人民の友協会(読み)じんみんのともきょうかい(その他表記)Société des Amis du Peuple

改訂新版 世界大百科事典 「人民の友協会」の意味・わかりやすい解説

人民の友協会 (じんみんのともきょうかい)
Société des Amis du Peuple

フランスの共和主義的政治結社。1830年,七月革命のさなか結成され,革命直後から活発な宣伝活動を展開したが,その〈宣言〉は,政治的諸制度の改革とともに,協会の目的として〈下層階級の物質的精神的状態の改善〉をかかげ,社会問題・労働問題に取り組む姿勢を明らかにした。31年議長となったラスパイユFrançois-Vincent Raspail(1794-1878)は,宣伝活動とともに,労働者に対する無料教育講座の開設,医療奉仕など新たな形態の活動を組織し,労働者階級に徐々に影響力を拡大しつつあったが,たびかさなる指導者の逮捕により,32年6月,ラマルクの葬儀の蜂起後には事実上活動は麻痺し,同年末,解体に追い込まれた。主要メンバーとしては,E.L.G.カベニャック,L.A.ブランキ,E.アラゴらが名を連ねるが,労働者の加入は少なかった。同派の活動は,七月王政初期における共和主義運動の再生とその新たな展開を示すものである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「人民の友協会」の意味・わかりやすい解説

人民の友協会
じんみんのともきょうかい
Société des Amis du peuple

フランス,七月王政期に形成された共和派の結社の一つ。当時,議会外の小市民,労働者層の運動を基盤とする共和主義派にはさまざまの傾向をもった結社が形成されたが,なかでも「人民の友」協会にはジャコバン主義伝統が流れ込んで,労働者への接近を強めていた。 1832年6月5日共和派のラマルク将軍の葬儀を契機に発展した反政府デモには「人民の友」協会の会員が多数参加しており,すでに 31年リヨンの労働者蜂起を支持する態度に出ていた。

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デジタル大辞泉プラス 「人民の友協会」の解説

人民の友協会

フランスで1830年に組織された共和主義者による秘密結社。ブランキ、カベニャックらが参加。

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世界大百科事典(旧版)内の人民の友協会の言及

【カベニャック】より

…大革命期に国民公会議員であった父の影響で,ジャコバンの信奉者となる。七月革命前はカルボナリ党などの結社に属したが,革命直後に人民の友協会を組織,これが1832年6月パリの民衆蜂起で弾圧されると,強力な下部組織をもつ人間の権利協会の発展に努め,中央委員会の議長となった。組織内の穏健派と革命派の協調に腐心すると同時に,《革命のパリ》(4巻)を編集するなど,宣伝活動にも力を尽くした。…

※「人民の友協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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