ヨーロッパ連合(EU)の前身であるヨーロッパ共同体(EC)が通貨同盟を完成させるために設けた中間的措置。略称EMS。ECは関税同盟、共同市場を実現し、経済統合の完成に向かって進んできたが、次の目標である通貨同盟は、EU加盟国通貨を統合し最終的にはヨーロッパ単一通貨制度を目ざすもので、これには各国の主権の部分的委譲という政治問題が絡むため、一挙には推進できない。そこでそれへの中間的措置として1979年3月に設立されたのがEMSである。
EMS成立の基礎は、1973年2月のドルの再切下げを契機に誕生したECの共同フロート制(共同変動相場制)である。共同フロート制はドル危機の影響を緩和し、域内通貨の統合促進を目的としたが、しかしその後も通貨不安は収まらず、フランス・フランの離脱、復帰、再離脱やマルク、ギルダーの切上げなどが相次いだため通貨統合は進展しなかった。そこで西ドイツ(当時)とフランスとの間で折衝が進められ、78年7月のブレーメンにおけるヨーロッパ理事会でまとまった構想がEMSである。
EMSは共同フロート制を継承したものであるから、域内固定レート制、域外変動レート制をとった。域内では各通貨は平価を固定し、為替(かわせ)レートはその上下各2.25%の幅で変動が認められた(1993年8月より上下各15%へ拡大)。これをパリティ・グリッドparity grid方式という。参加国通貨は共通の計算単位ECU(エキュ)で表示される。ECUの価値はEC加盟国の通貨による標準バスケット方式で決まるが、バスケットの構成比は定期的に点検される。為替レートが変動幅の限度に達した際には、関係中央銀行は市場介入によってレートの変動を抑えなければならない。このような参加国の安定義務を助けるために創設されたのが、ヨーロッパ通貨協力基金(EMCF)である。1991年末に合意されたEU条約(マーストリヒト条約)に沿って、99年1月にEU加盟国のうち11か国で単一通貨ユーロが決済通貨として使用され始めたことにより、EMSは98年末に発展的解消を遂げた。なお、2002年1月には当初の参加国にギリシアを加えた12か国でユーロ紙幣、ユーロ硬貨の流通が始まり、同年2月末までに各国通貨とのすべての切替え作業を終えた。
[土屋六郎]
『島崎久弥著『ヨーロッパ通貨統合の展開』(1987・日本経済評論社)』▽『島野卓爾著『欧州通貨統合の経済分析』(1996・有斐閣)』▽『田中素香編著『EMS:欧州通貨制度――欧州通貨統合の焦点』(1996・有斐閣)』▽『桜井錠治郎著『EU通貨統合――歩みと展望』最新版(1998・社会評論社)』▽『嘉治佐保子著『国際通貨体制の経済学――ユーロ・アジア・日本』(2004・日本経済新聞社)』
EMSと呼ぶことも多い。EC諸国間の経済取引が活発化するにつれて通貨面での統合を図る動きが具体化し,1971年1月1日,ヨーロッパ通貨同盟European Monetary Union(EMU)が発足した。これは当面,加盟国相互間の為替相場変動幅を縮小することを目指していたが,同年12月のスミソニアン合意で各国通貨の基準相場の多角的調整が合意され,72年4月以降EC諸国通貨の対ドル中心相場(セントラル・レート)の変動幅に上下各2.25%の限界が設けられ,そのなかでEC諸国通貨相互間の変動幅を上下合わせて2.25%とすることとなった。これを〈トンネルの中の蛇〉といった。73年3月,主要国通貨がドルに対する変動為替相場制を採用するとともに,EC諸国の通貨はドルに対する変動幅の限界から解放された(〈トンネルから出た蛇〉)。その後74年にかけイギリス,イタリア,フランスが共同変動幅から離脱し,EMUはマルク中心の小規模な通貨同盟にすぎなくなった。
ヨーロッパ通貨制度は,こうした行詰りを打開しEC通貨統合を前進させるための新たな構想の実現であり,78年12月のヨーロッパ首脳会議で合意が成立し,79年3月発足した(参加国は西ドイツ,フランス,イタリア,オランダ,ベルギー,デンマーク,アイルランド,ルクセンブルク)。その概要は次のとおりである。
(1)ヨーロッパ通貨単位European Currency Unit(ECU)を創設し,為替相場算定等の際の計算単位のほか,EC通貨当局間の決済手段としての役割を与える。ECUとは具体的には,EMS参加国通貨にイギリス・ポンドを加えた9通貨におのおのの経済力に応じたウェイトを付けて合成したマーケット・バスケット方式の通貨で,毎日算定される。
(2)EMS参加通貨はECU表示の基準相場を決定し,これに基づいて各国通貨間の中心相場を算定,その上下に各2.25%の変動幅を設定する(イタリアにだけ上下各6%の変動幅を認める)。
(3)参加通貨相互間の変動幅を上記の限度内に維持するため,2段階の措置がとられる。まず各通貨のECUに対する最大変動幅(バスケット内の各通貨のウェイトに応じ各通貨ごとに異なる)の75%のところに〈乖離(かいり)の限度〉を設け,その限度に達した通貨の当該国は市場介入,国内金融政策,基準相場の変更等適切な措置をとるものとする。次に二国通貨間の為替変動幅が2.25%に達した場合には,両国中央銀行は介入によりこの限度を維持する義務がある。
(4)市場介入資金のファイナンスのため,以下の信用供与制度を設ける。まず超短期信用供与制度(金額無制限)を各国中央銀行に設け,決済は介入月の月末から45日後とする。次に短期(期間2~5年)の信用供与制度を設ける。その資金源として各国は金およびドル準備の各20%を預託してヨーロッパ通貨協力基金European Monetary Cooperation Fundを設け,その見返りとして各国にECUが供与される。資金規模は短期140億ECU,中期110億ECU,計250億ECUとする。
(5)各国中央銀行間の決済手段としてECUを用いるものとする。
発足後約5年間のEMSの経緯をみると,比較的頻繁に各国通貨の平価調整を行いながらもEMSを離脱した国はなく,その意味でいちおう順調に推移してきたといえる。しかし,(1)ECUの介入,決済手段としての役割がほとんど果たされず,もっぱら計算単位としてのみECUは使用されてきたこと,(2)短・中期信用供与制度がまったく利用されていないこと,などEMS発足当時に企図された本格的な通貨統合への道はなお遠い。
→国際通貨制度
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1978年3月,欧州理事会でシュミット西ドイツ首相によって提案され,12月ブリュッセルでの欧州理事会でイギリスを除いて決定され,79年3月に発足した通貨制度。当初8カ国が参加。新たな通貨単位エキュ(ECU)が創設され,通貨協力のために信用供与の制度が強化された。しかし,イギリスが参加を見送ったことや為替平価調整が頻繁だったことから,各国間の対立が起こった。その後,経済通貨同盟(EMU)が設立され,統一通貨単位はユーロ(EURO)となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…近隣諸国との間で安定した為替相場で貿易取引を行う一方,投機的資本移動により国内金融情勢が攪乱(かくらん)されるのを防止する目的で,第2次大戦後若干の欧州諸国が採用していたことがある。 なお,複数の国が通貨同盟を構成し,域内では固定相場制を,域外通貨に対して変動相場制を採用することもあり,ヨーロッパ通貨制度(EMS)はその好例である(〈共同フロート〉の項参照)。為替相場【天野 明弘】。…
…この政治的動機は上記の経済的理由と矛盾するものではない。関税同盟および基幹産業の共同体から出発したECは究極には政治同盟をもめざしているが,その目標へさらに一歩近づくためにヨーロッパ通貨制度(EMS)という通貨同盟を1979年に発足させた。この制度はEC各国の通貨とならんでヨーロッパ通貨単位(ECU)をもち,共同フロートという形で加盟国の通貨の為替相場の変動幅を上下各2.25%以内に抑制している。…
… ECは,68年7月までに関税同盟を完成し,共通農業政策を遂行し,70年代以降は共通通商政策を,さらに外交主権は構成国に残しながらも外交政策を調整するメカニズムとしてヨーロッパ政治協力(EPC)を開始した。通貨協力の面では,71年から経済通貨同盟(EMU)によって為替相場の安定に努めたが,国際通貨体制の動揺と2度にわたる石油危機で,79年3月に誕生したヨーロッパ通貨制度(EMS)に移行した。 87年7月に発効した単一ヨーロッパ議定書(SEA)は,ECの政策領域を明確にするとともに拡張した。…
※「ヨーロッパ通貨制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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