イスラム神秘主義(読み)イスラムしんぴしゅぎ

改訂新版 世界大百科事典 「イスラム神秘主義」の意味・わかりやすい解説

イスラム神秘主義 (イスラムしんぴしゅぎ)

欧米では一般にスーフィズムsufismの名で呼ばれているが,この語はスーフィーṣūfīにイズムismを付してつくられたものである。アラビア語で神秘主義を表すタサッウフtaṣawwufもṣūfīを語根としてつくられた第5型動詞の名詞形で,元来は〈スーフィーとして生きること〉を意味した。スーフィーとはアラビア語で神秘家を意味するが,この語の語源については諸説がある。しかし,今日では,アラビア語の羊毛を意味するスーフṣūfから派生したものと一般に認められている。スーフィーとは,元来〈羊毛の粗衣を着用した者〉のことであった。世間の虚飾を離れ,懺悔の表徴として羊毛の粗衣を身にまとい,清貧の中に生きようとするムスリムを意味したのである。

 このことは,スーフィズムと禁欲主義が無関係でないことを示している。しかし,スーフィズムにおいて修行とは,禁欲主義におけるようにそれ自体が目的なのではなく,人間が神に接近するための準備なのである。それはまず,自己の行為を形式的倫理的に神の命令・意志に一致させるだけではなく,内面的にも自己と神とを隔てるいっさいのものを取り除くことにある。そのためにスーフィーは,通常のムスリム以上に神の法(シャリーア)と使徒のスンナ慣行,範例)を厳しく守るだけではなく,さまざまな禁欲的修行によって,現世,すなわち神以外のいっさいのものへの執着を断ち切り,ひたすら神を求めるよう努力する。さらに不断のコーラン読誦,礼拝,祈り(ドゥアー),瞑想,ジクルなどによって常に神を思念し,神とともに生きるように努める。この修行の道程については後に理論的反省が加えられ,修行者のたどるべき道としての神秘階梯がまとめられる。第1が懺悔・回心,第2が律法遵守,第3が隠遁と独居,第4が清貧と禁欲,第5が心との戦い,第6が神への絶対的信頼である。修行者は導師(ムルシドmurshid,ピールpīr)の指導を受けながら,これらの階梯を一つ一つ昇っていく。こうして倫理的な面での準備ができると,いっさいの雑行や雑念を去り,ひたすら神の名を唱えて思念を神に集中するジクルの段階に進む。こうして波一つ立たない水面のように心を無にして,神の恩寵をひたすら待つのである。やがてジクルの対象madhkūr,ジクルの主体dhākir,ジクルの行為dhikrという区分消滅し,ジクルの対象である神が主体の心を完全に圧倒し包摂し尽くして,自己をまったく意識しない忘我の状態に入る。これがスーフィーの間でファナーfanā'(消滅)と呼ばれる神秘的合一体験である。それは,神そのものとの一種の触合いの体験である。この状態は長くは続かないが,無上の歓喜として,またまったく新しい世界の開示として,スーフィーの心に強力な作用を及ぼす。いまや彼は〈愛するもの〉(神)への愛と苦悩にとりつかれ,再会を熱望する。こうしてファナーの繰返しによって神への愛が深められ,神との〈親しさ〉が増す。いまやスーフィーは何を考え何をしても,自己と神との間で意志のうえでの不一致はなくなる。これが聖者である。

 歴史的にはスーフィズムは,キリスト教ヘレニズム(新プラトン派の思想),インド思想などの影響のもとに生成・発展したことは否定しえないが,本質的にはイスラム内部に生じた問題に対する一つの対応であった。初期の禁欲主義がムスリム全般の富裕化に対する一つの反動であったように,それはシャリーアの形式主義化と神学的思弁による神の非人格化に対する反動とみることができよう。スーフィーはウラマーの形式主義に対する批判として,行為の動機を重視した。しかし,内面性を強調するあまり,時としてシャリーアを無視する者さえ出て,ウラマーの批判を招き,両者の関係は緊張していた。このような状況の中でガザーリーらスーフィーの理論家たちは,神秘主義が決してシャリーアに反するものでないことを弁護した。このような護教家の努力と聖者の奇跡の威力によって,スーフィズムは徐々に一般に認められてきた。

 思想史的には,初期のスーフィーの理論家たちの関心は,おもに修行論と結びついたスーフィーの内面の心理分析であったが,やがてハッラージュやイブン・アルファーリドのように,スーフィーが垣間見た高い境地である一元的世界を詩によって表現するようになる。これはとくにルーミーにおいて頂点に達するペルシア詩の世界に引き継がれていく。他方では,イブン・アルアラビーのように,それを形而上学的思弁によって表現しようとする者も出てきた。すべてを存在において一つとみるワフダ・アルウジュード(存在一元論),個我の意識を去って神の意志に完全に同化した〈完全人間al-insān al-kāmil〉,その典型としての預言者ムハンマド,およびムハンマドの先在的ロゴスの理論などがその帰結である。
イスラム哲学 →神秘主義
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百科事典マイペディア 「イスラム神秘主義」の意味・わかりやすい解説

イスラム神秘主義【イスラムしんぴしゅぎ】

一般に〈スーフィズムsufism〉の称で知られるイスラムの思想伝統。語源はアラビア語スーフ(羊毛)とされ,神秘家はスーフィー(羊毛の粗衣をまとう者)と呼ばれる。富の蓄積と宗教指導者(ウラマー)の形式主義,神学的思弁の硬直化などに対する反動として興り,8世紀以降展開された。さまざまな修行によるファナーと呼ばれる神秘的合一体験の獲得が目指された。キリスト教,新プラトン主義,仏教を含むインド思想などの影響も指摘される。ラービア,ガザーリー,ハッラージュ,ルーミー,イブン・アルアラビーらが有力思想家として知られ,マシニョン,ニコルソン,コルバン,井筒俊彦などによる研究がある。
→関連項目神秘主義スーフィーニコルソンマシニョン

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世界大百科事典(旧版)内のイスラム神秘主義の言及

【イスラム】より

…しかし,イブン・ルシュドを最後にムスリムのアリストテレス学派の伝統は絶え,その後はイブン・アルアラビーの神智学と,スフラワルディーの照明哲学の結びついた十二イマーム派の神学的哲学が,イラン世界で独自の発展をとげたため,イスラムにあっては,啓示と理性とのぎりぎりの対決は回避された。 イスラム神秘主義の起源については学者によって意見が分かれ,ある者は外来の要素を重視し,他の者は内的発展の立場に立つ。イスラム神秘主義がコーランの教えと無関係でありえないのは当然であるが,イスラムの神秘的要素とイスラム神秘主義とは,決して同じものではない。…

※「イスラム神秘主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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