イギリスの詩人、批評家、哲学者。デボンの牧師の子に生まれる。ロンドンのクライスツ・ホスピタル校では、早く父を失い、母と別れてひとり寄宿舎生活に耐えながら驚くべき神童ぶりを発揮した。その様子を、同校で親友となったC・ラムが、のちに『エリア随筆』において描いている。ケンブリッジ大学在学中に騎兵隊に志願入隊したり、友人サウジーとアメリカに原始共産主義的共同体(パンティソクラシー)の建設を夢みたり、雑誌を刊行したりするが、いつも挫折(ざせつ)する。結婚生活も不幸で、のちに親交を結んだワーズワースの義妹セアラSara Hutchinson(1775―1835)にかなわぬ恋を捧(ささ)げ続ける。ワーズワースとの不和をもたらした性格的な弱さ、アヘン吸飲を招いた肉体的な病苦などのために、死に至るまで幸福を知らぬ生涯であった。
1798年、ワーズワースと共著で、イギリス・ロマン主義ののろし『抒情民謡集』を匿名出版。その巻頭を飾った罪と贖罪(しょくざい)の物語詩『老水夫の歌』を「煉獄(れんごく)編」とすれば、アヘンの夢のなかで見た至福の幻を自動的に記述したといわれる、英語による最初のシュルレアリスム(超現実主義)詩『クブラ・カーン』は「天国編」であり、無垢(むく)と汚辱をめぐる悪夢的儀式とも思われる未完の物語詩『クリスタベル』は「地獄編」である。これら三つの代表作は、いずれも象徴的な設定のなかに人間の条件と意識の深淵(しんえん)を探求した幻視的傑作である。ほかに『深夜の霜』など「会話詩」とよばれるいくつかの独自な佳品も同じく1798年前後の短い時期に生み出された。しかし詩的創作力は急速に衰え、その苦しみを歌った『失意の歌』(1802)がいわば最後の秀作となる。それとともに批評家、思想家としての成熟が始まった。代表的評論『文学的自伝』(1817)や、講演、談話などによるシェークスピア論は、批評史上の巨匠の位置を保証するに足るものである。
18世紀合理主義を批判し、想像力の優位を主張する彼の哲学的方法論は、カント以後のドイツ先験論哲学を吸収しながら、独特の詩的直観と心理的洞察に裏づけられている。とくに言語分析に基づく作品の有機的統一性の強調は、20世紀の新批評(ニュー・クリティシズム)など後代に大きな影響を及ぼした。彼の思索は宗教、神学、政治にまで及び、19世紀中葉のキリスト教運動や政治思想は彼から多くの栄養と刺激を得ている。H・リードは彼のなかにキルケゴール的な「実存主義者」をみているし、他方、1957~2002年に刊行された膨大なThe Notebooks of Samuel Taylor Coleridgeは、フロイトを予言する深層心理への省察に満ちている。あたら詩才を空費せしめた理論癖(へき)、ドイツ哲学の受け売り、自己の体系を築きえぬ饒舌(じょうぜつ)な虚言症、といった汚名から解放されて、彼はいま、ロマン主義の代表的詩人、批評家として、古今東西にわたる博識にものをいわせて、思想の狭い区分を越えた探求者として、現代への重要な問題提起者として、再評価されつつある。
[高橋康也 2015年7月21日]
『斎藤勇・大和資雄訳『コウルリジ詩選』(岩波文庫)』
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