フランスの女流作家。本名オーロール・デュパンAurore Dupin、結婚後はデュドゥバン男爵夫人baronne Dudevant。筆名は語源的に「農民」を意味するジョルジュと、文壇にデビューした当時の愛人で共同執筆者サンドーに由来する。1804年7月1日パリに生まれたが、父方の祖母の領地ベリー地方ノアンで育ち、作家生活に入ってパリ暮らしをするようになってもノアンはつねに「故郷」の地であった。父は王家の血を引く軍人、母は小鳥屋の娘という、いわば不つり合いな結婚から生まれ、波瀾(はらん)の生涯を送る。4歳で父の事故死、続いて階級も好みも異なる祖母と母の確執、母との離別などの幼時体験のなかで、平等への願い、愛を追い求める傾向を強めてゆくとともに、唯一の憩いを田園にみいだす。18歳で結婚するが、粗野で知的にも劣った夫に失望、2人の子がありながら別居、作家として自立しつつ「愛の遍歴」を重ねる。なかでもロマン派の詩人ミュッセとのベネチア行き、作曲家ショパンとのマジョルカ島行きが名高い。十指に及ぶ愛人たちとの「事件」は既存の道徳とまったく相いれないものであったが、サンドにしてみれば、真の愛を求めて行動した結果にすぎない。
作家としては多産で、小説70余編、劇作品20余編、数百編のエッセイ類のほか、3万通に及ぶ書簡を残した。その作家活動は通常4期に分けられる。第1期はフェミニスム(女権拡張)を基調とする時期で、『アンディアナ』(1832)、『レリア』(1833)、『モープラ』(1837)など。第2期はラムネやピエール・ルルーPierre Leroux(1797―1871)らの社会主義運動に共鳴した時期で、『フランス遍歴の修業職人』(1840)、『アンジボーの粉挽(ひ)き』(1845)など。またこの時期に音楽的素養と神秘主義的傾向を生かした大作『コンスュエロ』(1842~43)がある。第3期は共和主義への夢と農民への愛を作品化したいわゆる田園小説の時期で、『魔の沼』(1846)、『棄(す)て子フランソワ』(1847)、『愛の妖精(ようせい)』(1848)、『笛師のむれ』(1853)など、彼女の才能がもっとも発揮された分野である。第4期は1848年の二月革命に託した共和主義政治への夢破れたのち、「ノアンの奥方」として暮らした時期で、自伝『わが生涯』(1854)、『田舎(いなか)の伝説集』(1858)、孫娘たちに献(ささ)げた『おばあさまのお話』(1873~75)などがある。晩年はフロベール、ツルゲーネフらと友情を結び、「自然」を学んで自分を超えてゆく境地を獲得するに至った。76年6月8日没。
[大崎明子]
『杉捷夫訳『アンヂアナ』『魔の沼』(岩波文庫)』▽『アンドレ・モロワ著、河盛好蔵・島田昌治訳『ジョルジュ・サンド』(1954・新潮社)』▽『長塚隆二著『ジョルジュ・サンド評伝』(1977・読売新聞社)』
フランス・ロマン派の代表的女流作家。本名Aurore Dupin,baronne Dudevant。18歳で結婚するが数年で破綻。1831年に単身パリに出,恋人ジュール・サンドーと共著で小説を刊行した後,男名ジョルジュ・サンドを筆名にして文壇で活躍した。サンドは,ミュッセやショパンらとの恋愛,共和主義者や社会主義者との交際,二月革命での人道主義的な活躍など,40歳代半ばまで波乱に富んだ生活を送った。革命後は少女期を過ごした中部フランスの村ノアンで平穏に暮らした。ジョルジュ・サンドの筆名で書いた最初の作品は小説《アンディアナ》(1832)である。これは《レリア》(1833)などの小説と同じく,情熱や恋愛の賛美のほかに,女性を不当に扱う社会や結婚制度を攻撃した作品である。35年以後,彼女は社会問題に関心を抱くようになり,40年代にはラムネーやピエール・ルルーらの影響によって《フランス遍歴の修業職人》(1840)や《コンシュエロ》(1842-43)など人道的な社会主義思想を盛りこんだ小説を多く書いた。また彼女は,《魔の沼》(1846)や《愛の妖精》(1849)などで文学に田園小説というジャンルを創始した。サンドは劇作,自伝などすべてを合わせると100編以上にものぼる作品を書いた。これらの作品はすべて,人道的な理想主義と自然に対する愛情に貫かれている。また,彼女は女性解放論の先駆者の一人としても評価されている。
→ロマン主義
執筆者:辻 昶
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…二つの練習曲集,バラード,スケルツォ,前奏曲集等を,この時期に着手・推敲している。 36年,著名な女流作家G.サンドに紹介された。当初ショパンは彼女に一種の畏れを感じていたが,サンドの方は高貴なショパンの容貌や繊細な性格,芸術家としての素質に魅せられ,2年後にはこの二人は決定的に結ばれてしまう。…
…またJ.ミルトンは《失楽園》で,少年のころに人形劇で《アダムとイブ》を見た印象が強烈で,永く彼の心中に映像を残したことをうたっている。G.サンドは自分の人形劇場をもっていて120本に及ぶ脚本を書いた。またドイツの伯爵フランツ・ポッチは,ミュンヘンに1858年創立されたシュミット人形劇場のために40本もの脚本を書き残している。…
※「サンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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