グレーブナー
Fritz Graebner
生没年:1877-1934
ドイツの民族学者。文化圏説の提唱者として知られる。ベルリンに生まれ,はじめヨーロッパ中世史を専攻,のち民族学に転じ,ベルリン,ケルンの民族学博物館に勤務した。1904年,オセアニアにおけるさまざまな文化要素の分布状態から,そこにおける数個の文化圏と文化層を設定し,それによってオセアニア文化史および民族移動史を再構成した(《オセアニアにおける文化圏と文化層》)。09年,彼は《メラネシアの弓文化》において,オセアニアにおける文化複合を全世界的に適用しようとしたが,これは失敗に終わった。彼のオセアニア文化史の構想には批判が多いが,すぐれた着想も多く,その歴史民族学の方法論を《民族学の方法》(1911)として公にした。
執筆者:大林 太良
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グレーブナー
Graebner, Fritz
[生]1877.3.4. ベルリン
[没]1934.7.13. ベルリン
ドイツの民族学者。ベルリン,次いでケルンの民族学博物館に勤務するかたわら,いわゆる文化圏学派の研究法を確立した。『オセアニアにおける文化圏と文化層』 (1904) ,『メラネシアの弓文化』 (09) ,『民族学の方法』 Methode der Ethnologie (11) などの著作で,質規準と量規準を文化領域,文化圏とそれらの伝播,移動の歴史的関係を推論する方法規準として示した。この考えは進化主義に対する伝播主義 (→伝播論 ) であり,文化上の異同を理解するのに社会間の相互の接触を重要視した。また,特に物質文化の研究により,文化複合形成に作用する伝播の過程を指摘した。
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「グレーブナー」の意味・わかりやすい解説
グレーブナー
ドイツの民族学者。文化の進化論に反対しその伝播を重視し,B.アンカーマンとともに文化圏説を成立させた。オセアニアとアフリカ両地域の数個の文化圏を対応させ,それが時間的に文化層として継起することを証明した。著書《民族学の方法》。
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世界大百科事典(旧版)内のグレーブナーの言及
【文化圏説】より
…文化圏Kulturkreisという用語は,以前から一般的な概念として存在していたが,民族学の専門用語として1898年に[L.フロベニウス]が初めて導入した。1904年における[F.グレーブナー]の《オセアニアにおける文化圏と文化層》,H.アンカーマンの《アフリカにおける文化圏と文化層》の講演,さらに1911年のグレープナーの《民族学方法論》において,文化圏説は確立し,[W.シュミット]とW.コッパースは《民族と文化》(1924)において全世界にまたがる文化圏体系を設定した。シュミットやコッパースは,その学問を文化圏説とは呼ばず,文化史的民族学と称した。…
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