ベンガル湾に面するインド半島東部海岸のうち,クリシュナー河口からチェンナイ(旧マドラス)を経てコモリン(カニヤー・クマリ)岬に至る延長およそ720kmの海岸。コロマンデルの名は,9~13世紀に栄えたチョーラの国Chulamaṇḍalamに由来する。この海岸平野は,第三紀末につくられた東にゆるく傾く浸食平野が,第四紀完新世の海進によって沖積層に薄くおおわれたもので,内陸側の浸食平野は東ガーツ山脈の山麓線と,標高100~150mで接している。内陸側の浸食平野を含めた広義の海岸平野の幅はおよそ100kmであるが,カーベーリ川やクリシュナー川の下流では大規模な三角州の張出しによって200km近くとなる。海岸線は全体として平滑な砂質海岸であり,よく発達した浜堤と砂丘,その背後のラグーン(潟湖)などが内陸10kmまで何条かに分かれて配列している。マドラスのマリーナ・ビーチはよく知られている浜堤海岸であり,マドラス港の建設以来南方に成長している。全般的に離水海岸の特徴を示すなかで,マハーバリプラムMahābalipuram,ローヤプラムRoyapuramなど海中に没した遺跡もある。
雨季は北東モンスーンがベンガル湾から雨をもたらす冬であり,夏はかえって乾季となる。そのため,古くから米作はタンク(溜池)による灌漑に頼っていたが,クリシュナー川,カーベーリ川下流では19世紀末以降,大規模河川灌漑によって水田面積を飛躍的に増大させた。しかし,上流のカルナータカ州内の水利用が進捗しているので,州間の水紛争はしだいに深刻度を増している。夏季に晴天が多いので,古くから天日製塩が行われている。ポンディシェリーをはじめ近世初期にヨーロッパ人が来航開発した港が多いが,いずれも波浪が高かったり,水深が足りないなど近代港湾として発展する条件に欠けている。現在のチェンナイ港は1909年に巨費を投じてつくられた人工港で,この海岸唯一の貿易港として重要な役割を担ってきた。近年タミル・ナードゥ州南部のトゥーティコリンTūticorinに近代的工業港が建設され,近くで肥料・化学工場が稼働している。
執筆者:藤原 健蔵
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インド半島東岸、クリシュナ平野からカーベリ・デルタの先端カリメール岬までの、約700キロメートルにわたるベンガル湾に面する海岸。年平均気温28℃、年降水量1000~1400ミリメートルの亜熱帯海岸で、幅1~5キロメートル、高さ10メートルほどの砂丘とヤシの美しい砂浜海岸が続き、漁村や別荘地が点在する。背後にはプリカット湖やカリベリ湖をはじめ潟湖(せきこ)が広がる。所々に、デカン高原に発するカーベリ川、ペンナ川、パラール川、ポンナイヤール川、クリシュナ川が海岸に広大なデルタを形成している。紀元前のチョーダ王朝、11世紀なかばまで続いたチョーラ王朝がこの地に栄え、タミル語のチョラマンダランが地名の由来となった。17世紀以後、オランダ、フランス、イギリスの植民根拠地となり、イギリスはチェンナイ(マドラス)を占有した。チェンナイ、プドゥチェリ(ポンディシェリ)、カッダロールが主要都市である。チェンナイ近郊にはかつて東南アジア移民や貿易の基地で、観光地として有名なマハバリプラム海岸寺院がある。主要港にはナーガパッティナム、カッダロール、プドゥチェリ、チェンナイがある。北東モンスーンの影響で10、11月に雨が多い。
[成瀬敏郎]
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インド東南部のベンガル湾沿いの海岸。コロマンデルの名は「チョーラの国」という言葉に由来する。古くからインド洋の海上交易の中心地であった。ヨーロッパ諸国のインド進出以降は,マドラスやポンディシェリをはじめ,各地に商館や要塞が建設された。18世紀にはカーナティック戦争の舞台となり,勝利したイギリスは,この地から南インドにおける覇権を確立していった。
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