スピードスケート(読み)すぴーどすけーと(英語表記)speed skating

翻訳|speed skating

デジタル大辞泉 「スピードスケート」の意味・読み・例文・類語

スピード‐スケート

speed skatingから》スケートで一定の距離を走って速さを競う競技。種目には、個人の短距離(500~1500メートル)と長距離(3000~10000メートル)、チームパシュートマススタートなどがある。主に屋内のリンクで、1周400メートルのダブルトラックで行われる。
[補説]英語でspeed skateは、スピードスケート用の靴の意。
(2024年9月現在)
▽500メートル
 世界記録男子:33秒61(2019年3月9日 パベル=クリズニコフ ロシア)
 世界記録女子:36秒36(2013年11月16日 李相花 韓国)
 日本記録男子:33秒79(2019年3月10日 新浜立也)
 日本記録女子:36秒47(2019年3月9日 小平奈緒)
▽1000メートル
 世界記録男子:1分05秒37(2024年1月26日 ジョーダン=ストルツ 米国)
 世界記録女子:1分11秒61(2019年3月9日 ブリタニー=ボウ 米国)
 日本記録男子:1分06秒68(2024年1月21日 野々村太陽)
 日本記録女子:1分11秒71(2019年3月9日 高木美帆)
▽1500メートル
 世界記録男子:1分40秒17(2019年3月10日 キエルド=ナウシュ オランダ)
 世界記録女子:1分49秒83(2019年3月10日 高木美帆)
 日本記録男子:1分42秒36(2020年2月16日 一戸誠太郎)
 日本記録女子:1分49秒83(2019年3月10日 高木美帆)
▽3000メートル
 世界記録男子:3分37秒28(2005年11月5日 エスキル=エルビク ノルウェー
 世界記録女子:3分52秒02(2019年3月9日 マルティナ=サブリコバ チェコ)
 日本記録男子:3分42秒82(2022年9月3日 一戸誠太郎)
 日本記録女子:3分55秒45(2021年12月10日 高木美帆)
▽5000メートル
 世界記録男子:6分01秒56(2021年12月3日 ニルス=ファンデルプール スウェーデン
 世界記録女子:6分39秒02(2020年2月15日 ナタリア=ボロニナ ロシア)
 日本記録男子:6分12秒80(2017年12月1日 一戸誠太郎)
 日本記録女子:6分55秒07(2011年2月18日 石野枝里子)
▽10000メートル
 世界記録男子:12分30秒74(2022年2月11日 ニルス=ファンデルプール スウェーデン)
 日本記録男子:12分55秒62(2020年2月14日 土屋良輔)

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精選版 日本国語大辞典 「スピードスケート」の意味・読み・例文・類語

スピード‐スケート

  1. 〘 名詞 〙 ( 洋語speed skate ) 速さを競うスケート競技。スピードスケーティング。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スピードスケート」の意味・わかりやすい解説

スピードスケート
すぴーどすけーと
speed skating

一定の距離を滑走し、速さを競うスケート競技。広義にはショートトラック競技を含むが、本項ではロングトラックを使用する狭義のスピードスケートについて解説する。ショートトラック競技については、項目「ショートトラックスピードスケート」を参照のこと。

[有賀豊文]

歴史

18世紀から、オランダを発祥の地として発達した。19世紀に入るとイギリスで盛んに行われるようになり、1863年には、ノルウェーで、最初のスピードスケート競技会が開かれた。当時のレースの距離は1マイル、2マイル、5マイルさらに10マイルのような長い距離で、かつ集団スタートのレースであった。スケートが盛んになりヨーロッパ各地にスケート団体が誕生し、1892年に国際スケート連盟(ISU:International Skating Union)が組織され、1893年に第1回男子スピードスケート世界選手権大会が開催された。1936年からは女子の世界選手権も行われるようになった。

 日本が国際スケート連盟に加盟したのは1926年(大正15)である。1909年(明治42)長野県諏訪湖で行われた諏訪湖一周スケート大会が最初のスピードスケート大会であり、これが契機となりスピードスケートが全国に普及したのである。本格的な競技が行われたのは、1929年(昭和4)に大日本スケート競技連盟(現、日本スケート連盟)が結成され、1930年に第1回全日本スピードスケート選手権大会が青森県八戸市長根リンクで開催されてからである。その後、1947年(昭和22)第1回国民体育大会スケート競技会が同じく青森県八戸市で開催された。以後スピードスケート競技が急速に普及・発展することとなった。1961年、第16回国民体育大会スケート競技会(軽井沢)では、国内初の屋外パイピングリンク(冷却用パイプを敷設した人工凍結リンク)が使用された。それ以降、天然リンクからパイピングリンクへと全国各地で本格的なスケート場が誕生することとなった。

 日本の冬季オリンピック出場は、1932年にアメリカのレーク・プラシッドで行われた第3回大会が最初である。その後は第5回大会を除き、毎回参加している。国際的な大会招致では、1954年に札幌で男子世界選手権大会、1963年には軽井沢で男女の世界選手権大会が開催された。それまでは男女別に開催されており、同時に開催されたことは、国際スケート連盟創立以来の壮挙とされている。また、1970年から男女とも500、1000メートル総合の世界スプリント選手権大会が新設された。スプリント競技については、日本選手が得意として、のちに大活躍をしている。

 スケート用具では、かかと部分のブレードが離れるスラップスケートが、ヨーロッパで開発され、1997年ごろから公式大会での使用が認められるようになり、記録も飛躍的に向上することとなった。また国内の施設面では、それまで400メートルリンクは屋外リンクのみであったが、1996年、屋内400メートルリンクがオリンピック会場として長野市に建設され、通年の利用が可能となった。2009年(平成21)、北海道帯広市に誕生した二つ目の屋内400メートルリンクとともに、ナショナルトレーニングセンターとして国の指定を受け、選手強化や国内競技会、国際競技会開催などに活用されている。

両角政人・有賀豊文]

競技方法とおもなルール

競技距離
 個人競技には、男女それぞれ、500メートル×2、500メートル、1000メートル、1500メートル、3000メートル、5000メートルがあり、さらに男子1万メートルがある。このうち500メートル×2は、500メートルを2回滑走(インナーレーンとアウターレーンのレーンを変えてスタートする)して、その合計タイムで順位を争うもので、距離別競技会のほとんどがこの競技方法を採用している。団体競技には2000メートルリレー、チームパシュートレースがある。

 競技会には、距離別競技会と総合選手権大会とがある。距離別競技会では、男女別および競技会ごとに実施する距離を定め、各距離に賞を与える。総合選手権大会は、4距離を滑走し、各距離のタイムを500メートルに換算した得点により、その合計得点の少ない者を勝者とし賞を与える。総合選手権大会は、距離の組合せにより、さらにオールラウンド選手権、スプリント選手権に分かれる。

トラック
 シングルトラックとダブルトラックがある。ダブルトラックは、各4メートル幅の二つのレーンを有する。オリンピックや世界選手権など多くの国際大会ではダブルトラックが、国民体育大会などではシングルトラックが採用されている。ダブルトラックには1周400メートルのものと333.1/3メートルのものがあり、シングルトラックには、1周378.36メートルと320.66メートルがある。

ダブルトラック競技
 個人競技では、2名のスケーターが、それぞれインナーレーン(赤色)とアウターレーン(白色)からスタートし、バックストレートの交差エリア(カーブの出口からストレート全体の間)で周回ごとにレーンを入れ替わり滑走する。スタートの際、1回目に不正スタートを行ったスケーターは警告を受け、2回目の不正スタートを行ったスケーター(1回目不正スタートを行ったか否かは問わない)は失格となる。また、レーンを入れ替わる際にインナーレーンからアウターレーンに移動するスケーターが同走のスケーターを妨害すると失格となる。

 特殊なスタートとして、1500メートル以上の距離にカルテットスタート方式を用いる場合がある。これは、2名ずつ2組を半周の時差でスタートさせる方法で、トラック内に4名のスケーターが滑走することになる。最初にスタートする2名は、インナーレーンが白色、アウターレーンが赤色、次にスタートする組のインナーレーンは黄色、アウターレーンは青色の腕章または腰ひもを着けて滑走する。

 スタートのピストルに接続された電気時計(別系統のフォトフィニッシュ装置を用いる場合もある)が発砲により作動し、フィニッシュラインに設置された光電管を横切ることでタイムが計測される。スケートのブレード前方の先端がフィニッシュラインに到達したときにその距離を完了したものと判定され、スケーターがフィニッシュ直前で転倒しレーンを逸脱した場合は、フィニッシュラインの延長線上で計測される。1/100秒で計測し同タイムは同順位とするが、フォトフィニッシュ装置で測定している場合は、1/1000秒まで表示して順位を決定する(タイムは1/100秒)。

 リレーレースは、国際大会ではほとんど行われていないが、国内では団体対抗の競技会で多く実施されている。1チーム4名のスケーターが、2000メートルの距離を各500メートルずつ滑走する。バトンの引き継ぎは、定められた50メートルの引き継ぎゾーン内で行う。個人競技同様にバックストレートの交差エリアでは周回ごとにレーンを入れ替わらなければならない。

 チームパシュートレースは、1チームが3名または4名のスケーターによって構成され、ダブルトラックの内側レーンのみを使用して行われる。2チームがそれぞれのストレート中央部分から同時にスタートし、そのチームの3番目のスケーターがフィニッシュラインに到達したタイムにより順位を決定する。女子6周、男子8周がオリンピック競技として実施されている。

シングルトラック競技
 国内ではおもに国民体育大会で実施されている。予選、準々決勝、準決勝、決勝のラウンドを行い、それぞれのラウンドで次のラウンドに進出できる人数を制限し、決勝レースの着順で順位を決定する。

 短距離は8名以内、長距離は12名程度のスケーターが集団でスタートし、スケーターの手または腕を除いた体の一部がフィニッシュラインに到達した時にその距離を完了したものとする。フィニッシュ直前で転倒しトラックを逸脱した場合はフィニッシュラインの延長線上で同様の判定を行う。不正スタートを2回行ったスケーター、先頭のスケーターに2周追い越されたスケーターは失格とされる。

 特殊なルールとして、責任先頭制を採用するものがある。先頭を滑走するスケーターは風圧により体力を消耗するため、できる限り条件が平等となるように定められたルールで、各スケーターは二つのストレートの中央部分に設置されたラインを、定められた回数(1000メートルと1500メートルは1回、3000メートルは2回、5000メートルは4回、1万メートルは8回)先頭で通過しなければならない。個人競技の500メートルには適用されない。順位は、フィニッシュライン到着の結果から規定回数以上の責任先頭回数を取得しているスケーターの到着順で上位となり、次に規定回数に満たないスケーターの到着順に順位が決定される。ただし、1万メートルに限り規定の回数以上を取得しているスケーター、次に取得した回数の多いスケーター、次に未取得のスケーターとし、それぞれフィニッシュラインの到着順に順位を決定する。したがって、フィニッシュ時の到着順と最終順位とがまったく異なる場合がある。また、先頭のスケーターに1周追い越された場合は、その時点で取得していた責任先頭の取得回数は無効となり、たとえ抜き返しても責任先頭の回数は復活しない。

 リレーレースは、1チーム4名のスケーターがあらかじめ決められた順序でバトンを引き継いで2000メートルを滑走する。バックストレート中央部分にある50メートルのリレーゾーンの間でバトンの引き継ぎを行う。ゾーンは1か所に固定されており、第1走者と第4走者はスタートライン・フィニシュラインの位置が異なるため約1周半の距離を、第2・3走者は引き継ぎゾーンからゾーンまでの1周の距離を滑走することとなる。

[有賀豊文]

世界の情勢

スピードスケートが盛んになって以来、ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧3国が強豪として君臨し、これにソ連、オランダ、アメリカなどが加わった。ノルウェーのオスカー・マティーセンOscar Mathisen(1888―1954)、イバール・バラングルートIvar Ballangrud(1904―1969)、ヤルマール・アンデルセンHjalmar Andersen(1923―2013)、フィンランドのクラス・ツンベルグArnóld Clas Robert Thunberg(1893―1973)、ソ連のリディア・スコブリコーワЛидия Павловна Скобликова/Lidiya Pavlovna Skoblikova(1939― )(1964年冬季オリンピック・インスブルック大会の四冠王)、オレグ・ゴンチャレンコОлег Георгиевич Гончаренко/Oleg Goncharenko(1931―1986)、オランダのアルト・シェンクAdrianus Schenk(1944― )など、いずれもオリンピックなどで活躍した選手たちである。

 1980年代は、女子ではアメリカのボニー・ブレアBonnie Blair(1964― )、ドイツのクラウディア・ペヒシュタインClaudia Pechstein(1972― )、カナダのカトリオナ・ルメイ・ドーンCatriona Le May Doan(1970― )、男子ではアメリカのエリック・ハイデンEric Arthur Heiden(1958― )(1980年冬季オリンピック・レーク・プラシッド大会の五冠王)とダン・ジャンセンDaniel Erwin Jansen(1965― )、スウェーデンのトーマス・グスタフソンTomas Gustafson(1959― )、ドイツのウーベ・イェンス・マイUwe-Jens Mey(1963― )などが活躍した。

 1990年代以後は、女子ではオランダのマリアンヌ・ティメルMarianne Timmer(1974― )、ドイツのグンダ・ニーマン・シュティルネマンGunda Niemann-Stirnemann(1966― )、男子ではノルウェーのヨハン・オラフ・コスJohann Olav Koss(1968― )、オランダのジャンニ・ロメGianni Petrus Cornelis Romme(1973― )が挙げられる。冬季オリンピックにおいては、2002年ソルト・レーク・シティ大会の、オランダのヨヘム・アイトデハーゲJochem Simon Uytdehaage(1976― )による男子1万メートルでの13分の壁を破る12分58秒92の世界新、アメリカのデレク・パーラDerek Parra(1970― )の男子1500メートルでの世界新など、スラップスケートの威力が発揮されてきた。2006年トリノ大会では、長・中距離ともに、ジョーイ・チークWilliam Joseph Cheek(1979― )、チャド・ヘドリックChad Hedrick(1977― )、シャニー・デービスShani Davis(1982― )のアメリカ勢の活躍が目だった。女子はロシアのスベトラーナ・ズロワСветлана Сергеевна Журова/Svetlana Sergeyevna Zhurova(1972― )、カナダのシンディ・クラッセンCindy Klassen(1979― )、クララ・ヒューズClara Hughes(1972― )、オランダのイレイン・ブストIreen Wüst(1986― )などが目だつ。トリノ大会からはチームパシュートレースが新たな種目として加わり、女子はドイツ、男子はイタリアが、この種目のオリンピック初代チャンピオンとなった。2010年バンクーバー大会は、女子500メートルで李相花(イサンファ)(1989― )が、男子1万メートルで李承勲(イスンフン)(1988― )が金メダルを獲得し、韓国勢の活躍に目を見張るものがあった。カナダのクリスティン・ネスビットChristine Nesbitt(1985― )、チェコのマルチナ・サブリコワMartina Sáblíková(1987― )などの選手も活躍をしている。

[有賀豊文]

オリンピックにおける日本選手

日本選手のオリンピック初参加は、1932年(昭和7)アメリカで行われたレーク・プラシッド大会である。石原省三(1910―1993)、川村泰男、木谷徳雄、閏間留十(うるまとめじゅう)(1902―1999)の4名が参加した。1936年ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘン大会で男子500メートルに石原省三が第4位に入賞したのがオリンピックでの最初の入賞者である。1984年(昭和59)サラエボ大会(ユーゴスラビア)では、北澤欣浩(よしひろ)(1962― )が男子500メートルで銀メダルを獲得し、オリンピック初のメダリストとなった。1998年(平成10)長野大会の男子500メートルでは、清水宏保(1974― )が日本スケート界初の金メダルに輝いた。オリンピックにおけるスピードスケート日本人メダリストは以下のとおりである。


スピードスケート日本人メダリスト一覧
1984年サラエボ大会
    北澤欣浩(銀・男子500メートル)
1988年カルガリー大会
    黒岩彰(1961― )(銅・男子500メートル)
1992年アルベールビル大会
    黒岩敏幸(1969― )(銀・男子500メートル)
    橋本聖子(1964― )(銅・女子1500メートル)
    井上純一(1971― )(銅・男子500メートル)
    宮部行範(1968― )(銅・男子1000メートル)
1994年リレハンメル大会
    山本宏美(1970― )(銅・女子5000メートル)
    堀井学(1972― )(銅・男子500メートル)
1998年長野大会
    清水宏保(金・男子500メートル、銅・男子1000メートル)
    岡崎朋美(1971― )(銅・女子500メートル)
2002年ソルト・レーク・シティ大会
    清水宏保(銀・男子500メートル)
2010年バンクーバー大会
    長島圭一郎(1982― )(銀・男子500メートル)
    小平奈緒(1986― )、田畑真紀(1974― )、穂積雅子(1986― )(銀・女子チームパシュートレース)
    加藤条治(1985― )(銅・男子500メートル)

[有賀豊文]


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百科事典マイペディア 「スピードスケート」の意味・わかりやすい解説

スピードスケート

スケート競技の一種。一定距離を滑走しタイムを競う。正式には1周400mの長円形ダブルトラック(コースが内側と外側の二つに分けられたもの)を使用し,各コース1人ずつ2人1組で滑走し,1周ごとに定められた交差地域でコースを入れ替える。距離は,男子500m,1000m,1500m,5000m,1万m,女子は500m,1000m,1500m,3000m。オリンピックでは男子が1924年のシャモニー・モンブランオリンピックから採用された(1000mは1976年のインスブルックオリンピックから追加)。女子は1932年レークプラシッドオリンピックで公開競技として実施されたが,正式種目となったのは1960年スコーバレーオリンピックからである(5000mは1988年カルガリーオリンピックから追加)。2006年トリノオリンピックから男女団体追い抜きが加えられた。男子の強豪国は,短距離はドイツ,アメリカ,日本,韓国など,中距離はアメリカ,オランダ,長距離はオランダ,ノルウェーなどだが,2014年ソチオリンピックはオランダがオールラウンドの強さを発揮した。日本は短距離は伝統的に強く,500mで1984年サラエボオリンピックで北沢欣浩が銀,1988年カルガリーオリンピックで黒岩敏幸が銅,1992年アルベールビルオリンピックで黒岩敏幸が銀,井上純一が銅,1994年リレハンメルオリンピックで堀井学が銅,1998年長野オリンピックで清水宏保が金メダルを獲得,さらに2002年のソルトレークシティオリンピックで清水が銀メダルを獲得して6大会連続のメダル獲得となった。2010年バンクーバーオリンピックでも長島圭一郎が銀,加藤条治が銅を獲得している。女子は短距離はカナダ,中国,アメリカ,韓国が強く,中距離はカナダ,オランダ,長距離はオランダ,ドイツ,カナダなどが強豪。ソチオリンピックでは男子同様オランダが強さを発揮した。日本は1992年アルベールビルオリンピック1500mで橋本聖子が銅,1998年長野オリンピックで岡崎朋美が銅を獲得。2010年のバンクーバーオリンピックチームパシュートで銀メダルを獲得している(穂積雅子・小平奈緒・田畑真紀)。近年は1周の長さが短い室内リンクで行うショートトラックレースが盛んになり,1992年のアルベールビルオリンピックより正式種目となった。男女とも現在500m,1000m,1500mと男子5000mリレー,女子3000mリレーが行われている。強豪は韓国,続いて中国,カナダの順である。日本は男子が1992年アルベールビルオリンピック5000mリレーで銅,1998年長野オリンピック500mで西谷岳文が金,植松仁が銅を獲得したが,男女ともその後はメダル獲得はない。
→関連項目ショートトラック

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スピードスケート」の意味・わかりやすい解説

スピードスケート
speed skating

アイススケートの競技種目の一つで,スケートをつけて滑走し,タイムや着順を競う。ダブルとシングルのトラックレースがあり,競技場は1周 400mの楕円形トラックが標準。ダブルトラックレースは,二人の競技者が幅 4m,4.5mまたは 5mの二つのコースを備えたダブルトラックで行なうもので,バックストレート (トラックのゴールがある直線コースと反対側の直線コース) 中央で,インコースとアウトコースを入れ替えて滑走する。オリンピック種目は,男子が 500m,1000m,1500m,5000m,1万m,女子は 500m,1000m,1500m,3000m,5000m。シングルトラックレースは,単一コースで一度に数人の競技者が滑走するもので,国民体育大会や地方の大会で行なわれているにすぎず,諸外国ではほとんど採用されていない。

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知恵蔵 「スピードスケート」の解説

スピードスケート

400mトラックでスピードを競う。ショートトラックに対してロングトラックともいう。種目は男女とも短距離が500mと1000m、中距離が1500m。長距離は男子が5000mと1万mだが、女子は3000mと5000mで行われている。レースは通常ダブルトラックを使用し、2人1組で行われるタイムトライアル形式。シーズン中に10戦弱開かれるワールドカップは、種目別の総合優勝を決める大会で、それとは別に短距離は世界スプリント選手権、中・長距離グループでは世界選手権が毎年行われている。この2大会は種目別ではなく、総合成績を争うことを重点にする。1996年からは、そのシーズンのワールドカップ及び世界選手権で達成した各種目のタイムランキングに基づいて出場資格を得た選手が、1カ国最大3人まで出場できる、世界距離別選手権が行われるようになった。2001年大会まで男子500mでは清水宏保が5回、堀井学が1回と日本人が第1回大会以来6連勝した。05年には加藤条治が優勝。

(折山淑美 スポーツライター / 2007年)

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改訂新版 世界大百科事典 「スピードスケート」の意味・わかりやすい解説

スピードスケート

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世界大百科事典(旧版)内のスピードスケートの言及

【スケート】より

…スケートをする場所はリンクrinkと呼ぶ。スケート競技としては,スピードスケート,フィギュアスケート,アイスホッケーの3種類がある。アイスホッケーについては当該の項目を参照されたい。…

※「スピードスケート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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