スペイン北東部、アラゴン地方サラゴサ県の県都。エブロ川中流右岸、標高200メートルに位置する。人口61万4905(2001)。首都マドリードをはじめ、地中海沿岸のバルセロナ、バレンシア、ビスケー(ビスカヤ)湾に臨むビルバオなどの重要都市からほぼ250キロメートルの等距離にあり、鉄道、幹線道路の要地。ピレネー山脈中のソンポール峠(1622メートル)を通じてフランスとも結ぶ。エブロ川およびインペリアル運河によって灌漑(かんがい)された豊かな園芸農業地帯の経済的中心地であり、1474年創立の大学をもつ文化の中心地としても栄えている。1964年以降、開発政策の拠点として工業化が推進され、建設、機械、化学、食品などの工業が発展し、人口の急増により市街地が拡大している。モスク跡に建てられたラ・セオ大聖堂(12~16世紀)は、ロマネスク、ゴシック、イスラム、バロックの諸様式の混合建築として知られる。その北西にあるゴシック様式のデル・ピラール寺院(17世紀)とマリア像(14世紀)も名高い。イスラム時代の城塞(じょうさい)も残る。
[田辺 裕・滝沢由美子]
紀元前1世紀末にローマが征服するまでイベリア人が居住しサルドゥバSaldubaとよばれていた。アウグストゥス帝はここにカエサルアウグスタCaesaraugustaという軍事的植民地を形成、そのアラビア語形サラコスタSarakostaが現在の地名の由来である。当時、商業的、軍事的中心地として栄えたが、5世紀にスエビ人に降伏、さらに6世紀に西ゴート人の支配下に入った。8世紀にイスラム教徒が占領、これと闘ったシャルルマーニュ(カール大帝)が一時包囲し、その武勲詩『ロランの歌』に登場する。12世紀初頭アルフォンソ1世によって奪回され、その後アラゴン王国の首都となった(1118)。18世紀に食糧暴動が起こったが、1808~09年にはフランス侵入軍に抵抗した。スペイン内戦では早くから反乱派が占領、東部戦線の前線となった。
[深澤安博]
スペイン北東部,アラゴン地方にある同名県の県都。人口59万3204(2001)。エブロ川の右岸に位置し,ウエルバ川との合流点に近い。ピレネー山脈の豊富な水資源にめぐまれた工業都市であり,周辺の農産物の集散地でもある。かつてはサルドゥバと呼ばれるイベロ族の集落であり,ローマ時代にはカエサルアウグスタの名でタラコネンシス州都であった。452年にゲルマンのスエビ族に,466年に西ゴート族に,そして714年(あるいは716)にはイスラム教徒に征服されたが,1118年キリスト教徒軍によって奪回され,アラゴン王国の首都となった。16世紀,フェリペ2世の時代には中央集権政策に反発したため,従来からの特権を剝奪された。スペイン王位継承戦争(1700-13)にもオーストリア側について敗れたため,特権回復は成らなかった。この戦争では両軍からの侵入を受け,またスペイン独立戦争でも1808年と09年の2度激戦地となったことから,サラゴサは〈不死の町〉と呼ばれる。19世紀半ばからはそれまでの農業中心から工業中心に変わり,現在にいたっている。アナルコサンディカリズムのたいへん強い都市であったが,1936年に始まるスペイン内乱では反乱軍側について戦った。現在,陸軍士官学校が設立されている。旧市街にはゴシック様式の聖堂(12~16世紀)があり,これと広場を隔ててピラルの聖母教会(17~19世紀)がある。ピラルの聖母は全スペインの守護者で,ピラルの名はたいへんポピュラーな女子の洗礼名になっている。
執筆者:フアン・ソペーニャ
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…スペイン北東部の地方。サラゴサ,ウェスカ,テルエルの3県からなり,人口120万8474(1988)。主都はサラゴサ。…
※「サラゴサ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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