ドイツ(現、ポーランド)のソラウ生まれの物理学者。ブレスラウ大学で物理化学の博士号をとり、ただちにプラハ大学へ行き、そこで会ったアインシュタインに従い、1年後チューリヒ大学へ移る(1913)。フランクフルト大学、ロストック大学準教授を経て、1923年からハンブルク大学教授となった。ナチス体制下で予想された免職前に、ユダヤ系の研究協力者解雇に抗議して辞職し、アメリカに渡り、1933年から1945年の退職までカーネギー大学研究教授。遍歴時代は統計熱力学と量子論の理論面でいくつかの論文を発表、1919年ころからそれらの理論の基礎概念の実験的確証に関心を向け、分子線の方法によりまず気体分子の速さを決め、理論との一致を確認した。次にゲルラハと銀原子磁気モーメントを測定し、方向量子化を確認(1921)。さらに分子線による干渉効果を観測し、また陽子の大きな異常磁気モーメントを発見した。これらはいずれも量子力学的効果を明瞭(めいりょう)に示すものであった。これらの業績により1943年のノーベル物理学賞を翌1944年に受けた。
[藤井寛治 2019年1月21日]
ドイツの心理学者。ベルリンの生まれ。ベルリン大学に学ぶ。ハンブルク大学教授となるが、ユダヤ人であったためナチスに追われ渡米、デューク大学教授となる。初め知能や思考の発達的研究を行ったが、後半は人間学と科学を調和させる独自の人格主義心理学を創唱。人は多くの部分からなるが、目的と価値を本質的成分とする調和のとれた全体として初めて理解しうる、一方、物は統一のない部分の集積であるとする。世界は人との関連によって意味や時間・空間関係をもつので、子供の発達段階に応じてそれぞれ独特の環境世界をもつことを説いた。IQ(知能指数)概念を初めて提唱したことでも知られている。
[藤永 保]
ドイツの上シレジアのソラウ(現,ポーランドのゾリ)生れの物理学者。ドイツの諸大学で学び,1912年ブレスラウ大学で物理化学での学位を得た。この間A.ゾンマーフェルト,O.ルンマー,E.プリングスハイムらの指導を受け,またL.ボルツマン,R.J.E.クラウジウス,W.H.ネルンストらの著作に傾倒した。後年みずから〈実験的理論物理学者〉と称しているが,その素地はこの間に形成されたのであろう。理論家としての活動の時期(1912-19)には,ブレスラウおよびチューリヒでA.アインシュタインとも親交があり,絶対0度における物理系のふるまいについての共同研究もある。この研究との関連で論ぜられた単原子気体の絶対エントロピーの問題は重要で,ネルンストの法則の定式化に貢献している。また,この問題に量子論を適用することは当時困難とされていたが,彼は高温での固体結晶とその蒸気の平衡系を扱うことにより,満足のいく理論的帰結を示した。その後M.ボルンのもとで固体の表面エネルギーの理論的研究に着手したが,これが機縁となって分子線の方法の研究という実験分野へ移行することとなった。最初の応用は気体分子の速度分布(マクスウェル分布)の実験的証明であったが,次いで磁場と原子の磁気モーメントの相互作用を検出することを考え,W.ゲルラハと共同して,量子論における方向量子化を検証した(シュテルン=ゲルラハの実験)。また陽子,重陽子を含む各種粒子の磁気モーメントの測定も彼によって行われた。分子線研究のいま一つの重要な業績は,物質の波動性の実証である。分子線の干渉を用いたこの実験はド・ブロイ以後なお仮説的であった物質の波動性を決定的にしたものといえる。これらの業績により,43年ノーベル物理学賞を受賞。
アカデミックな経歴はチューリヒ大学の私講師に始まり,フランクフルト大学,ロストク大学を経て1923年ハンブルク大学の物理化学教授,同研究所長となるが,33年ナチズムの台頭とともに渡米し,45年までピッツバーグのカーネギー研究所物理学教授を務めた。
執筆者:藤村 淳
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…《ライフ》は第2次大戦前後に飛躍的に部数を増大させ,71年には約700万部に達したが,製作コストを償うだけの広告収入を得ることができなくなって72年末に廃刊した。しかし西ヨーロッパでは,フランスの《パリ・マッチ》(1949),西ドイツの《シュテルンStern》(1948),イタリアの《オッギOggi》(1945)など戦後生れの写真ニユース誌が仕事を続けている。
[日本の大衆雑誌]
日本で大衆雑誌が急成長をはじめたのは,第1次世界大戦をはさむ時期からであった。…
…磁場の中を運動する荷電粒子について,その角運動量ベクトルは磁場方向の成分が特定のとびとびの値のどれかになるような方向しかとらないこと(方向量子化)を証明した最初の実験。1921年,ドイツのO.シュテルンとゲルラハWalter Gerlach(1889‐1979)は加熱した炉から噴出する銀原子をスリットで絞って細いビームとし,下から上に向かい急激に強さを増す磁場を通したところ,ビームは上下の2方向に截然と分裂した。それはビームをガラス板で受けたとき上下に分かれた2ヵ所に銀原子が付着し,中間にはつかなかったことから知られた(図1)。…
※「シュテルン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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