フランス北部,パリ盆地西部,ウール・エ・ロアール県の県都。人口4万2000(1990)。セーヌ川の支流ウールEure川の左岸を中心に市街が広がる。
ローマ時代にはケルト人カルヌテス族Carnutesの中心集落がここにあった。シャルトルという名称はこの部族名に由来。当時から交通の要地で,パリとブルターニュ地方を結ぶ街道とオルレアンからルーアンにいたる街道の交点に位置した。近代においても主要国道,幹線鉄道など交通路線網の中心地として,流通・商業機能が発達し,また〈フランスの穀倉〉ボース平野の中央にあることから,穀物・家畜など農産物の集散地機能が早くから発達した。しかし,シャルトルの名を世界的なものにしているのは,宗教の分野における歴史的重要性である。すなわち,同地の泉は古くより聖所としてガリア人の崇拝を集め,キリスト教化された後も,同地はマリア信仰の中心地として多くの巡礼者が訪れた。シャルトル大聖堂(12~13世紀)はフランス有数のゴシック建築として知られ,現在は数多くの観光客を引きつけている。1146年には第2次十字軍を準備するための公会議が同地で開かれ,また1594年にはアンリ4世の戴冠式がシャルトルの司教の手で行われた。
経済的にはロアール河畔の都市オルレアンとの競合や,80kmの近距離にあるパリの吸引力に押されて,長らく経済活動が停滞していたが,現在ではパリへの近接性が逆にプラスに作用して,工業化の進行が著しい。1950年代末以降パリからの工場移転や新設が相次ぎ,テレビ・ラジオ受信機などの電気機器をはじめとして,自動車部品,精密機械,化学製品などの製造工場から成る近代的な工業地区が郊外に形成されている。人口の伸びも急速で,郊外住宅団地の建設が活発に行われ,市街地の膨張が著しい。これに対して大聖堂の周辺は,曲がりくねった狭い街路と古い家並みが続き,かつての都市景観を今なお失わずにいる。城壁跡に沿って設けられた幅広い環状道路が郊外地区と旧市街を限っている。
執筆者:手塚 章
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス中北部、ウール・エ・ロアール県の県都。人口4万0361(1999)。パリの南西96キロメートル、セーヌ川支流のウール川に面した台地に位置する。ボース地方の中心地で、家畜、穀物の市場がある。電子、機械、香水、製薬の各工業を中心として工業化が進む。中世にはブロア家、シャンパーニュ家に所属して伯爵領となり、フランソア1世時代に公爵領となった(1528)。1146年、聖ベルナールにより第二次十字軍がこの地で唱導された。百年戦争(1337~1453)中の1417年以後15年間はイギリスの占領下にあった。宗教戦争の際は新教徒の攻撃に抵抗。1594年、アンリ4世はこの地で即位した。第二次世界大戦中は大きな被害を受けた。フランス有数のゴシック様式として知られるシャルトル大聖堂には司教座が置かれ、古くからの巡礼地となっている。
[高橋伸夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
… 第4に,西ヨーロッパの温泉は一般に娯楽的な保養地としての性格がつよいが,聖なる泉を飲み,浴びることによって生命のよみがえりを願うという聖水―聖泉信仰は西ヨーロッパにもみられる。たとえばフランスのシャルトルは中世期にはヨーロッパ最大の巡礼地であり,その地の大聖堂の真下には病者の心身をいやす泉があふれていた。またスペインとの国境沿いにあるルルドは1世紀ほど前にマリアの降臨という奇跡によって聖地になったところだが,そこにわき出る聖水はルルドの泉として知られ,巡礼者によって飲料・沐浴用に利用されている。…
※「シャルトル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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