シャイレーンドラ朝(その他表記)Śailendra

山川 世界史小辞典 改訂新版 「シャイレーンドラ朝」の解説

シャイレーンドラ朝(シャイレーンドラちょう)
Śailendra

東南アジア島嶼部の古代王朝。シャイレーンドラは「山の王」の意。大乗仏教を奉じる。その起源インド扶南(ふなん)ジャワに求める諸説がある。8世紀後半中部ジャワで優勢になり,ボロブドゥール建立する一方で,マラッカ海峡シュリーヴィジャヤ国を支配し,さらにカンボジアをはじめ大陸部各地に勢力をのばした。9世紀半ばジャワで力を失うとマラッカ海峡で生き残り,浮沈の末11世紀末のチョーラ朝刻文を最後に歴史上から姿を消す。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シャイレーンドラ朝」の意味・わかりやすい解説

シャイレーンドラ朝
しゃいれーんどらちょう
Śailendra

インドネシアの中部ジャワ州に存在したとみなされている王朝。サンスクリット語で「山の王」(漢訳仏典では「大山」)を意味する。この王朝の起源は扶南(ふなん)、インド、インドネシアなど諸説がある。中部ジャワ州北岸の旧港プカロンガンの南東で出土した古マレー語石柱刻文(7世紀初めまたは800年ごろと推定)には、セレーンドラSelendra(古マレー語形)とその両親、妻の名が列挙してあり、彼をこの王朝の創始者とする説もある。またカラサン石柱刻文(778年または779年)のシャイレーンドラがこの王朝に属した大王で、ボロブドゥールやムンドゥなど仏教建造物を造営したとする通説があるが、最近これを批判する説もあり、この王朝史の研究は、今後、学界の重要な課題である。

[仲田浩三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャイレーンドラ朝」の意味・わかりやすい解説

シャイレーンドラ朝
シャイレーンドラちょう
Sailendra

8~9世紀頃ジャワ中部に君臨した王朝。サンスクリットで「山の王」の意。サンジャヤ朝と併存し,ジャワ最大の仏教遺跡ボロブドゥールなど,建築や彫刻にすぐれた遺産がある。全盛時代にはインドシナ半島にも勢力を及ぼし,また9世紀なかばにはスマトラ南部のシュリービジャヤ王家と姻戚関係を結び,一時は両国を支配したが,のちに統治の中心はスマトラに移り,ジャワの覇権マタラム王国に奪われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「シャイレーンドラ朝」の解説

シャイレーンドラ朝
シャイレーンドラちょう
Shailendra

8世紀中ごろ〜9世紀,中部ジャワを支配した大乗仏教国
シャイレーンドラとは,「山の王」を意味するサンスクリット語。大乗仏教を保護し,ボロブドゥールなどの仏教建造物を建立。シュリーヴィジャヤ王家との関係が推定されている。

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