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セントヘレナ島(読み)セントヘレナトウ(その他表記)Saint Helena

翻訳|Saint Helena

デジタル大辞泉 「セントヘレナ島」の意味・読み・例文・類語

セントヘレナ‐とう〔‐タウ〕【セントヘレナ島】

Saint Helena Island
南大西洋の火山島。英国領。喜望峰回り航路の重要補給基地であった。ナポレオン1世が流されて死んだ地。面積122平方キロメートル。人口4439 人(2021/セントヘレナ行政庁統計)。
サンテレーヌ島

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精選版 日本国語大辞典 「セントヘレナ島」の意味・読み・例文・類語

セントヘレナ‐とう‥タウ【セントヘレナ島】

  1. ( Saint Helena ) 大西洋南西部、アフリカ大陸の沖合にある火山性の島。イギリス領。スエズ運河開通前はヨーロッパ‐アジア航路の重要な寄港地ナポレオン一世の流刑地として知られる。中心都市ジェームズタウン

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「セントヘレナ島」の意味・わかりやすい解説

セント・ヘレナ島
せんとへれなとう
Saint Helena

南大西洋にあるイギリス領の火山島。アフリカ大陸西岸の西方約1900キロメートル、南緯15度57分、西経5度45分に位置している。面積122平方キロメートル、人口7300(2001推計)。中心都市はジェームズタウンJamestown。周囲を断崖(だんがい)に囲まれた火山島で、内陸は平均標高500~600メートルの高原状地形をなし、最高峰はアクテオン山(825メートル)。気候は温暖で、気温は年間通して18~29℃、年降水量も300~900ミリメートルある。

 1502年ポルトガル人J・ノバ・カステリャが到達、命名した。ポルトガル領、オランダ領などを経て、1673年イギリス東インド会社の所有となり、1834年以後はイギリス領となった。1815年ナポレオンがこの島に流刑され、21年に死亡、以後ナポレオン終焉(しゅうえん)の地として世界的に知られた。かつては帆船交通の寄港地であったが、汽船の発明およびスエズ運河の開通によって、その重要性は失われた。行政的には、北西1200キロメートルのアセンション島、南南西3400キロメートルにあるトリスタン・ダ・クーニャ島とともに、イギリスから派遣されたセント・ヘレナ総督により統治される。耕地は全面積の3分の1以下で、フォーミウム(ニュージーランド原産の繊維植物)とジャガイモが栽培され、牧畜も行われる。財政はイギリスからの援助と関税からなり、輸出入もほとんどがイギリス向けである。島民はヨーロッパ人、アフリカ人、インド人の混血を主とし、キリスト教徒が多い。南アフリカ共和国ケープ・タウンとの間に海底ケーブルが敷かれている。島の交通手段は船であるが、87キロメートルに及ぶ舗装道路も開通している。

[林 晃史]

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改訂新版 世界大百科事典 「セントヘレナ島」の意味・わかりやすい解説

セント・ヘレナ[島]
Saint Helena

西アフリカ沖約1930kmの南大西洋上にあるイギリス領の孤島。面積122km2,人口4200(2008)。南緯15°55′,西経5°45′に位置し,中央にカルデラを有する火山島で最高点はダイアナ峰(823m)である。気候は南東貿易風とベンゲラ寒流のため,熱帯にもかかわらず温和。可耕地は島の20%にすぎないが,亜麻を中心にユリの球根,野菜などが栽培され,麻織物工業も立地する。また帆船時代には寄航地として栄えたが,スエズ運河開通後は重要性を失った。1815年にナポレオンが流刑され,6年後にこの地で没したことは有名。34年に王室の直轄植民地となり,1922年にアセンション島,38年にトリスタン・ダ・クーニャ島,ゴフ島などを付属領域として加えた。住民はイギリス系白人と西アフリカからの奴隷の子孫である黒人,およびその混血である。中心都市はジェームズタウンJamestown。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「セントヘレナ島」の意味・わかりやすい解説

セントヘレナ島
セントヘレナとう
Saint Helena

南大西洋,南緯15°57′,西経5°42′,アフリカ南西岸の西方 1950km沖にあるイギリス海外領土の火山島。中心地,主港はジェームズタウン。海岸は断崖が多く,南東貿易風と海流の影響で気候は快適。1502年ポルトガル人が到来,17世紀前半にイギリスとオランダがインド航路の中継基地として領有を争い,一時オランダ領となったが,1673年イギリス東インド会社の所有となり,1834年以降国王の直轄植民地。1815年のワーテルローの会戦で敗れたナポレオン1世の流刑地および終焉(1821)の地として有名。帆船時代には海上交通の要衝であったが,汽船の発達と,1869年のスエズ運河開通により重要性は低下。第2次世界大戦中はイギリス海軍の基地,今日では北西方のアセンション島とともに遠距離通信の中継地として重要。アマ,野菜,果物の栽培,牧畜が行なわれる。漁業はおもにマグロ漁が行なわれる。住民はヨーロッパ人,アフリカ人,インド人の混血が多い。面積 122km2。人口 3800(2003)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「セントヘレナ島」の解説

セントヘレナ島(セントヘレナとう)
St. Helena

南大西洋上のイギリス領の孤島。1501年にポルトガル人が発見し,1673年以後イギリス領となり東インド会社に属した。ナポレオン1世が1815年から21年まで流されていたことで有名。

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旺文社世界史事典 三訂版 「セントヘレナ島」の解説

セントヘレナ島
セントヘレナとう
Saint Helena

アフリカ大陸南西岸から1900㎞ の大西洋上にあるイギリス領の島
帆船の寄港地で,日本の天正少年使節も立ち寄った。1815年ナポレオン1世が流刑されたことで有名。

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