サモア(読み)さもあ(その他表記)Independent State of Samoa 英語

共同通信ニュース用語解説 「サモア」の解説

サモア

南太平洋サモア諸島西部のサバイ、ウポルなど9島から成る。人口は約20万人。約90%がポリネシア系で、伝統的な社会制度を保つ。1962年、南太平洋地域で最初に独立。97年に国名を西サモアから「サモア独立国」に改称した。サモア諸島の東側にあるのは「米領サモア」。主要産業は農林業や漁業で、観光が大きな収入源。ニュージーランドなどへの移民からの送金が国家財政に大きく貢献しているとされる。「国技」とされるラグビーを通じて日本との交流も盛ん。(アピア共同)

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精選版 日本国語大辞典 「サモア」の意味・読み・例文・類語

サモア

  1. ( Samoa ) サモア諸島西部を占める独立国。ドイツ領、ニュージーランドの委任統治信託統治を経て、一九六二年に西サモアとして独立。九七年、国名をサモア独立国に改称。首都アピア。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サモア」の意味・わかりやすい解説

サモア
さもあ
Independent State of Samoa 英語
Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa サモア語

南太平洋中部、東半球のポリネシアにある群島国家。正称サモア独立国Independent State of Samoa。国土面積2935平方キロメートルは、神奈川県よりも若干大きい程度。人口18万5000(2006年推計)、18万8000(2009年、世界銀行)。ニュージーランド施政下の国連信託統治領であったが、太平洋島嶼(とうしょ)諸国のなかではもっとも早い1962年に独立を果たした。使用通貨はタラで、サモア語と英語を公用語にしている。首都アピアはウポル島の北海岸中央に位置し、人口は約4万。

[小林 泉]

自然・地誌

18キロメートルの海峡を挟んでサバイイ島(1700平方キロメートル)とウポル島(1115平方キロメートル)の二つの火山島および七つの小島からなる。サバイイ島の最高峰シリシリ山は1856メートル。気温は21~30℃で5月から10月までが乾期、11月から4月までが雨期だが、冬にあたる乾期に南東の貿易風が吹くとかなり涼しくなる。比較的領土の大きなこの島では、植生豊かな土地を基盤にした伝統的なポリネシア人の暮らしが色濃く残っている。

 島の南側に位置するトンガとの間に日付変更線を斜めに通していたため、ほぼ同じ経度に位置するトンガと丸一日の時間的ずれがあった。これはかつて関係の深かった東側のアメリカ領サモアやハワイと同じ日付にするための配慮であったが、緊密関係にあるニュージーランドや隣国トンガ、オーストラリアとの交流上の不都合が大きくなったため、2011年12月に日付変更線を変えて西半球諸国と一致させた。独立時には国名を「西サモア」と称していたが、1997年に「サモア」に改称、右側通行だった道路交通を2009年にイギリス式の左側通行にするなど、これまでも国家的な大変更を幾度か実行してきた。

[小林 泉]

歴史

南側の隣国トンガとの文化的結びつきが大きく、紀元900年ごろからの一時期にトンガの支配下にあったとの伝承が残っている。18世紀にはフランス人の探検家や貿易商が相次いで上陸した。19世紀に入ると数多くの西洋人が定住。また、イギリス、イタリア、アメリカからの宣教師らが次々に訪れてキリスト教の布教をした。19世紀後半になるとドイツの進出が著しく、イギリス、アメリカ、ドイツの三国は、部族抗争に明け暮れるサモアの有力族(酋)長を取り込みながら支配権獲得に奔走した。1899年末、三国間で条約が締結され、サモア諸島の東部をアメリカ、西部をドイツが統治することになった。イギリスは、ドイツがソロモン諸島およびトンガから撤退することを条件にサモア利権を放棄した。ここからサモア諸島の東西分裂の歴史が始まる。サモア諸島の東端にあるツツイラ島は、それ以来アメリカ領サモアとなっている。

 ドイツ統治になると、押さえつけられていたサモア内の部族抗争のエネルギーは、政府に抵抗するマウ(異議申し立て)運動へと転化する。この運動は、第一次世界大戦でのドイツ敗戦以後に施政国となったニュージーランド時代になっても完全には収まらなかった。第二次世界大戦後の太平洋島嶼地域では、かならずしも独立機運が高まらなかったが、そのなかでいち早く自治、独立への準備を進めたサモアにはマウ運動の流れがあったからである。

 国民の大半はポリネシア系である。身長が高く、彫りの深い顔立ちの人々を見た接触当初の西洋人は、彼らをコーカソイド人種だと報告していた。サモア人アグレッシブで戦闘好きだとの評判もあるが、一方で冒険小説『宝島』の作家スティーブンソンが住み着いたことからうかがえるように、人々を魅了する陽気で友好的な気質を備えている。

[小林 泉]

政治・社会

政体は国家元首が伝統4部族の長から選ばれる立憲君主制国家。2012年3月時点でトゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィTuiatua Tupua Tamasese Efi(1938― 、在任2007~ )が元首であるが、独立時は4部族長のなかから1人に絞りきれず二人元首の時代が続いた。元首に実質権限はなく、議会の承認によって国事行為を行う。議会は一院制、議席数49の議院内閣制で議員の任期は5年。政府は首相と12人の閣僚で構成される。

 ポリネシアの伝統がいまも引き継がれているサモアでは、社会構造が政治、経済構造に密接に結びついている。拡大家族(父系あるいは母系にそって親と、結婚した子どもの家族が一緒に住むことで拡大する家族形態。拡張家族ともいう)「アインガ」の家長をマタイとよび、このマタイを中心に社会の構造が成り立つ。アインガは伝統社会の生産単位であり、共同生活単位であった。以前は、マタイにだけ選挙権が与えられていたが、1991年からは21歳以上のすべての国民が投票権を得た。ただし、被選挙権はいまでもマタイだけにある。例外として、選挙地盤をもたない欧米系などの移民者のために2議席だけは別枠で確保されている。

 ところが近年では、この制度が時代にあわなくなってきた。拡大家族や村の生産を指揮し、一族の秩序をつかさどるマタイが政治家や公務員となって国のために村を離れたり、海外に出たりするケースが増えたからである。指導者を欠いた村では補充が必要となりマタイ数は増え続けて2万5000人とも3万人ともいわれる。マタイ称号は政府に登録され、社会的名誉でもあるから、本来の任務が果たせなくなっても返上する者はいない。このように、近代と伝統との相克は国家的な悩みとなっている。それでも近隣諸国と比べれば内政は安定している。1988年以来首相を務めていたトフィラウTofilau Eti Alesana(1924―1999)は1998年11月に病気を理由に辞任を表明したが、その後継となった当時の副首相兼蔵相トゥイラエパTuilaepa Lupesoliai Sailele Malielegaoi(1945― )は、2012年時点でも首相の座を守っている。

 伝統色が強い一方で、キリスト教が浸透し、国民の大半がキリスト教徒プロテスタント)である。学校教育も普及しているため、公用語の英語はだれもが理解する。旧宗主国ニュージーランドとの結びつきが強く、サモア人特別枠により毎年1000人以上がニュージーランドに移民している。

 教育はきわめて制度化されている。8年制の初等教育では、6年生まではサモア語で、7~8年生は英語で実施される。初等教育修了時に国家試験があり、これに合格すると5年制の中等教育課程に進学できるが、3年制と5年制の2コースに別れている。5年制コースを修了して国家試験に合格すると、大学進学資格が得られる。国内には南太平洋大学(本校はフィジー)の分校もあるが1984年に国立サモア大学が設立され、海外に行かずに高等教育を受けられるようになった。

[小林 泉]

経済

国民の60%が自給的な農業や沿岸漁業に従事している。1990年代後半からは魚の輸出や観光業が経済に貢献し始めた。だが、2009年9月に発生したサモア沖大地震・津波の影響を受け、観光収入の減少や災害復興資金の需要により厳しい経済情勢となった。小規模な国内市場に加え、消費財の多くを輸入に頼るという典型的な島嶼的経済構造であるため、慢性的な貿易赤字を抱えているにもかかわらず深刻な経常赤字に陥らないのは、海外移住者からの送金や外国援助資金が流入しているからである。

 海外移民はサモア人移民枠を利用してニュージーランドへ渡り、そこからオーストラリアへと流れる。もう一つはアメリカ領サモアの親戚筋をたどってハワイ、アメリカ西海岸に渡る。この二つがおもなコースとなっている。人口の半数近くが海外に居住しており、彼らの本国送金額は国内総生産(GDP)の約2割に相当すると見積もられている。これにより国民1人当りのGNI(国民総所得)は2840ドル(2009年、世界銀行)と比較的高い水準になっている。

[小林 泉]

日本との関係

国民的スポーツのラグビーを通じて、日本との交流が盛んである。55名(2009)の在日サモア人の多くはラグビー関係者である。日本からも青年海外協力隊をはじめとする援助関係者61名(2009)が在留している。対日感情も良好で、サモアにとって日本は最大の援助国である。2008年(平成20)までの累積ODA(政府開発援助)供与額は354.73億円、そのほか2007年には45.98億円の借款も実現した。日系企業が国内最大企業で、2000人超の地元雇用により自動車部品を製造してオーストラリアに輸出している。サモアは2009年東京に大使館を開設、日本は駐ニュージーランド大使館が兼轄する。

[小林 泉]

『山本泰・山本真鳥著『儀礼としての経済』(1996・弘文堂)』『鳩山幹雄著『「最後の楽園」サモアで暮らす』(2000・風媒社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「サモア」の意味・わかりやすい解説

サモア
Samoa

基本情報
正式名称=サモア独立国Independent State of Samoa
面積=2842km2 
人口(2010)=18万人 
首都=アピアApia(日本との時差=-20時間) 
主要言語=サモア語,英語 
通貨=ターラーTālā

南太平洋中部,サモア諸島の西部を占める島国。ドイツ,ニュージーランドの統治を経て1962年に西サモアWestern Samoaとして独立し,97年憲法を改正してサモアと改称した。総面積は鳥取県よりやや小さい。

南緯13°~15°,西経168°~171°の海域にサバイイ,ウポルの両主島,その間のマノノ,アポリマの二つの小島,およびいくつかの小さな無人島から成る。いずれも火山島で中央部には高く山がそそり立つ。最高峰はサバイイ島のシリシリ山(1844m)。平野は首都アピアのあるウポル島北岸中央部に存在するのみである。人口は主としてウポル島北岸およびサバイイ島東岸に集中している。人々は海岸近くに集落をつくって住み,集落の背後で焼畑をつくる。さらに奥は未開拓の処女林である。熱帯貿易風気候に属し,きわめて高温多湿で,年平均気温27℃,平均年降水量3000~4000mmに上る。主食用のタロイモ,クワズイモ,パンノキ,バナナ等のほか,換金作物としてココヤシ,バナナ,カカオ等を栽培する。旧来の自給自足的漁業がやや専門化しつつあるが,国内需要を満たす程度の規模にすぎない。

 住民はポリネシア人種で比較的混血が少ない。きわめて速やかなキリスト教受容や学校教育の普及など,非常に開明的な面をもつ一方,大家族制に基づく首長制や原始貨幣としての〈ござ〉を用いた互酬的交換制度など,伝統文化をよく保存していることで知られている。アメリカの影響を強く受けた東隣のアメリカ領サモアと比べると対照的に見えるが,本来は同じ文化を共有していた。半自給自足的生活を営んでいるが,現金収入への依存度は高まりつつある。
執筆者:

ヨーロッパ人がサモア諸島を発見したのは1721年であるが,それ以前のサモアはトンガ,フィジーの支配下にあったとみられる。1830年からキリスト教の布教が始まり,40-80年にはイギリス,ドイツ,アメリカなどが勢力争いをし,アピアは欧米の租界化した。99年の協定で,西経171度線を境にドイツが西サモアを領有し,アメリカは東部のトゥトゥイラ島など(現在のアメリカ領サモア)を獲得した。第1次大戦後のベルサイユ条約で西サモアはニュージーランドの国際連盟委任統治領となった。1930年代にはサモア人による独立運動(マウMau運動と呼ばれる。マウは〈抗議〉の意)が起きた。第2次大戦後は同じくニュージーランドによる国際連合信託統治領となった。47年自治組織ができ,62年1月1日イギリス連邦の一員として独立した。76年に国連に加盟した。

 トンガとともに典型的なポリネシアの国で,南太平洋地域の伝統的な社会組織である首長(マタイ)制度が最もよく残っている。独立後,1970年代は高位のマタイが交代で首相の座についた。79年にトフィラウ・エティらが人権擁護党を結成し,82年に同党党首のバアイ・コロネが首相に就任した。独立以来,一院制の国会(任期3年)は定員47のうち,普通選挙で選ばれる2議席(ヨーロッパ系,中国系など非サモア人議席)を除いては,約1万3000人のマタイ称号保持者だけが選挙権,被選挙権をもっていた。90年,トフィラウ・エティ首相は選挙法を改正し,被選挙権はマタイに限るが,選挙権は21歳以上の国民すべてに開放した。同時に定員49,任期5年と改められた。88年以来,人権擁護党が政権の座にあり,トゥプア・タマセセ元首相の国家開発党が野党。

 おもな輸出入先は旧宗主国のニュージーランドが断然多く,オーストラリアがこれに次ぐ。ニュージーランドへの出稼ぎ者,移住者約4万人による本国送金は貴重な外貨収入源になっている。歴代政府とも経済開発路線をとり,日本の援助と投資が重要な位置を占めている。国営ホテルを日本資本に売却したり,オーストラリア・日本合弁の自動車部品メーカー,ヤザキを91年に誘致して3000人以上の雇用を生み出したりした。日本は最大の援助国で,空港のターミナルビル,ウポル島とサバイイ島を結ぶフェリー,国立大学建設などを支援している。中国はニュージーランド,オーストラリアに次いでサモアに大使館を開設し(サモアに大使館を開設しているのはこの3ヵ国のみ),台湾に対抗するかたちで政府庁舎,国立競技場を建設した。住居や食習慣の欧米化が90年代に入って急速に進み,人口構成も14歳以下が全人口の40%を超え,ニュージーランド,ハワイなどへの人口流出が目だっている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「サモア」の意味・わかりやすい解説

サモア

◎正式名称−サモア独立国Independent State of Samoa。◎面積−2785km2。◎人口−18万8000人(2011)。◎首都−アピアApia(4万人,2011)。◎住民−サモア人(ポリネシア系)が大部分。◎宗教−キリスト教(会衆派教会,カトリック,メソディストなど)。◎言語−サモア語が大部分,ほかに英語(いずれも公用語)。◎通貨−ターラー。◎元首−トゥイアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィTuiatua Tupua Tamasese Efi(1938年生れ,2007年6月就任,任期5年)。◎首相−トゥイラエパTuilaepa Sailele Malielegaoi(1945年生れ,2001年3月就任)。◎憲法−1962年1月発効。◎国会−一院制(定員49,任期5年)。最近の選挙は2011年3月。◎GDP−5億ドル(2008)。◎1人当りGDP−2015ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−64%(1986)。◎平均寿命−男68.4歳,女74.7歳(2007)。◎乳児死亡率−17‰(2010)。◎識字率−98.8%(2009)。    *    *ニュージーランド北方約2500km,南太平洋中央に位置する小国。ウポル島,サバイイ島の2島と周辺の小島からなる。高温多湿の熱帯貿易風気候の下にあり,コプラ,バナナ,カカオが主産物。 18−19世紀のサモア諸島は部族間抗争の激しい時代で,これに米国,英国,ドイツの3国が介入し,1889年,抗争はようやく鎮静化した。1899年サモアは東西に分割され,東部はアメリカ領サモア,西部はドイツ領とされた。第1次大戦後,西サモアはニュージーランドの国際連盟委任統治領(第2次大戦後は国連信託統治領)となったが,1962年独立した。国家元首は,最高位首長の称号をもつ4家系から選ばれる。選挙権は,伝統的な拡大家族の家長であるマタイのみがもっていたが,1990年の選挙法改正で一般成人にも認められた。ただし被選挙権はマタイに限られている。1997年憲法を改正し,国名を西サモアからサモア独立国に改めた。2011年5月トゥイラエパ首相は日付変更線を変更すると発表,2012年1月に正式導入され,従来より日付が1日早まることになった。
→関連項目マウ運動

サモア[諸島]【サモア】

南太平洋中央部,西経168°〜175°,南緯13°〜15°にある島々。もと王国をなしていたが,1722年オランダ人ロッゲフェーンが来航。1899年西経171°線で,東のアメリカ領サモアとドイツ領のサモア(1962年独立,1997年西サモアから改称)に分割された。
→関連項目サモア語フラハティポリネシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サモア」の意味・わかりやすい解説

サモア
Samoa

正式名称 サモア独立国 Malo Sa`oloto Tuto`atasi o Samoa i Sisifo。英語では Independent State of Samoa。
面積 2831km2
人口 20万3900(2021推計)。
首都 ウポル島のアピア

南太平洋,サモア諸島の西半部を占める国。 1722年にオランダ人が来航,1899年のサモア分割によりドイツ保護領,1920年にニュージーランドの委任統治領,1947年に同国の信託統治領となり,1962年に独立。 1997年国名を西サモアからサモアに改称。立憲君主制で,国会議員の大部分は約1万人の首長の互選で選出される。公用語は英語とサモア語。住民はポリネシア系で,伝統的社会制度を保っている。サバイイ島ウポル島が中心で,かつてはサバイイ島のほうが人口が多かったが,現在は面積の小さいウポル島のほうが人口が多い。このほか人の住む島はマノノ島,アポリマ島。経済の中心はココヤシ,カカオ,バナナ栽培などの熱帯商品作物農業と観光,漁業,林業で,おもな輸出品はカカオとコプラ。おもな輸出先はニュージーランド,ヨーロッパ連合 EUなど。ニュージーランドへの移住者も少なくない。

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旺文社世界史事典 三訂版 「サモア」の解説

サモア
Samoa

南太平洋地域で最初の独立国。旧名西サモア。首都アピア
【略史】ニュージーランド北東約290㎞に位置する王国だったが,1899年東サモアをアメリカが,西サモアをドイツが分割領有。西サモアは,1919年ニュージーランドの国際連盟委任統治領,45年同国の国際連合信託統治領となる。
【独立とその後】1962年に南太平洋地域で最初に独立,立憲君主制を採用。1970年イギリス連邦に加盟,76年国際連合に加盟。貿易収支は常に赤字で,ニュージーランド・オーストラリア・日本からの援助と借款,観光収入などで赤字をうめる。1997年国名をサモアに変更。なお,東サモアは現在でもアメリカ領。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「サモア」の解説

サモア
Samoa

南太平洋中部,ポリネシアの島群。1722年,オランダ人ロッヘフェーンがヨーロッパ人として初めて来航。19世紀後半になると,アメリカ,イギリス,ドイツの3国が支配を争い,結局1899年に米独両国により東西に分割された。東部はアメリカ領サモアとなり現在に至る。西部はドイツ領となったのち,第一次世界大戦後ニュージーランドの委任統治領,信託統治領をへて1962年,西サモアとして独立した。98年に西サモアは国名をサモアと変更して現在に至る。

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