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セーブル条約 セーブルじょうやくTreaty of Sèvres

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

セーブル条約
セーブルじょうやく
Treaty of Sèvres

第1次世界大戦後の 1920年8月 10日フランスのセーブル連合国トルコのスルタン政府の間に結ばれた講和条約。トルコはオスマン帝国領土を失い,イギリスは,パレスチナ,イラクを委任統治領に,エジプトを保護国にするほか,フランスはシリアを委任統治領に,イタリアは南西アナトリアを,ギリシアはイズミル地方を領有するほか,アルメニアには東北アナトリアの割譲ダーダネルス海峡の開放などを規定した。しかしこの条約は M.ケマル・アタチュルクら民族派の反対で批准できず,あらためてローザンヌ条約が 23年7月4日に締結された。

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百科事典マイペディアの解説

セーブル条約【セーブルじょうやく】

第1次大戦後の1920年,フランスのセーブルにおいて連合国側とオスマン帝国との間に結ばれた講和条約。ダーダネルス海峡の開放,パレスティナを英国,シリアをフランスの委任統治領とし,エジプトを英国の保護国とすることなどを定めた。
→関連項目ケマル・アタチュルク第1次世界大戦パリ平和会議ローザンヌ会議

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世界大百科事典 第2版の解説

セーブルじょうやく【セーブル条約】

第1次世界大戦後の講和条約の一つで,1920年8月10日,パリ西郊のセーブルSèvresにおいてオスマン帝国のスルタン政府が受諾した条約。オスマン帝国の分割プランは戦時中から戦後にかけてさまざまの機会に取り上げられたが,20年4月の英仏サン・レモ会談で最終案が固まり,これが講和条件の基礎となった。その内容はオスマン帝国にとって不利なものであり,オスマン帝国はエジプト,アルメニア,シリア,メソポタミア,レバノン,パレスティナ,アラビア半島に対する主権を手放し,アフリカと地中海諸島における権利を放棄し,クルディスターンの自治を認め,ダーダネルスおよびボスポラス海峡を非武装化し国際管理のもとに置いた。

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大辞林 第三版の解説

セーブルじょうやく【セーブル条約】

1920年連合国とオスマン帝国が結んだ第一次大戦の講和条約。オスマン帝国は領土の縮小、ダーダネルス海峡の国際化、治外法権などの不平等な条件を承諾した。 → ローザンヌ条約

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

セーブル条約
せーぶるじょうやく

第一次世界大戦後の1920年8月10日、パリ郊外のセーブルSvresで結ばれた連合国とトルコとの講和条約。この条約でトルコは、イラク、パレスチナ、シリアの全域とアラビア半島を放棄し、バルカン半島ではイスタンブールと隣接地を残して他はギリシアに割譲することとなった。このほか、小アジアのイズミル地区もギリシア管理地区に、ドデカネス諸島とアナトリア南西部はイタリア領およびイタリア管理地区に、キリキアとクルディスターン南部はフランス管理地区となった。またダーダネルス、ボスポラス海峡は非武装のうえ国際管理下に置かれ、治外法権は存続、財政は連合国の共同管理といった、屈辱的な内容であった。この条約を受け入れようとするスルタン政府に対し、ケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)の率いるアンカラ新政府は受諾を拒否。アンカラ政府は、3年間の救国戦争に勝利を収めて、改めて23年にトルコに有利なローザンヌ条約を結び、セーブル条約は廃棄された。[藤村瞬一]

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世界大百科事典内のセーブル条約の言及

【イズミル】より

…1919年5月ギリシアは,この町を中心に〈イオニア国家〉の建設を意図して軍を派遣して占領した。20年8月のセーブル条約は,この町を5年間ギリシアの統治下におき,その後その帰属を人民投票によって決定することを規定した。しかしこの条約はトルコ人の祖国解放運動を激化させ,22年9月,トルコ軍はギリシア軍をこの町から追放し,23年7月のローザンヌ条約によってイズミルに対するトルコの主権が回復された。…

【イラク】より

…正式名称=イラク共和国al‐Jumhūrīya al‐‘Irāqīya∥Republic of Iraq面積=43万5052km2人口(1996)=2142万人首都=バグダードBaghdad(日本との時差=-6時間)主要言語=アラビア語,クルド語通貨=イラク・ディナールIraqi Dinarアジア南西部の共和国。日本の奄美諸島から北関東とほぼ同緯度の北緯30゜から37゜の間に位置し,北はトルコ,西はシリアとヨルダン,南はサウジアラビアとクウェート,東はイランに境を接する。…

【第1次世界大戦】より

…6月28日にドイツに調印を強いたベルサイユ条約の内容は過酷をきわめ,ドイツはこれを〈命令された平和〉と叫び反発した。ついでオーストリアとはサン・ジェルマン条約(1919年9月10日調印),ブルガリアとはヌイイー条約(1919年11月27日調印),ハンガリーとはトリアノン条約(1920年6月4日調印),トルコとはセーブル条約(1920年8月10日調印)がそれぞれ締結されたが,これらの諸条約を支柱として成立した第1次大戦後のヨーロッパの国際秩序はベルサイユ体制と呼ばれる。もっとも,そのうちトルコの結んだセーブル条約は,ケマル・アタチュルクの率いる国民党がオスマン・トルコ政府を倒して共和国を建設するとともにギリシアの侵入を撃退したあと,あらためて23年7月24日にローザンヌ条約を結び,トルコの民族自決を実力で列国に認めさせた。…

【ダーダネルス海峡】より

…第1次世界大戦ではイギリス・フランス連合軍が海峡占領を画策したが失敗に終わった。大戦後,セーブル条約(1920)で国際管理下に置かれたが,ローザンヌ条約(1923)で非武装を条件にトルコの支配管理権が認められ,現在にいたる。【長場 紘】。…

※「セーブル条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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