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ジハード ジハードjīhād

翻訳|jīhād

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ジハード
jīhād

「聖戦」と訳されるが,イスラム伝播のためイスラム教徒に課せられた宗教的義務。ジハード必ずしも武力によるものではなく,心による,論説による,支配による,さらに剣による4種のジハードに分れる。イスラム教徒でなくとも神を信じる者,キリスト教徒ユダヤ教徒には改宗を強制せず,イスラム教徒の支配に従って税を納めれば信仰の自由を保障した。一般にイスラム教徒が非イスラム教徒と戦う場合は,それが単なる政治的な争いにすぎないときでもジハードとされる。

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知恵蔵の解説

ジハード

イスラム世界の拡大や防衛のための戦いを意味し、聖戦と訳されることが多い。本来は、「努力」を意味する。現代のイスラム世界では、1981年10月にエジプトサダト大統領を暗殺したグループなど、ジハードと名乗る地下グループが各地に生まれている。様々な異なった流動的結社が殉教精神をもって決起する際に、この名称を好むようだ。

(高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年)

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デジタル大辞泉の解説

ジハード(〈アラビア〉jihād)

古典イスラム法で、ウンマイスラム共同体)の防衛や拡大のための戦いをいう。元来の意味は、一定の目的に対する努力。聖戦と訳される。

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百科事典マイペディアの解説

ジハード

ジハードは本来〈努力〉〈奮闘〉の意味で,日本では〈聖戦〉と訳されることが多いが,厳密には正しくない。ジハードは,イスラームの聖典《コーランクルアーン)》が神の道において奮闘せよと命じていることが根拠とされる。
→関連項目ISアル・カーイダイスラム過激派イスラム武装勢力東トルキスタンイスラム運動フルベマフディー派ムジャーヒディーン運動

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世界大百科事典 第2版の解説

ジハード【jihād】

イスラム世界(ダール・アルイスラームdār al‐Islām)の拡大または防衛のための戦いをいい,一般に〈聖戦〉と訳す。アラビア語の元来の意味は,〈定まった目的のための努力〉である。イスラム法の理念では,世界はイスラムの主権の確立されたダール・アルイスラームでなければならない。まだその主権が確立されていない世界は,ダール・アルハルブdār al‐ḥarb(戦争世界)と定義され,そこではイスラムの主権が確立されるまでジハードが必要となる。

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大辞林 第三版の解説

ジハード【jihād】

イスラム教徒が信仰を迫害されたり、布教を妨害された場合に、武力に訴える行為。聖戦。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ジハード
じはーど
jihd

一般にはイスラムを広めるため、または防衛のための戦い、すなわち「聖戦」のことをいう。原義は「(神の道のために)奮闘努力すること」であるが、古くから、異教徒に対する戦争と解釈されてきた。イスラム法においては、ジハードはムスリム共同体に課せられた宗教的義務であり、それを遂行する具体的方法に関しては詳細な規程がなされている。歴史的には、初期のアラブの大征服だけではなく、十字軍に対する戦争や、オスマン朝ヨーロッパへの進出がジハードとして戦われた。スーフィズムイスラム神秘主義)においては、異教徒に対する戦いを「小ジハード」というのに対し、自己の欲望に対する戦いは「大ジハード」とよばれて、より高く評価された。近現代におこった反帝国主義、イスラム復古主義原理主義では、イスラム世界防衛のため実際に武器を持って戦うジハードがふたたび強調されている。[竹下政孝]

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世界大百科事典内のジハードの言及

【十字軍】より

…フランス王ルイ7世,ドイツ王コンラート3世の遠征によるイスラム側ダマスクスへの攻撃(1148)は,喪失領土の回復戦略とはなり得ず,その敗退によってザンギー朝のヌール・アッディーンの下でのアレッポとダマスクスの同盟を許し,十字軍国家はシリア沿岸部の狭小な帯状地域に圧縮された。 12世紀中葉から末期にかけて,十字軍側と,ファーティマ朝を打倒してエジプトとシリアにまたがるイスラム統一勢力を結集した英傑サラーフ・アッディーン(サラディン)を始祖とするアイユーブ朝(1169‐1250)の〈ジハード(聖戦)〉との戦いは,エルサレムの争奪をめぐって熾烈となり,1187年7月ヒッティーンの戦に大勝したサラーフ・アッディーンはエルサレムを同年10月に奪回した。これに対し西欧3大国の君主(イングランド王リチャード1世,フランス王フィリップ2世,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世)が勢ぞろいした大規模な第3回十字軍(1188‐91)が編成され,両者の争いはその最高潮に達したが,結局西欧側の退勢を挽回し得ず,かろうじて1192年エルサレムへのキリスト教徒巡礼の自由通行を保障する協定の締結をもって幕を閉じた。…

【戦争】より

…この軍がローマ帝国の伝統を受け継ぐビザンティン帝国の正規軍や,戦象と重装備の騎馬隊を備えたペルシア軍を破ったのである。 後世に確立したイスラム法は,このような戦争をジハードとして合法化した。法理論のうえでは,世界はイスラム教徒が主権者である〈イスラム世界(ダール・アルイスラーム)〉と異教徒が主権者である〈戦争世界(ダール・アルハルブdar al‐ḥarb)〉に分かれている。…

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