改訂新版 世界大百科事典 「ジュニアスレターズ」の意味・わかりやすい解説
ジュニアス・レターズ
Letters of Junius
18世紀後半,ロンドンの《パブリック・アドバタイザーPublic Advertizer》紙上にのせられた言論史上有名な,匿名の手紙群。ジュニアスの名による最初の手紙は,1769年1月21日付の同紙にのった。以後数年にわたり,文体・思考からみて同一筆者と思われる人物から断続して寄稿が続けられた。ペンネームは他にもいくつか使われているが,最も多用された〈ジュニアス〉で総称される。〈ジュニアス〉名のものは一貫して政治批判論文である。筆者は,政界内部の情報にくわしく,激烈な言辞で政府および各大臣を攻撃・批判したため,その衝撃は大きかった。一種演説調のリズミカルなスタイルをもつ名文で,以後のジャーナリズムの攻撃文章の典型となった。
69年12月19日にのった35番目の手紙は国王ジョージ3世にあてられたもので,〈あなたは本当の言葉をこれまで一度もお聞きになったことがない〉〈それがあなたの人生の不運と申し上げる以外にないが〉とか,さらに〈革命によって追われたスチュアート王家の運命も思い出されるとよいのではないか〉と脅迫的言辞も混ぜた徹底した国王批判の手紙であった。この手紙はロンドンの各紙にも転載され,王権強化の時代にあって大きな反響をよんだ。すでにジュニアス・レターズで2800の部数を3400に伸ばしていた《パブリック・アドバタイザー》は,このとき部数を一挙に5000台へ上げたといわれる。政府は印刷兼発行者ウッドフォールHenry Sampson Woodfallを誹毀(ひき)法をもとに裁判にかけたが,有罪にすることができなかった。このことは言論,とくに政治批判の自由を,実質的に大幅に拡大し,新聞の地位を大きく高めてゆくことになった。
〈ジュニアス〉はだれか,については,当時からいろいろな推測があって,日本でも杉村楚人冠らがなぞ解きを試みているが,新聞史家H.ハードらはサー・フランシスSir Philip Francis(1740-1818。政治家,人民の友協会の創立者の一人)だ,としている。しかし,決め手になる証拠はない。
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報