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ジェノバ会議 ジェノバかいぎConference of Genoa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジェノバ会議
ジェノバかいぎ
Conference of Genoa

1922年4月 10日~5月 19日,第1次世界大戦後の中東部ヨーロッパの経済再建問題を協議し,ソ連とヨーロッパ資本主義諸国との関係改善の道を探求するためイタリアのジェノバで開かれた国際経済会議。フランスとベルギーはソ連に対して,戦前借款の完全返済と外国資産の賠償を主張。しかし会議開催中の4月 16日ソ連代表 G.チチェーリンとドイツ代表 W.ラーテナウが,両国は相互の賠償請求を放棄し外交関係を樹立する旨のラパロ条約を結んだため,会議は十分な成果を収めることができなかった。

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百科事典マイペディアの解説

ジェノバ会議【ジェノバかいぎ】

1922年,カンヌ会議の決定に基づき,イタリアのジェノバGenovaで開かれたヨーロッパ経済復興会議。第1次大戦後独・ソが参加を認められた最初の国際会議だったが,実質的な成果はなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジェノバ会議
じぇのばかいぎ

カンヌ会議(1922.1)の決定に従って、1922年4月10日~5月19日にイタリアのジェノバGenovaで34か国が参加して開かれた国際会議。当時のソ連が初めて国際会議に招かれ、第一次世界大戦後の経済復興問題が討議された。イギリス首相ロイド・ジョージは、ソ連援助のための国際借款団の結成を含む広範なヨーロッパ経済財政復興計画をもっていたが、強硬政策をとるフランス首相ポアンカレは、ドイツに対する賠償問題を討議から除外させ、ソ連援助に全面的な経済財政管理を要求するなどしてこれに対抗した。会議進行中にドイツとソ連が独自にラパロ条約を締結したため、会議は混乱し、成果なく終わった。[栗原 優]

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