最新 心理学事典「教育心理学」の解説
きょういくしんりがく
教育心理学
educational psychology
【教育心理学の歴史】 心の科学である心理学が誕生する以前は,人間の「心」の問題は哲学の領域に属していた。同様に「教育」の問題も哲学の領域に属していた。18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで,ルソーRousseau,J.-J.,ペスタロッチPestalozzi,J.H.,ヘルバルトHerbart,J.F.,フレーベルFröbel,F.W.A.などの思想家たちが,それぞれに独自の教育理念に基づく教育改革を唱えた。
しかし,教育心理学の萌芽はヨーロッパではなく,アメリカで生じた。教育心理学の草創期に活躍した心理学者の多くは,①1899年に『教師のための心理学Talks to Teachers on Psychology and to Students on Life's Ideals』という本を出版したジェームズJames,W.,②ジェームズの門下生で,児童研究を創始し,アメリカ心理学会を組織したホールHall,G.S.,③20世紀の初頭にビネーBinet,A.がフランスで創案した知能検査のアメリカ版を作成し,知能検査の発展・普及に貢献したターマンTerman,L.M.,④心理学者であるだけでなく哲学者であり教育学者でもあるデューイDewey,J.,⑤20世紀初頭に展開した教育測定運動の理論的指導者であり,『Journal of Educational Psychology』を創刊したソーンダイクThorndike,E.L.など,いずれもアメリカの心理学者であった。
また,この草創期に,その後の教育心理学の発展を推進する次の三つのアプローチがすべて出現していることも注目に値する。第1は,研究の科学性・客観性を重視し,一般性・普遍性の高い理論を追究するソーンダイクのアプローチであり,このアプローチはその後,行動主義に継承されることによって発展した。第2は,個人差診断のためのテスト開発をめざすアプローチであり,ターマンの知能検査は,テスト開発研究のその後の発展の礎となった。そして第3は,教育改革のための教育実践を重視するデューイの実践志向のアプローチである。ただし,第3のアプローチは,20世紀の前半には,それほど進展することはなかった。したがって,20世紀の前半は第1および第2のアプローチを基軸として教育心理学の骨格が形作られた。
20世紀の後半に入るまで,教育心理学の発展は比較的ゆるやかな速度で進行した。ところが1950年代の後半に起きた二つの出来事が,その速度を加速させた。その一つは,いわゆるスプートニク・ショックである。1957年に打ち上げられたソ連の人工衛星スプートニクは,アメリカ国民に深刻な打撃を与え,そのことが教育心理学の発展を加速させる契機となった。なぜなら,世界の覇権を争っていたソ連に科学技術の面で先を越されたアメリカは,国家戦略の一環として教育改革に着手したからである。その結果,それまではもっぱら基礎研究に従事していた多くの心理学者が,教育心理学の世界に参入した。その中にはスキナーSkinner,B.F.やブルーナーBruner,J.S.などの大物も含まれていた。かくして教育心理学の世界に教授心理学instructional psychologyという新たな研究分野が生まれ,教育心理学は実践志向のアプローチを一歩前進させることになった。
もう一つの出来事は,いわゆる認知革命である。心理学,言語学,脳科学,情報工学などの多様な諸科学が合流することによって,認知科学という新たな学際的・総合的科学が出現し,心理学の世界にパラダイム・シフトを巻き起こした。行動主義が優勢であった20世紀前半には研究のらち外におかれていた注意・言語・思考・推論・意思決定などの認知過程を情報処理モデルを用いて分析・記述する新しいアプローチが,心理学のさまざまな分野に急速に広まり,その波は教育心理学の世界にも波及した。そのことが前述の教授心理学の成立を可能にしたのである。
最後に,1980年代以降に起きた二つの重要な出来事に触れておこう。その一つは社会的構成主義の台頭によって教育心理学の研究対象は学校教育の枠を越えて,家庭や地域社会でのインフォーマルな教育や,さらには学校を取り巻く社会的・文化的諸条件にまで広がったことである。そしてもう一つの出来事は後述する学習科学の出現である。
【学習理論と教育】 学習と教育は表裏一体であり,教育心理学の発展は,学習理論の発展に大きく依存している。そこで以下に,学習理論の発展の歴史を概観しておく。
学習研究の歴史は,連合理論と認知理論という対照的な理論によって織りなされてきた。そのうちの連合理論は,1910年代から1950年代にかけて,北アメリカを中心に隆盛した行動主義の学習理論である。行動主義behaviorismの主張は,研究の対象をブントWundt,W.の言う「意識」ではなく「行動」に限る点にある。つまり,外部から観察可能な「行動」を研究の対象にしない限り,心理学は真の科学にはなりえないと主張したのである。そして行動主義では,複雑な行動も分析すれば刺激Stimulusと反応Responseの連合という要素に還元できると考え,そのような連合が形成される過程である学習の問題を主要な研究課題とした。行動主義の学習理論が一般にS-R連合理論S-R association theoryとよばれるのはこのためである。
行動主義の心理学が客観的な実験データに基づいて,記憶や学習に関する厳密で精緻な理論を展開していたころ,ドイツではゲシュタルト心理学Gestalt psychologyが興隆した。ゲシュタルト心理学は,当初は主として知覚研究の領域で全体観と力動観を基調とする心理学を展開したが,やがて学習,記憶,思考などの領域において認知理論の台頭を促した。しかし,1950年代までは,認知理論よりも連合理論の方が優勢であった。その理由は,認知理論で用いられる概念や仮説は曖昧であり,また,それらの概念や仮説を実験的に検証するための方法論が,その当時はまだ十分に確立していなかったことにある。これに対し連合理論は,最初は主として学習や記憶の領域で,厳密な実験データに基づく精緻な理論を生み出した。さらに,学習や記憶だけでなく,言語や思考など,あらゆる認知過程を説明するための最も有望な理論として,着々と適用範囲を拡張していくかに見えた。しかしながら,そのようにして研究領域を拡張しようとすると,人間の認知過程は刺激と反応の連合という単純な図式では説明しきれない,複雑かつ能動的な過程であることがしだいに認識され始めた。
1950年代半ば,認知過程を研究するための新しいアプローチが出現した。それが認知心理学cognitive psychologyである。認知心理学では,人間を一種の情報処理体(いわば精巧なコンピュータ)とみなし,人間の認知過程を情報処理モデルによって記述する。要するに認知心理学では,人間の認知過程を,情報を符号化し,貯蔵し,必要に応じて検索・利用する一連の情報処理過程ととらえるのである。そのような背景のもとに成立した認知心理学では,人間の知識の構造を明らかにすることが重要な研究テーマとなる。なぜなら人間は,知識がなければ,いかなる認知活動も行なうことができないからである。したがって,認知心理学における学習の定義は,「新しい知識を獲得することによって初心者が熟達者(エキスパート)になる過程」ということになる。
1980年代に入ると社会的構成主義social constructionismが台頭し,学習理論に新たな展開が生じた。社会的構成主義は,象徴的行為論を唱えた社会学者のミードMead,G.H.,言語ゲーム論を唱えた言語哲学者のウィトゲンシュタインWittgenstein,L.J.,状況的学習論を唱えたレイブLave,J.とウェンガーWenger,E.,ビゴツキーVygotsky,L.S.の発達理論などをその系譜に含み込み,領域を横断して幅広く展開している新しいアプローチであり,学習の社会的側面を重視する。社会的構成主義では人間は社会的存在であるという前提に立ち,学習を他者との相互作用の中で成立する社会的事象だとみなすのである。したがって,認知心理学の学習観が知識獲得モデルだとすれば,社会的構成主義の学習観は知識共有モデルといえるだろう。そのため,1980年代以降,この社会的構成主義の影響のもとで,学習者同士が交流しながらともに学び合う形式の交流型学習(たとえばディべートによる学習や互恵的学習など)が提唱・実践されるようになった。
一方,1990年代以降,急速に発展しつつある学習科学learning scienceは,学習心理学,認知心理学,発達心理学,脳科学,社会心理学,文化人類学,教育工学などの多様な学問分野を総合することによって発展した新しい学際的かつ実践的な科学である。また,学習科学の学習観は知識創造モデルといえるだろう。なぜなら,知識とは,継承し継承されるものであり,継承したものになんらかの創造が付加されなければ,継承されることなく朽ち去る運命にある,というのが学習科学の主張だからである。つまり学習科学がめざしているのは,知識創造のための学習がなされる条件を明らかにし,そのための学習環境を拡充し,そのための教授法を科学的根拠に基づいて研究・開発することなのである。したがって教育心理学が,学習科学の一翼を担う学問として,今後さらなる発展を遂げるためには,理論と方法の変革が不可欠になるであろう。
【発達理論と教育】 教育心理学の発展は,発達理論の影響も受けている。そこで次に,発達理論が教育心理学に与えた影響を概観しておく。
新生児の能力は,きわめて限定されている。しかし,新生児期,乳児期,幼児期を経て児童期を終えるまでの10数年間に,歩行運動や種々の運動技能,言語や読み書き・計算などの認知技能,問題解決や推理などの高度な思考力を身につける。こうした目覚ましいまでの発達を支えるしくみは何なのか。この問いに対する回答が発達理論であり,ゲゼルGesell,A.L.に代表される成熟説とワトソンWatson,J.B.に代表される学習説とに大別できる。このうちの成熟説maturation theory of developmentとは,発達は遺伝によって決定され,生後の経験とは無関係に,生得的に決められた順序に従って生起する現象ととらえる立場を指している。したがって成熟説では,たとえば1歳児のほとんどが類似した行動を示すのは,1歳児の生物学的成熟が同じレベルにあるからだと考える。1歳になれば筋肉や運動をコントロールする脳の中枢が成熟してレディネスが形成され,骨格筋を協応させて歩行できるようになる。しかし,1歳児はまだ走ったり,スキップをしたり,複雑な文を話したりすることはできない。その理由は,これらの行動は,この年齢以降に発現する,より複雑な神経学上の成熟を必要とするからである,というのが成熟説の基本的仮定なのである。この成熟説の対極に位置しているのが学習説である。学習説learning theory of developmentでは,発達は生物学的成熟によって自生的に現われるのではなく,生後の経験である「学習」こそが発達を導く唯一の原理だと考える。また,レディネスも生物学的成熟によって自然発生的に生じるのではなく,学習によって獲得するものだと考える。このように,成熟説と学習説は,遺伝か経験かという点で相容れない二項対立の関係にある。したがって,両者から導き出される教育的示唆もまた対照的である。成熟説に立てば,教師の役割は子どもの発達を見守り「支援すること」である。これに対し,学習説に立てば,教師の役割は子どもの学習活動を「指導すること」である。
20世紀の前半までは,成熟説と学習説を両極とする排他的な二項対立が続いたが,20世紀の後半に入ると,成熟と学習の両方を考慮に入れた折衷的な発達理論が次々に提起された。たとえばピアジェPiaget,J.は,感覚運動的知能,前操作,具体的操作,形式的操作の4段階からなる知能の発達段階説stage theory of developmentを唱えた。この発達段階説は,文化を超えた普遍的な発達過程を仮定している点で,ゲゼルの成熟説に類似している。しかしピアジェは,成熟ではなく,環境(外界)の普遍的な論理構造を同化と調節の働きを通して取り入れることによって認知発達が生じると考えた。つまり,外界の論理構造をそのまま取り入れる同化と,外界の論理構造に認知構造(シェマ)を一致させる調節によって発達段階の移行が生じると考えたのである。たとえば,同数の黒いおはじきと白いおはじきを同じ長さに並べ,「どちらの数が多いか」を尋ね,同じ数であることを確認させる。その後,幼児の目の前で黒いおはじきの長さを縮めたうえで,再度「どちらの数が多いか」を尋ねると,幼児はおはじきの長さだけに注目し,白いおはじきの方が数が多いと答えるであろう。つまり幼児はまだ「長さ」と「隙間」という二つの次元を統合するシェマを獲得していないので,一つの次元(長さ)だけに注目して,おはじきの数を比較するのである。しかし,一つの次元だけに基づいて数の比較判断をする幼児のシェマは,外界の論理構造と矛盾している。そのため幼児は,やがて一つの次元だけに注目するシェマを外界の論理構造と一致するように調節する必要が生じる。このようにしてシェマはしだいに外界の論理構造に近づいていくのである。
ブルーナー(1967)も,発達段階は活動的表象,映像的表象,象徴的表象という3種類の表象からなると考えた。彼は,1歳ころまでの乳児には活動的表象しかないが,1歳前後から映像的表象が発達し始め,さらに言語の獲得に伴って象徴的表象が発達すると考えた。また,活動的表象は映像的表象の基礎となり,映像的表象は象徴的表象の基礎となるというように,階層的な発達段階を仮定し,さらに,これら3種類の表象間に生じる矛盾や不均衡を調整しながら,それぞれの表象の発達が進行していくのだとした。つまり,映像的表象の発達は実際の動作や行為からの解放を意味し,象徴的表象の発達は知覚体験に基づく具象的認識から独立し抽象的認識の発現を意味すると考えたのである。さらにブルーナーは,表象の発達段階に応じた方法で指導すれば,低年齢の子どもにも高度な教材を理解させることが可能だと考え,同一教材を子どもの発達段階に応じた方法で繰り返し学習させるラセン型カリキュラムspiral curriculumを提唱した。
一方,ビゴツキーの発達理論は,発達はおとなとの相互作用を通して文化を継承する社会的事象だととらえており,一般に社会的構成主義とみなされている。彼は,おとなとの相互作用による発達過程を発達の最近接領域zone of proximal developmentという概念で説明した。すなわち,子どもにはある課題を独力で解決できる水準(現時点での発達水準)があるが,その上にはおとなからヒントや援助が与えられれば解決できる水準(潜在的な発達可能水準)があり,これら二つの水準の間の領域を発達の最近接領域とよび,教育とは発達の最近接領域に働きかけることによって,「潜在的な発達可能水準」であったものを「現時点での発達水準」に変えることだと考えた。また,そのようにしておとなの援助がなければできなかったことが独力でできるようになると,それまではおとなの援助があってもできなかったことが,おとなの援助があればできるようになる。ビゴツキーは,発達とはこのようにしてしだいに発達の最近接領域の水準が高くなっていくことだと考えたのである。その後,ビゴツキーの発達理論が広く受容されるなかで,発達の最近接領域という考え方は,多くの教育心理学者に影響を与え,新たな教育方法の理論を生み出す契機となった。たとえばブルーナーは,発達の最近接領域に働きかけて援助することを足場かけ(スキャフォールディング)とよんだ。そして,子どもの発達段階に応じて適度な援助(足場)を与え,子どもが独力でできるようになればしだいに足場を外していくことによって自立した学習者を育成する教育方法を提唱した。
【教育心理学の対象と領域】 前述したように20世紀の前半は,一般性・普遍性の高い理論を追究するソーンダイクのアプローチと,個人差診断のためのテスト開発をめざすターマンのアプローチを基軸として研究が進められた。そのため当時の研究は,読み書き・計算などの技能に関する基礎研究や,知能検査・適性検査・学力検査の開発など教育測定の領域に狭く限定されていた。しかし,1950年代後半の認知心理学の出現によって,教育心理学の研究対象が学校教育の問題へと広がり,しかも知識や技能の習得といった学習指導の問題だけでなく,学習意欲などの情意面や社会面での発達を含めた学校適応・生徒指導・キャリア教育の問題も研究対象に加わった。また,認知心理学が成立する以前の行動主義の時代には,新生児の心は完全な白紙(タブラ・ラサ)であり,その白紙の上に経験の痕跡が刻み込まれていくのだと考えられていた。しかし,認知心理学の発展に伴って,乳幼児の有能さを示すデータが着々と蓄積された,そのことが教育心理学の研究領域を幼児教育や特別支援教育の領域にまで広げることを可能にした。さらに1980年代の社会的構成主義の台頭によって,教育心理学の研究領域は学校教育の枠を越えて,家庭教育,高等教育,企業内教育,生涯教育の領域にまで広がった。そして,1990年代以降,学習科学が急速に発展したのに伴って,教育心理学の研究領域はさらに広がり,教員養成や教職研修,カリキュラム開発,教育改革などの従来は教育学や教科教育学の守備範囲であった問題も,教育心理学の研究対象に含まれるようになった。
以上のように,教育心理学の研究領域は20世紀の100年間に急速に拡大し,今日では,心理学の中でも最も広範なパースペクティブをもつ研究分野となった。そのことは,レイノルズLeynolds,W.M.とミラーMiller,G.E.の『教育心理学ハンドブックHandbook of Psychology(Vol.7):Educational Psychology』(2003)の構成に端的に示されている。このハンドブックは,次のような内容の5部構成になっている。⑴認知研究の学習,発達,教授への貢献(最近の知能の理論,記憶と情報処理過程,自己調整と学習,メタ認知と学習,動機づけと教科学習),⑵教育場面における人間関係および社会的要因(学習と教授における社会文化的背景,初等・中等教育における教授過程,協同学習と学業成績,教師と子どもの関係,学校適応,教室におけるジェンダー問題),⑶カリキュラムへの応用(幼児教育,リテラシーの心理学とリテラシー教育,数学の学習,メディアと情報教育),⑷特別支援教育(学校心理学,学習障害,才能教育のプログラム,学校不適応),⑸教育プログラムと教育政策(教師の学習と初任者教育,教育への介入研究,教育政策と教育改革,教育心理学の未来)。
【今後の課題】 21世紀の教育心理学は,高度化・学際化・実践化への社会的要請が,さらに強まるであろう。したがって,その要請に応え,教育心理学が教育諸科学を先導する役割を果たすためには,次の三つの課題に取り組む必要があるだろう。
第1は,理論研究と実践研究をつなぐ懸け橋を築くことである。理論研究の成果が教育実践の改善に役立ち,教師の実践知が理論研究の発展を刺激する,というような,理論研究と実践研究の相補的な関係を構築することが重要になるだろう。従来の理論研究は,次の二つの理由で,教育実践にそれほど影響を及ぼすことがなかった。第1の理由は,教師の関心と研究者の関心は異なっているのが通例であるため,教師の多くは理論研究の成果にあまり関心を示さないことである。要するに,多くの研究者の関心は教育の基本原理を明らかにすることにあるのに対し,教師は教室の現場で発生する教育実践上の具体的な問題に主たる関心があるのである。第2の理由は,研究計画の段階から教師と研究者とが協同作業をする事例はきわめてまれであるため,一般に教師が研究課題を構想したり,学習や教授についての知識ベースを生成する機会がほとんど生まれないことである。したがって今後は,理論研究の世界と教育実践の世界の間で,双方向の情報の交流が生じるようにする必要があり,そのためには教師と研究者が共有の知識ベースを構築することが重要になるだろう。
第2は,学際的な視点に立って,次の三つの包括的な研究課題に取り組むことである。⑴理論研究の成果を,カリキュラムや教材・教授法の細部に至るまで精緻化し,教育実践にかかわるあらゆる人びとに効果的な方法で伝達すること,⑵研究者の理論知と教師の実践知を結びつけ,研究が教育実践の改善にも教育理論の発展にもつながるように,研究者と教師が協働して研究に取り組むことができるような研究体制を整備すること,⑶教育実践の絶えざる改革・改善のために,学力,カリキュラム,教師の指導力,学級経営,学校経営などの観点から総合的に評価するための新しい教育評価の理論と方法を開発すること。このような包括的な研究課題に取り組むためには,教育心理学からの単独のアプローチではなく,教育にかかわりをもつ,認知心理学,発達心理学,教科教育学,教育社会学,教育経営学,教育行政学,教育工学などの多様な学問分野を総合する学際的アプローチを取ることが不可欠な条件である。したがって,それを可能にするようなプロジェクト研究の体制を組織することが重要になるだろう。
第3は,理論研究と実践研究をつなぐための新たな研究法を開発することである。ストークスStokes,D.は,『パスツールの象限Pasteur's Quadrant: Basic Science and Technological Innovation』(1997)の中で,理論と実践の橋渡しをすることの重要性を指摘している。ストークスは,科学の進歩の多くが実践的問題の解決と密接に関連していることを見いだし,パスツールPasteur,L.の研究こそがまさにその良き例証だとみなして,書名にその名を冠している。つまり,パスツールの研究が医学の進歩に多大な貢献をしたのは,彼の研究が病気の患者をいかに救うかという実践的問題の解決に関係していたからにほかならず,パスツールの研究のように体系的になされた実践研究は,同時に理論研究の進歩にも貢献できると主張しているのである。ストークスのこの主張は,教育心理学の場合も,教育の改善をめざすパスツール型の実践研究が求められていることを,そしてそうしたパスツール型の実践研究は,教育実践の質を高めるのに役立つと同時に,教育の基本原理に関する理論研究の進歩にも貢献することを示唆している。しかし,伝統的な理論研究で用いられている厳密な実験研究の方法を,そのまま実践研究に適用するのは無理がある。なぜなら,教育実践は多数の変数が相互作用する複雑な現象であり,厳密な変数の統制は不可能だからである。したがって,理論研究と教育実践の橋渡しをするためには,従来の実験室研究やフィールド研究の限界を克服するための新たな研究法の開発が重要になるであろう。 →学習 →構成主義 →行動主義 →認知心理学 →発生的認識論 →発達心理学
〔森 敏昭〕
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