シュリーフェンプラン(英語表記)Schlieffenplan

デジタル大辞泉 「シュリーフェンプラン」の意味・読み・例文・類語

シュリーフェン‐プラン(Schlieffen plan)

帝政ドイツ考案された、フランス侵攻のための作戦。フランス側の防御が固い独仏国境でなく、中立国ベルギー領を侵犯・通過するルートならばフランスを短期間で攻め落とせるとするもの。1905年にドイツ軍参謀総長シュリーフェンが考案、1914年の第一次大戦開戦時に実行された。

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改訂新版 世界大百科事典 「シュリーフェンプラン」の意味・わかりやすい解説

シュリーフェン・プラン
Schlieffenplan

ドイツ帝国における対露仏二正面戦争を想定した作戦構想。このような作戦はすでに大モルトケにおいても見られたが,ドイツ陸軍参謀総長A.vonシュリーフェン(在任1891-1905)は,西方攻勢東方で防御を基本とし,しかもベルギーなどを経由する右翼を重視し,フランス軍を包囲殲滅(せんめつ)し,しかるのちに東方へと転じる構想を定式化した。彼の後任小モルトケによって右翼重視論は緩和されたが,彼の修正案が第1次世界大戦におけるドイツの戦略として用いられた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュリーフェンプラン」の意味・わかりやすい解説

シュリーフェン・プラン
Schlieffen Plan

ドイツの陸軍参謀総長 A.シュリーフェンが創案し,1905年末に確定した対フランス,対ロシア作戦計画。 20世紀の初頭,ドイツはフランス,ロシアの2強国に東西から挟撃されるおそれがあった。この作戦はロシア軍の行動が緩慢であることを予測して,ロシア軍が動員を完了するまでの1~2ヵ月の間にドイツ軍主力をフランス戦線に集中し,フランス軍主力を国境付近で包囲全滅させ,すぐさま全軍をロシア国境に移動させようとする大計画であった。第1次世界大戦では,参謀総長小モルトケによって大幅に修正のうえ実施されたが,パリを目前にしてフランス軍に側面を突かれて失敗した。第2次世界大戦でも,ヒトラーは外交的にソ連を押えてから,オランダ,ベルギーを突破してフランスに侵入するというこの作戦計画を用いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュリーフェンプラン」の意味・わかりやすい解説

シュリーフェン・プラン
しゅりーふぇんぷらん
Schlieffen plan ドイツ語

1905年12月にプロイセン陸軍参謀総長シュリーフェンにより策定されたフランスに対する作戦計画。従来のロシア・フランス二正面作戦の原則に大改定を加え、ドイツ軍の全力を西方に傾注して、フランス軍を急襲、これを捕捉殲滅(せんめつ)することをその内容としている。ドイツ軍の左翼をボージュVosgesで堅持し、右翼に主力を集中して進撃させ、パリを含むフランス軍を包囲する。その際、ベルギーの中立を侵犯することが、最初から計画されていた。このシュリーフェンの計画は、ロシアが日露戦争の敗北と第一次革命で弱体化していたことを前提として作成されたものであるが、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)までほとんど修正されず、緒戦に採用されて、ドイツ軍作戦の失敗の原因となった。

[岡部健彦]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「シュリーフェンプラン」の解説

シュリーフェン・プラン
Schlieffenplan

ドイツ陸軍参謀総長シュリーフェンがロシア,フランスとの両面戦争の対策として立案し,1905年末確定した作戦計画。ロシアの緩慢な動員を予想してまず西部戦線に兵力を集中,ベルギー,オランダの中立を侵犯してフランス軍を包囲し,これを壊滅させたのち,主力を東に転じてロシア軍にあたろうとするもの。第一次世界大戦では修正のうえ実施されたが,ロシア軍の迅速な動員と連合軍の抵抗にあって挫折した。

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世界大百科事典(旧版)内のシュリーフェンプランの言及

【シュリーフェン】より

…このため,ベルギー,ルクセンブルクの中立を無視し,この正面から大兵力を北フランスに進攻させ,フランス軍を北翼から包囲,大殲滅(せんめつ)戦を遂行するよう計画した。これはシュリーフェン・プランと呼ばれ,1905年に公表された。第1次大戦において,後継者によりこれを薄めたかたちで遂行され失敗したが,戦後,計画どおり実行していればドイツに短期決勝の機があったとの評価が残った。…

【第1次世界大戦】より


【戦争の発生】

[戦前の国際秩序]
 第1次大戦は19世紀以来の世界秩序の崩壊を意味する歴史上最初の世界戦争であるから,その背景はかなりさかのぼって考えてみる必要がある。19世紀ヨーロッパの国際秩序を維持する原理はイギリス,フランス,プロイセン,オーストリア,ロシアの国際的勢力均衡システムであり,国際政治はこの五大列強相互のあいだのバランスによって安定を保っていた。その中でもヨーロッパの東西両端に位置を占めるイギリスとロシアの影響力は大きかった。…

※「シュリーフェンプラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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