改訂新版 世界大百科事典 「シャイバーニー朝」の意味・わかりやすい解説
シャイバーニー朝 (シャイバーニーちょう)
Shaybānī
16世紀に,ウズベク族が西トルキスタンを中心に建設した国家。1500-99年。ジュチの第5子シバンShiban(シャイバン)を始祖とするためにこの名で呼ばれる。アブー・アルハイル・ハーンは,ウズベクを統一して,キプチャク草原に遊牧国家を建設したが,その孫のシャイバーニー・ハーンは,定住地帯に攻め入り,ティムール朝を破り(1500),これにかわって西トルキスタンからホラーサーンを支配する国家をうちたてた。彼が1510年に敗死した際,バーブルに一時サマルカンドを奪われるなどしたが,支配権を奪還して(1512)以降,ここあるいはブハラを首都として,アブー・アルハイルの子孫がハーン位を継承していった。この王朝は,占領地を一族功臣に分封したために,地方分権の傾向が強かったが,アブド・アッラーフ・ハーン`Abd Allāh Khān(在位1583-98)は,父イスカンダルの治世時代(1561-83)から実権を握り,国内の対抗勢力を破ってハーン権力の強化をはかった。また,さかんに外征して領土を拡張し,貨幣制度を整え,公共事業を興して内政の充実に努めた。ここに王朝は黄金期をむかえたが,彼の死後たちまち崩壊し,ジャーン朝にとってかわられた。
執筆者:堀川 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報