カナダ史において,1867年7月1日の〈カナダ自治領〉の形成に結実する一連の運動の総称。狭義には1864年9月のシャーロットタウン会議にその開始を求めることができるが,広義には1841年のアッパーおよびロワー両カナダ植民地の統合にその萌芽を認めることもできよう。あるいは英領北アメリカ植民地の統合という観念は,アメリカ合衆国の誕生をみたアメリカ革命の所産ともいえる。こうした古くからの課題が実現する対外的要因としては,自由主義を謳歌するイギリスの植民地離れと,南北戦争後のアメリカの膨張主義,保護主義の強化があげられる。また対内的には連合カナダ植民地における政治的行詰りと沿海植民地統合の気運,あるいは英領北アメリカにおける交通革命の結果,鉄道建設が盛んになったことがあげられよう。沿海植民地連合を討議するためにシャーロットタウンに集まった〈建国の父祖〉は,オブザーバー格で参加していた連合カナダ植民地代表に説得され,1864年10月,ケベックで全英領北アメリカ植民地の統合を論議するために集合した。このケベック会議で得られたコンフェデレーションの構想は,72ヵ条にわたる〈ケベック決議〉として3植民地の認可を得,イギリス議会で可決されたのち,〈英領北アメリカ法〉(1867)として発効し,オンタリオ,ケベック,ノバ・スコシア,ニューブランズウィックの4州から成るカナダ自治領が成立した。コンフェデレーションの特徴はその名の示すとおり連邦制度を採用することにより,特色ある歴史と伝統をもった各州と,一国としてのカナダ全体との利害をいかに調和させたかという点にある。その意味で〈英領北アメリカ法〉の91条と92条,すなわち連邦政府と州政府の権限の分割はその後のカナダの歴史を性格づけるものであった。1870年にマニトバ州が,71年にはブリティッシュ・コロンビア州が,73年にはプリンス・エドワード・アイランド州が,1905年にはサスカチェワン州とアルバータ州が,49年にニューファンドランド州がカナダに加わり,〈建国の父祖〉によるコンフェデレーションの構想は達成された。
執筆者:大原 祐子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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[自治領カナダの成立と発展]
1867年,自治領カナダを結成したのは,ノバ・スコシア,ニューブランズウィック,そして,連合カナダ植民地が解体して誕生したオンタリオとケベックの4州であったが,そのほかに,イギリス領北アメリカには3植民地とハドソン湾会社が1670年から領有する広大な領域が存在した。これらの植民地がイギリスの支配を脱し,カナダに参加する動きを総称して〈コンフェデレーション〉というが,正確にはコンフェデレーションは1949年のニューファンドランド州の参加をもって終了する。その間にマニトバ州が1870年,ブリティッシュ・コロンビア州が71年,プリンス・エドワード・アイランド州が73年,そしてアルバータとサスカチェワンの両州が1905年にコンフェデレーションを実現している。…
※「コンフェデレーション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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