地金論争(読み)じきんろんそう(その他表記)bullion controversy

日本大百科全書(ニッポニカ) 「地金論争」の意味・わかりやすい解説

地金論争
じきんろんそう
bullion controversy

ナポレオン戦争勃発(ぼっぱつ)以来、イギリス経済は通貨・信用面で困難な状況にあり、とりわけイングランド銀行が兌換(だかん)を停止した銀行制限時代(1797~1821)に生じた物価騰貴為替(かわせ)下落、金の鋳造価格と市場価格の乖離(かいり)といった一連の事態の原因究明に関連して、当時の通貨・銀行制度への批判と論争が生じた。そのなかの代表的なものが地金論争である。

 1810年、下院の特別委員会はF・ホーナー、W・ハスキソン、H・ソーントンが起草した「地金報告」Bullion Reportを提出、これらいっさいの原因を不換化されていたイングランド銀行券過剰発行に求め、為替を基準に発券統制を行うべきこと、早急な兌換再開が恒久的な救済策であることを主張した。この地金主義の立場にたつ人々bullionistのなかには、D・リカード、T・R・マルサスら理論家も含まれていた。これに対し、反地金主義の立場にたつ人々anti-bullionistはN・バンシタート、C・ボーズンキットらであり、地金に対する需要増加を引き起こしているのは不利な国際収支穀物不作などであって、銀行券は不換であっても真正手形の割引原理に従う限り過剰発行はありえないとした。

 ごく大づかみには、地金主義・反地金主義の対立が、後の通貨主義銀行主義の対立に連なっていったものと考えられる。

[鈴木芳徳]

『E・キャナン著、田中生夫訳・編『インフレーションの古典理論――地金報告の翻訳と解説』(1961・未来社)』『高木暢哉編『銀行論』(1975・有斐閣)』『渡辺佐平著『地金論争・通貨論争の研究』(1984・法政大学出版局)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地金論争」の意味・わかりやすい解説

地金論争
じきんろんそう
bullion controversy

18世紀末から 19世紀初期に起った一連の通貨論争のうち最大のもの。この時期のイギリスは産業革命,農業革命の急速な進行とナポレオン戦争という政治・経済的に複雑な状態にあり,通貨面では 1797~1819年にイングランド銀行が正貨支払いの制限,すなわち銀行券の兌換を停止した。特にこの間に大幅な物価上昇,金地金の市場価格の騰貴,外国為替相場の下落などの諸現象が続き,従来からの通貨論争が再燃した。このような事態のなかで D.リカードは論文『金の価格』 The Price of Goldのなかで銀行券の過剰発行による減価を主張,また 10年には下院に地金委員会が設置され,F.ホーナーらの起草による『地金報告』 bullion reportが提出された。この報告では通貨量の過剰を指摘し,銀行券の発行規制,2年以内の兌換再開を勧告した。リカードらの理論家から成る地金派はこれを支持し,政府,銀行,商人から成る反地金派は,通貨の過剰は存在せず,金需要の増加と不利な国際収支に起因する結果であると反対し,激しい論争を展開した。しかし翌年の下院は戦争下の政治的配慮もあり,報告の主張を拒否して反対派の主張を通過させ論争を一応終結させた。しかし地金派の主張はナポレオン戦争後下院で重視され,19年の兌換再開条例に結実されるとともに,その後の通貨論争の出発点ともなった。

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世界大百科事典(旧版)内の地金論争の言及

【通貨主義・銀行主義】より

…1950年代以降のマネタリズムとケインズ主義の論争もこの一例であるという見解すらある。また逆に通貨主義は19世紀初頭の地金論争における地金主義を,銀行主義は反地金主義を受け継ぐものであるともいわれる。 この論争は金融論にとって古くて新しい問題――貨幣の役割――を扱っており,学説史と制度史の双方に重要な影響を与えた画期ではあった。…

※「地金論争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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