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コスタ Costa, Andrea

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コスタ
Costa, Andrea

[生]1851.11.30. イモラ
[没]1910.1.19. イモラ
イタリアの社会主義者。青年期に M.バクーニンと接触をもってアナーキズムの活動家となり,第1インターナショナルのイタリア支部が反権威主義的立場に立つことに貢献した。 1870年代のいくつかの蜂起計画に参加したあと,フランスに逃れ,79年に公開書簡を発して蜂起による社会革命論から政党を形成しての政治活動への方針転換を宣言した。帰国後の 81年に出身地ロマーニャで社会革命党を結成し,82年にイタリア最初の社会主義議員となった。 92年イタリア勤労者党 (社会党の前身) が創設されるとこれに加わり,1909年社会主義運動の長老として下院副議長に選出された。

コスタ
Costa, Isaäc da

[生]1798.1.14. アムステルダム
[没]1860.4.28. アムステルダム
オランダの評論家,詩人。ポルトガルから移住したユダヤ系豪商の出身。ビルデルダイクの影響を受け,ライデン大学に学んだ。『精神の世紀に対する異論』 Bezwaren tegen den geest der eeuw (1823) では自由主義,啓蒙思想,フランス革命に対して激しい攻撃を加えた。ほかに政治詩集『25年間,1840年の歌』 Vijf en twintig jaren. Een lied in1840 (40) ,『番人,夜に何かあったか?』 Wachter,wat is er van den nacht? (48) など。

コスタ
Costa, Lorenzo

[生]1450頃.フェララ
[没]1535.3.5. マントバ
ルネサンス期のイタリアの画家。生地フェララで修業。 C.トゥーラの弟子であったと考えられ,彼のきびしい造形に強い影響を受けている。しかし 1485年からボローニャに移り,そこでボローニャ派の画家フランチアと共同で仕事をして以来,その画風をやわらげた。 1506年にはマンテーニャの後継者としてマントバ公の宮廷画家となった。晩年は宗教画,歴史画に専念。作品は『寓意画』 (ルーブル美術館) など。

コスタ
Costa, Lucio

[生]1902.2.27. ツーロン
[没]1998.6.13. リオデジャネイロ
フランス生れのブラジルの建築家。 1924年リオデジャネイロの国立美術学校を卒業し,31年同校の理事に就任。 39年に O.ニーマイヤーらとリオデジャネイロの教育保健省庁舎を設計し,中南米における代表的な現代建築と評価される。同年ニューヨーク万国博覧会のブラジル館も手がける。 56年にはブラジルの新首都ブラジリアを設計。官公庁の建物を直線的に配し,その両翼に居住区域を設けるという,飛行機に似た斬新な都市が5年後に完成した。モダニズム様式や機能主義を取入れた現代建築を設計する一方で,ブラジル国内の歴史的建造物を修復する活動にも積極的にかかわった。

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百科事典マイペディアの解説

コスタ

イタリア社会主義運動創始者の一人。1877年スイスに亡命,ロシア人ナロードニキのアンナ・クリショフと同棲。パリで投獄されるが1879年に出獄。初めバクーニン派だったがのちマルクス主義者に転じ,1892年イタリア社会党を創立した。

コスタ

イタリアの画家。おもに生地フェラーラとボローニャで活動。宗教的・神話的な主題を描いたが,抒情味のある風景が画面の重要な要素となっており,のちのバロック風景画の母胎の一つとなった。

コスタ

ブラジルの建築家。フランスのトゥーロン生れ。ル・コルビュジエニーマイヤーらとリオ・デ・ジャネイロ公共建築の設計に携わったのち,1956年ブラジルの新首都ブラジリア都市計画を設計した。

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世界大百科事典 第2版の解説

コスタ【Andrea Costa】

1851‐1910
イタリアの社会主義者。パリ・コミューンの影響を受け,バクーニンに共鳴。カフィエーロと共にインターナショナル・イタリア連合,〈反権威〉インターナショナルの結成に参画。アナーキストとして活躍した。1877年スイスに亡命,ロシア人ナロードニキのアンナ・クリショフと同棲。パリで投獄され,79年出獄後,合法的社会主義への転向を表明。最初の社会党議員として国会に入る(1882‐1910)。1909年,下院副議長。

コスタ【Joaquín Costa y Martínez】

1846‐1911
スペインの思想家,政治家。アラゴンの農家に生まれる。19世紀末,農業改革を基礎としたスペイン刷新運動の指導的人物となり,王制を打破する方途として,共和国主義を捨て革命を主張した。〈98年の世代〉の思想的先駆者といえる。主著に,アテネオ・デ・マドリードでの連続講演(1901‐02)をまとめた《寡頭主義とカシキスモ》がある。1903年,上院議員に選出されたが,むしろ院外での活動を重視した。【鈴木 昭一】

コスタ【Lúcio Costa】

1902‐98
ブラジルの建築家,都市計画者。フランス生れ。ブラジルの風土に適した現代建築の進むべき方向を示し,後世代のネオ・モダニズム建築家に大きな影響を残した。1936年ル・コルビュジエをブラジルに招き,彼の基本構想のもとにO.ニーマイヤーらの若手建築家を文部省建設プロジェクトに参加させる。50年からの新首都ブラジリア建設の主任建築監督としてマスタープランを作成した。【加藤 薫】

コスタ【Orazio Còsta】

1911‐
第2次大戦後のイタリア演劇を代表する演出家の一人。ローマ国立演劇アカデミー卒業後,パリでJ.コポーに師事。1948年ローマ,ピッコロ・テアトロ(ピッコロ座)を創立,54年まで活動を続けた。強い道徳観に支えられて力強く反自然主義的演出を特徴とする。100本以上の演出があるが資質的に見て,彼が最も本領を発揮したのはイプセンおよびU.ベッティの諸作品の演出である。他にV.アルフィエーリの戯曲の上演でも好評を博した。

コスタ【Uriel da Costa】

1585‐1640
近世初期のユダヤ人自由思想家。ポルトガルのマラーノ(キリスト教に改宗したユダヤ教徒)出身であったが,ユダヤ教に改宗,迫害を逃れてアムステルダムへ移住した。しかし,彼の理神論的主張と既成宗教批判のため,ユダヤ教徒コミュニティから破門された。のちに,自説を撤回して破門を解かれたが,自伝を書いて自殺した。スピノザの先駆者として,啓蒙思想家に大きな影響を及ぼした。【石田 友雄】

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世界大百科事典内のコスタの言及

【ペルー】より

…また大統領権限の強化,軍の影響力の高まり,司法の独立性の弱さ,長期政権化など,フジモリ政権の民主主義との関係が問われている。【遅野井 茂雄】
【経済】
 ペルーは地理的にコスタ(沿岸部),シエラ(山岳部),セルバまたはモンタニャ(森林部)に三分されるが,これは経済上の区分でもある。シエラは先住民人口の多い地域で,1969年の農地改革までアシエンダと呼ばれる大所有地と先住民共有地が並存してきた。…

※「コスタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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