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シェーンライン Schönlein, Johann Lukas

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

シェーンライン
Schönlein, Johann Lukas

[生]1793.11.30. バンベルク
[没]1864.1.23. バンベルク
ドイツの医師,現代臨床医学およびその教育法の先覚者。 1824年以来,ウュルツブルク,チューリヒ,ベルリン各大学教授。実証医学を唱え,診断に打診法,聴診法,顕微鏡や試薬による尿や血液の検査法の採用と応用を試み,また,ドイツで初めてラテン語を使わない自国語の講義を行なった。この間,39年シェーンライン=ヘノッホ紫斑 (→アナフィラキシー紫斑病 ) として知られるアレルギー性の紫斑病や,関節の腫脹と疼痛を伴うリウマチ性の紫斑病を記載した。

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世界大百科事典 第2版の解説

シェーンライン【Johann Lukas Schönlein】

1793‐1864
ドイツの臨床医学者。臨床医学の科学化,臨床医学教育の改善で知られている。バンベルク生れ。ラントシュート大学で初め自然科学を,ついで医学を,さらにビュルツブルク大学で学位を受け,1819年同市のユリウス病院臨床主任,24年ビュルツブルク大学病理各論および治療学の正教授となる。上記病院での彼の実践と教育は同病院を短期間でドイツの有名病院にした。青年時代,自然哲学的傾向があり,後年には自然史的傾向が強くなり,〈自然史学派〉の筆頭にあげられることもある。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シェーンライン
しぇーんらいん
Johann Lukas Schnlein
(1793―1864)

ドイツの内科医。バイエルン生まれ。ランズフート大学、ウュルツブルク大学を卒業して医師となった。ウュルツブルク大学講師を経て、1824年病理学と治療学の教授に就任したが、1832年自由主義者との理由で解任された。翌1833年新設のチューリヒ大学の臨床教授として招かれ、1839年侍医兼大学教授としてベルリンに転じた。自然科学的観察と物理化学的診断による科学的医療の実践に終始し、黄癬(おうせん)の病原糸状菌の発見、紫斑(しはん)病、腸チフス患者の腸管内結晶などの報告があるが、著述は少ない。[古川 明]

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367日誕生日大事典の解説

シェーンライン

生年月日:1793年11月30日
ドイツの医師,現代臨床医学の創始者
1864年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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