( 1 )アメリカではストリップティーズ(striptease)という。
( 2 )日本では、昭和二二年(一九四七)、東京新宿の帝都座で、額縁のむこうに胸と腰を薄い布でおおった裸の女性を立たせて一分間ほど見せた「額縁ショー」が最初といわれている。翌年には浅草の常盤座で本格的なストリップショーが上演され、以後急速に全国に広まった。
女性が踊りながら着ているものを一枚ずつ脱いでいくショーのこと。英語ではストリップティーズstripteaseといい,ストリップ(脱ぐ)とティーズ(じらす)を演じながら観客を楽しませる。聖書には7枚のベールで踊ったというサロメの話があり,日本でも《古事記》に天照(あまてらす)大神が天岩屋戸にかくれたとき,天宇受売(あめのうずめ)命が〈胸乳(むなち)を掛き出で,裳緒(もひも)をほとに忍(お)し垂れ〉て踊ったとある。このように女性が裸を見せる演芸は古い歴史をもっているが,現代のストリップは19世紀のイギリスのミュージック・ホールから始まったといわれている。19世紀には都市に膨大な人口が集中したので,都市の娯楽が発達し,酒場で行われていた演芸は独立して,ミュージック・ホールがつくられるようになった。ストリップははじめ〈タブロー・ビバンtableau vivant(活人画)〉として登場した。これは裸の女性があるポーズをしたまま動かないもので,動くとわいせつであるとして取り締まられた。しかししだいにタブロー・ビバンとダンスが結びつき,動くヌードがあらわれた。19世紀末にはパリのモンマルトルにキャバレーやナイトクラブが次々と開かれ,ムーラン・ルージュ,フォリー・ベルジェールなどではほとんど裸に近い女性のダンスを見ることができるようになった。1920年代になると,この傾向はさらに大胆なものとなる。25年にパリのシャンゼリゼ劇場に登場したジョセフィン・ベーカーは,褐色の肌に腰にバナナをつけただけの姿で登場し,人々を驚かせた。また,アメリカでは1860年代からコーラスガールと寸劇などを組み合わせたバーレスク・ショーが流行し,1920年代にはストリップティーズがその重要な演目となった。しかし,このようなスタイルのストリップショーは,1960年代における性の表現の自由化のなかで危機を迎えた。性文化は多様化し,急進化していき,映画においても全裸表現が解禁になった。裸が街に氾濫し,ストリップショーはその独占的地位を失ってしまった。
日本のストリップショーは,第2次大戦後,1947年に東京新宿の帝都座五階劇場で上演された秦豊吉の製作による〈名画アルバム〉がはじめであった。舞台に大きな額縁をつくり,その中に上半身を裸にしたモデルがポーズをとり,わずかの時間だけ幕を開くというもので,額縁ショーともいわれた。やはりはじめは,動くとわいせつとされていたのである。帝都座についで浅草の常盤座などぞくぞくストリップ劇場が開場していった。52年には日劇ミュージック・ホールが開場し,東京の中心にストリップショーが現れたとして評判になった。しかし60年代の性文化の新しい波は日本にも押し寄せ,大きな劇場できらびやかなショーを見せるというストリップは姿を消していった。
執筆者:海野 弘
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ストリップティーズstrip teaseとも、略してストリップともいう。踊り子が音楽にあわせて衣類を脱いでゆく見せ物で、初めから裸体のヌードショーも含めていうことがある。19世紀後半から盛んになったアメリカのミュージック・ホールのバーレスク(笑劇)から始まったとされるが、1893年から翌年にかけパリのミュージック・ホールで踊り子がヌードになったのが始まりという説もある。第一次世界大戦後1920年ごろからアメリカ・バーレスクの主要な出し物となり、第二次世界大戦前後から世界に広がった。日本では天鈿女命(あめのうずめのみこと)の天の岩戸前の踊りや女歌舞伎(かぶき)に淵源(えんげん)を求めることもできるが、一般には1947年(昭和22)1月に東京・新宿の帝都座五階劇場で、秦豊吉(はたとよきち)(1892―1956)が企画・演出した額縁ショー「ヴィーナスの誕生」が第1号とされる。泰西名画に見立てた半裸のモデルが、舞台に立てた額縁に収まる趣向で、観客が詰めかけた。ただし、このショーのモデルが静止したままであり、本来の意味のストリップは、同年5月渋谷の東横百貨店四階劇場の『東京フォーリーズ』公演で、踊り子がブラジャーをとったのが最初だともいう。このあと、たけのこダンス、裸ショーといった形で各地に広がり、一時は盛り場に専門劇場が軒を並べ、スパンコール、バタフライなどの用語を一般化させ、第二次世界大戦後の世相を象徴する大衆娯楽となった。観客のより強い刺激要求から、1950年代風呂桶(ふろおけ)ショー、特出し、1960年代全スト、レズ、1970年代SM、マナ板ショーとエスカレートし、当局の絶え間ない取締り対象である反面、踊りを見せる正統派ストリップは衰退の一途をたどっている。
[森脇逸男]
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…明治初年,まず名画を模したものが紹介され,中期の欧化主義時代から流行,初めは外国人の手によったが,1903年教育家下田歌子が実践女学校創立のため開催した水交社(海軍将校の社交団体)の園遊会で余興に試みてから,女学校や小学校の学芸会などに流行した。また1948年,第2次世界大戦後の東京の帝都座などに,〈額縁ショー〉と称する裸体活人画が生まれて一時流行し,のちのストリップショーの先駆となった。歌舞伎のだんまりの中の見得(みえ)や幕切れの絵面(えめん)の見得,ゴーゴリの風刺喜劇《検察官》の突然の静止による最終場面なども広義の活人画といえよう。…
…そんな中で,ひととき人気を集めたのは,空気座による,田村泰次郎原作・小崎政房脚色の《肉体の門》で,47年に東京だけで4ヵ月続演した。しかし,これとても軽演劇がうけたというよりは,当時のストリップショー全盛時代の世相の反映であった。
[テレビ以降の軽演劇]
本格的な民間放送時代に入った51年から,軽演劇の役者や作家の多くはラジオへ移行し,彼らの芸は家庭向きの〈良識〉的表現にまとめられていった。…
※「ストリップショー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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