圏参加を否決した。その理由は前記デンマークと似たようなものである。だがスウェーデン・クローナ対ユーロの相場安定を望んでいたことは前記と変わらない。
スウェーデンは1970年代オイル・ショック(石油危機)の影響も含めてインフレ率が高まり、1980年代まで続いたが、1990年代には平均して3%程度となり、高福祉政策のもとで安定した成長を保ってきた。そして機械や鉄鋼、化学品を中心に年々輸出が伸び、貿易収支は1985年来継続して黒字である。ただサービスや所得収支などが赤字で、経常収支もほとんど赤字であったが、それらの収支も改善または黒字に転じ、1994年来、経常収支も黒字を継続、しかもその額は増えGDPの7%前後となっている。
スウェーデン・クローナの対米ドル相場は、スミソニアン体制崩壊(1973)後、スネークに属していた時期が第二次世界大戦後の最高水準(1米ドル=4.5スウェーデン・クローナ前後)であった。強いドイツ・マルクに結び付いたためで、当時スウェーデンの高いインフレ率を考えるとスウェーデン・クローナの過大評価であり、その後この水準の近辺にも達したことはない。ついで1980年代前半はアメリカの財政赤字が高金利を生み、資金の流れがアメリカに集中し、米ドル相場が上昇。スウェーデン・クローナは1985年9月プラザ合意(G5、すなわち日米独仏英の財務相と中央銀行総裁が集まり米ドル相場の引下げのための協調介入を決議)のときまでに1米ドル=8~9スウェーデン・クローナまで下落した。その後この合意の成果で、ドルの急落に伴い、6スウェーデン・クローナを割る水準まで戻した。1992年、1993年のEMSの危機ではとばっちりを受けて、7スウェーデン・クローナ台に落ち、ユーロ圏発足後のユーロ下落で2000~2001年には10スウェーデン・クローナを超える最低水準となる。
その後スウェーデン・クローナは前記のような好調を背景に5~6スウェーデン・クローナの水準で推移したが、すでに触れた2008年以降とくに激しくなった金融危機が直接間接の影響を及ぼし、同年末から翌年初めにかけて8スウェーデン・クローナを超える安値となった。ユーロ圏自体ならびにそれの周辺国の経済力が試練を受けているようだが、当国にとってもユーロ圏参加がいよいよ重大課題となってきた。
直接的な対応として、危機の影響を受けたスウェーデンの大手銀行、スウェドバンクSwedbankに対し、政府はその資本増強を援助している。2009年3月末の時点で同通貨の対米ドル相場は8.267スウェーデン・クローナである。
[原 信]
ノルウェーは1947年IMFに加入、平価を1米ドル=7.14285ノルウェー・クローネに設定した。
同国は20世紀初頭デンマークから独立、農林水産業および海運が経済の中心で比較的貧しい国であったが、第二次世界大戦後、工業化が進み、金属工業、化学工業、木材の加工業などが発達、またそのエネルギー源として水力発電も充実した。そして1970年代に起こった2回のオイル・ショックは当国の経済構造に大きな変化をもたらした。この間ノルウェー・クローネは1973年ECの「スネーク」に参加、ヨーロッパ諸通貨との相場安定を図った。そして対米ドルでは1ドル当り5ノルウェー・クローネの水準を維持した。だが同国の貿易収支は赤字が続き、外国からの投資や借入れでまかなっていたが、北海石油の開発で状況は一変した。1972年国営石油会社(スタットオイルStatoil)と石油庁が発足、さらに天然ガスの開発も進み、国内の水力発電の充実で石油もガスもおおむね輸出に向けられ、1980年以降貿易収支は黒字に転換、両エネルギー源は同国輸出の60%以上を占めるようになった。
このような変化でもともと貿易依存度の高かった同国はさらにそれを高め、輸出入あわせて8割を超え、中東以外の有力な石油輸出国となった。そしてイギリスのほかドイツや他のEU加盟国やユーロ圏諸国を主たる市場とし、その他の品目もあわせて、ヨーロッパ市場への依存が高いことは他の北欧2国以上である。
しかしノルウェー・クローネは、スネーク崩壊後EMSに参加せず、さらにEU加盟に政府は条約を結んだが、最終的に1994年11月の国民投票で否決しており、したがってユーロ圏にも属していない。ただヨーロッパ経済地域(EEA)協定に加わり、実質的に自由市場の一員である。
同国は石油輸出国として他のヨーロッパ諸国と経済構造が異なってきた。そしてノルウェー・クローネは石油価格や石油の需要に他の非産油国通貨と逆の方向で動くことになった。また自由市場が同国の農業や漁業に与える影響を国民は懸念しているようだ。このような事情が他の北欧2国の事情に加えて、ユーロ圏のみならずEUにも参加しなかった背景と思われる。
ノルウェー・クローネ相場は1980年平均で4.99ノルウェー・クローネと最高値を記録した後、EMSの周辺国として1米ドル当り6~8ノルウェー・クローネと変動したが、ユーロの前身である計算単位ECUそしてユーロ圏発足後のユーロに対しては、1ユーロ=8ノルウェー・クローネ前後と比較的安定している。石油価格の上昇で、対米ドル相場は2008年夏までに5ノルウェー・クローネまで上がったが、以後の急落で、翌年初めにはピーク時の20%近く下落した。2009年3月末の相場は、1米ドル当り6.75ノルウェー・クローネの水準にある。
ここでもまた金融危機がこの国にどう影響するかが問題だが、直接の被害は少ないようだ。今後も石油輸出国通貨としての特色とヨーロッパ圏との深い貿易関係がノルウェー・クローネ相場にどうかかわるか注目されるところだが、EU、さらにユーロ参加の問題は将来も避けて通れない。また石油資源は限りあり、その後の体制をどうするかも問題である。1990年に「石油基金」を設立、海外投資に運用している。当国の対外ポジションは2000億ドルを超える資産超過で、また高福祉政策を支える財政もGDPの20%に近い黒字となっており、海外からの資本流入も含めて、多面的な投資を伸ばすのに十分な状況にあるといえよう。
[原 信]
アイスランドは北大西洋の島国で、北海道ほどの大きさである。人口約30万人。本来は漁業国であるが、輸出入あわせてGDPの8割に及ぶ貿易依存国である。
1945年末にIMFに加入、1950年の相場は1米ドル=0.1629アイスランド・クローナであった。その後1960年代末から1970~1980年代にわたって物価上昇が著しく、為替相場も大幅に切り下げられ、1985年末では41アイスランド・クローナ、さらに2001年末では103アイスランド・クローナとなった。
同国は、金融のグローバリゼーション(金融市場の世界的自由化と同質化)の波に乗り、「金融立国」を目ざし、大銀行は海外より資本を導入、それを内外の有利な対象に投資、21世紀に入ってその業務や利益を拡大、同国の対外総債務額は2007年末で1300億米ドル、資産を引いた純債務額は255億米ドル、それぞれGDPの6.5倍および1.3倍となる。
このような外資導入で、アイスランド・クローナ相場も上昇、2007年末では1米ドル=61アイスランド・クローナとなった。しかし同年秋に顕在化した世界的金融危機で急激な外資引上げが起こり、同国は一気に対外支払いに行き詰まり、ロシアをはじめ北欧諸国に支援を要請、2008年11月にはIMFから21億ドルの融資が決まり、また北欧諸国などから25億ドルの支援を得ることになった。
この間、アイスランド・クローナ相場は2008年11月には141.5アイスランド・クローナまで急落した。前記のような支援を得て、同年末には120アイスランド・クローナ台になったが、世界景気が悪化しているなかで、アイスランド・クローナは不安定が続こう。
[原 信]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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