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ズットナー Suttner, Bertha,Freifrau von

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ズットナー
Suttner, Bertha,Freifrau von

[生]1843.6.9. プラハ
[没]1914.6.21. ウィーン
オーストリアの作家。 A.ノーベルに平和賞設立を決意させたといわれる著名な平和論者。陸軍元帥の娘として生まれたが,家が没落したため,1873年ズットナー家の家庭教師となる。作家ズットナー男爵と婚約するが反対されたため,ノーベルのパリの自宅の秘書募集の広告に応募した。しかし数週間後ウィーンに戻り男爵夫人となった。その後ノーベルの死 (1896) まで彼とは2回しか会っていないが,文通は続いた。2人が最後に会ったのは 1892年8月のチューリヒで,彼女も出席したベルンでの平和会議のあとだった。 1891年ウィーンにオーストリア平和友の会を設立するなど平和運動にますます傾注する彼女の行動や手紙が,ノーベルに平和賞設立を決意させたといわれる。主著『武器を捨てよ!』 Die Waffen nieder! (1889) はベストセラーとなり,さらに同名の雑誌の編集長も務めた (1892~99) 。 1905年ノーベル平和賞を受賞。

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百科事典マイペディアの解説

ズットナー

オーストリアの女性作家。プラハの貴族出身。著作を通じて戦争反対を唱え,1891年〈オーストリア平和友の会〉を創立。1905年ノーベル平和賞受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

ズットナー【Bertha von Suttner】

1843‐1914
オーストリアの女流作家で平和主義者。プラハの上流貴族の家に生まれながら自立の道を歩み,社会批判の作品と平和運動をとおして世界的名声を得る。その平和主義的小説《武器を捨てよ》(1889)はほとんどすべてのヨーロッパ語に訳される。平和運動家としては1891年〈オーストリア平和の友の会〉を創立し,また友人ノーベルにすすめてノーベル平和賞を設けさせ,1905年同賞をみずから受けた。【良知 力】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ズットナー
ずっとなー
Bertha Felicie Sophie von Suttner
(1843―1914)

オーストリアの作家、平和主義者。キンスキー伯爵家の令嬢として、オーストリア帝国のプラハに生まれる。父は陸軍元帥であったが、彼女が生まれる前に死去し、母の手で育てられた。1876年に男爵アルトゥール・フォン・ズットナーArthur Gundaccar von Suttner(1850―1902)と結婚、ともに著述家として知られるようになった。短期間であるが結婚前に、ノーベル賞をつくったノーベルの秘書を務めており、その後もノーベルとは交流が続いた。ノーベル賞に平和賞が設けられたのは、彼女の影響が少なくないとされている。1889年に戦争の恐怖に耐えるヒロインを描いた小説『武器を捨てよ!』Die Waffen niederを出版、世界的反響をよんだ。このときから彼女は平和運動に積極的に参加し、1891年オーストリア平和協会を設立、その後も多くの平和団体に参加し、講演、執筆活動を通じて平和を訴えた。1905年女性として初めてノーベル平和賞を受賞、以後も休むことなく平和運動を続けたが、彼女がもっとも恐れていた第一次世界大戦が始まる前の1914年6月に死去した。[編集部]
『ズットナー研究会訳『武器を捨てよ!』上下(2011・新日本出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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