タウスグ(読み)たうすぐ(英語表記)Tausug

日本大百科全書(ニッポニカ) 「タウスグ」の意味・わかりやすい解説

タウスグ
たうすぐ
Tausug

フィリピン南部、ホロ島を中心とするスル諸島(より現地音に近い正確な表記はスルー諸島またはスールー諸島となる)各地、ミンダナオ島南西部、マレーシアのサバ州東海岸などに居住する民族集団。タウスグ語を母語とする。「タウスグ」とは、もともと彼らのことばで「潮流の人」を意味した。マレーシアではスルックSulukという呼称で知られる。人口は50万2918(1988)。少数のキリスト教への改宗者を除き、ほとんどのタウスグ人はムスリムイスラム教徒)である。また、マギンダナオマラナオサマなどの民族集団とともに「モロ」と総称されたフィリピン・ムスリムを構成する。ただし、「モロ」は蔑称(べっしょう)として用いられてきたので、好ましい呼称ではない。

 伝承によると、イスラム教伝来以前は、タウスグ人の祖先はバヌアとよばれる小規模の地縁共同体ごとにホロ島各地に分散して居住し、バヌアを越える政治的統合は存在しなかった。14世紀後半までには、マクダムと称される複数のアラブ系商人によってイスラム教が伝えられ、15世紀中盤タウスグ人は、スルタン(イスラムの国王首長)を中心とした中央集権的なイスラム王国(スルタネイトSultanate)であるスル王国を建設。以後ホロ島はスル王国の政治的首都であるとともに、東南アジア海域世界の交易ネットワークの結節点の一つとして繁栄し、スル諸島はミンダナオ島と並ぶフィリピンにおけるイスラムの拠点として知られるようになる。16世紀以降、スル王国はスペイン植民地政府侵攻にも抵抗し、実質的な支配を免れた。

 20世紀に入ると、スル諸島はアメリカによる植民地統治や太平洋戦争期の日本による一時的統治を経て、1946年独立したフィリピン共和国に編入された。16世紀以来一貫して中央政府の支配に抵抗してきたフィリピン・ムスリムは1970年ごろ、タウスグ人の血をひくヌル・ミスアリNur Misuari(1941― )を議長とするモロ民族解放戦線MNLF)を発足、分離独立を目ざした。フィリピン政府との間で激しい武力衝突も勃発(ぼっぱつ)するが、96年9月に政府とMNLFは和平協定に調印、暫定的行政機関として南部フィリピン和平開発評議会が設置され、ミスアリが議長に就任、両者の武力紛争に終止符が打たれ、ムスリムの自治体制が承認された。近年、タウスグ人の間では、いわゆるイスラム復興運動などイスラムの影響力がさらに増大しつつある。

[床呂郁哉]

『床呂郁哉著『越境――スールー海域世界から』(1999・岩波書店)』

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