ドイツの天文学者。コペルニクスの太陽中心説を支持したが,従来,円運動で説明されていた惑星運動を楕円軌道で表し,現代の教科書のうえでは,惑星運動の〈ケプラーの法則〉によって知られる。これは惑星は太陽を一焦点とする楕円軌道を描くという第1法則,軌道上の惑星の運行速度を定める第2法則,そして諸惑星の太陽からの距離と公転周期の関係を述べた第3法則とからなり,これらをさらに深いレベルで説明するために,のちにニュートンの力学が導かれた。ケプラーは宗教改革の嵐の中,グラーツやプラハなど各地を転々として生涯を終える。当初はプロテスタント神学を学び,数学や天文学の大学教師を務めたこともあったが,おもに君侯の庇護により,天文学や占星術に従った。天文学者としての仕事では,T.ブラーエのいたルドルフ2世治下のプラハでともに研究に従事し,その死後はブラーエの観測をまとめるとともに自分も天体観測を行って,《ルドルフ表》を1627年に完成させている。惑星運動の物理的原因の探究に関心をもち,太陽から発散する力によって惑星の運動,ケプラーの第1,第2法則をも説明しようとした試みは,《新天文学》(1609)に見えている。
17世紀の近代科学建設期に活動した彼の研究や発見の契機には,彼独特の美意識,新プラトン主義的な神秘思想が潜んでいる。その科学思想も深い意味での秩序と調和感によって満たされており,それはまた創造主としての神に直接結びつけられる。そこで彼は一種の宗教的情熱をもって宇宙における数学的調和をあくことなく求め続けた。《宇宙の神秘》(1596)において諸惑星軌道の大きさと五つの幾何学的正多面体の関係を求め,それがより数値的に精密になって,《世界の調和》(1619)でケプラーの第3法則になったのも,こうした動機に基づく探究の結果であった。《宇宙の神秘》《新天文学》《世界の調和》は彼の代表的な作品で,その中にケプラーの三つの法則は含まれている。《屈折光学》(1611)など光学上の業績も無視できない。晩年の作としては《夢》(1634)がある。これは月への旅行というサイエンスフィクションのはしりであり,同時に月から見た天体の運行を語ることによって,彼が熱心に支持したコペルニクスの太陽中心説を読者に説得する仕掛けになっている。
執筆者:中山 茂
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(2013-5-21)
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1571~1630
ドイツの天文学者。1609~19年「惑星の3法則」を発見して地動説を数理的に完成した。また彼の『ルドルフ惑星表』(27年刊)はその後100年間にわたり天文計算の土台となった。
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…フィレンツェ・プラトニズムの雄M.フィチーノは《太陽と光についてDe sole et lumine》を著して,その先鞭をつけたが,こうした新傾向の洗礼を受けた一人にN.コペルニクスがいた。まさしく天体の中でももっとも神聖な太陽こそ,そして中心からすべてを〈流出〉する源としての太陽こそ,宇宙の中心にあるべきであるとするコペルニクスやJ.ケプラーが,プトレマイオス流の地球中心的宇宙モデルを太陽中心的モデルに書き換えることになったのは,そうした太陽崇拝思想の結果としてむしろ自然なことであった。 しかし,コペルニクスにせよ,その太陽中心モデルを強力に支持したケプラーにせよ,あるいはG.ガリレイにせよ,宇宙の同心球構造と,その限界(閉鎖性)については疑問をもっていなかった。…
… その後,17世紀ごろまで目だったものはなかったが,地球と宇宙そのものに対する理解が深まるとともに,多くの人によって宇宙旅行が空想されるようになった。多くの観測データをもとに,惑星が太陽を焦点とする楕円軌道上を動くことを発見したJ.ケプラーも,月への旅行について思いを巡らし《ソムニウム(夢)》という月に移住する話を著した。またイギリスの僧侶F.ゴドウィンはこれをさらに発展させて,月の植民地を論じた書物を著しているし,シラノ・ド・ベルジュラックも,《日月両世界旅行記》に露の蒸発を利用して月に到達するという話を残している。…
…眼鏡は中世にすでに存在したが,17世紀初頭にこの眼鏡レンズから望遠鏡が発明され,これに続いて顕微鏡も作られた。望遠鏡はその発明直後に,ガリレイによって実用的なものに改良されたが,理論的研究のほうはケプラーとデカルトによってなされた。ケプラーはレンズによる結像理論を打ち立て,さらに,水晶体はレンズであり,網膜上に対象の倒立像が作られることによって視覚が成立することを明らかにした。…
…しかしルネサンスの時代になって,プラトンやピタゴラス学派の思想が原典を通して詳しく理解されるようになるにつれて,調和の観念は再び脚光を浴びるようになった。とりわけケプラーは,その主著のひとつが《世界の調和Harmonice mundi》(1619)と題されていることからもうかがえるように,世界の調和の観念を基軸に据えて,コペルニクスの太陽中心説を独特の仕方で展開した。和声【横山 雅彦】。…
…天文学が古くから高い段階の学問として成長したのは,それが民衆の生活に必要な知識を提供したばかりでなく,天体の運動にみられる整然さの中に人々が法則性をつかみとることができたからである。 近世における天文学はコペルニクスの地動説に始まり,ケプラー,ガリレイを経てニュートンに至って大きく進歩した。彼が発見した一般の力学法則および万有引力則に基づいて,18世紀には天体力学が著しく発達した。…
…彼は六分儀や四分儀などの器械を作ってここに置き,精密な天文観測を行ってその記録を残した。一時彼の助手をつとめたJ.ケプラーは,1609‐18年,この記録を整理して,有名な惑星運動の3法則を導いたのである。 一方,中国でも,伝説上ではあるが,尭帝の時代に,恒星の南中を観測して1年の長さをきめていたとされている。…
…〈井戸水を満たし……〉と銘文にしるされているのは,他の容器の体積との比較や倍量の構成のための具体的手段を教えるものと解される。 時代も地域もまったく異なるが,これとよく似た標準器が17世紀にドイツの天文学者J.ケプラーの手で作られた。これも円筒形で,直径は1エルレ,深さは2フースとし,体積を1アイメルと定め,また,これにドナウ川の水を満たしたときの質量の2/7を1ツェントネルZentnerと定めた。…
※「ケプラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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