ソーントン(英語表記)Henry Thornton

改訂新版 世界大百科事典 「ソーントン」の意味・わかりやすい解説

ソーントン
Henry Thornton
生没年:1760-1815

イギリスの銀行家,慈善事業家。ロシア貿易商の三男としてロンドン郊外のクラパムに生まれた。1784年にダウン・フリー・アンド・ソーントン銀行に入り,銀行家としての第一歩を踏み出した。下院議員(1782-1815)として政治活動に携わると同時に,福音主義グループの指導者として慈善事業にも力を尽くし,とくに奴隷貿易禁止法案(1807)の成立に貢献したことで有名。しかし最も注目すべき点は金融理論家としての業績である。1802年出版の著書《イギリスの紙券信用の性質と影響に関する一研究(紙券信用論)》は,D.リカード,J.S.ミルらの貨幣理論の基礎となったばかりでなく,J.M.ケインズの流動性選好理論,名目利子率実質利子率の関係についてのI.フィッシャーの理論等,現代金融理論の先駆けとなる議論を展開している。その卓越した理論を背景として,10年にイギリス議会に設けられた地金委員会Bullion Committeeの中心的メンバーとして活躍し,いわゆる〈地金報告書〉を起草した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ソーントン」の意味・わかりやすい解説

ソーントン
Thornton,Henry

[生]1760.3.10. ヨークシャーハル
[没]1815.1.16. ロンドン,ケンジントン
イギリスの銀行家,慈善事業家,またイギリス国教会クラパム派の指導者の一人。 1782~1815年サザーク選出下院議員。経済学史上,すぐれた金融理論の業績で知られ,D.リカードらとともに 19世紀初頭の地金論争における中心人物の一人。主著『紙券信用論』 An Enquiry into the Nature and Effects of the Paper Credit of Great Britain (1802) で,銀行券の真正手形理論と還流法則とを批判し,地金主義者としての立場を明らかにした。貨幣の流通速度に重要性を付与し,中央銀行の裁量以外にも銀行券発行量における攪乱要因を積極的に認めたことは,当時のインフレーションをめぐる論争に大きな刺激を与えた。 1810年に下院の「地金委員会」の委員となり,同年 F.ホーナー,W.ハスキソンとともに有名な『地金報告』を起草した。

ソーントン
Thornton, William

[生]1759.5.20. 西インド諸島ヨストファンダイク島
[没]1828.3.28. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカのアマチュア建築家,発明家エディンバラ大学医学を修め,パリに学び,ヨーロッパ各地を旅行。 1788~94年フィラデルフィアに住み,ライブラリー・カンパニー・ビルディング設計 (1789~90,1884破壊) 。 93年,アメリカ国会議事堂設計競技で彼のドーム案が優勝。 94年ワシントン首都計画の委員となり,以後同地に定住。発明家としては,J.フィッチとともに外車船を造った。

ソーントン
Thornton, Matthew

[生]1714?
[没]1803
アメリカの医師,政治家。アメリカ独立革命期の愛国派,独立宣言署名者の一人。少年の頃アイルランドから新大陸へ渡る。 1740年以降ニューハンプシャーで医師を開業。革命前の独立運動の推進者。 76年大陸会議代表に選出された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android