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マレーシア マレーシア Malaysia

翻訳|Malaysia

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マレーシア
マレーシア
Malaysia

正式名称 マレーシア。面積 33万804km2。人口 2816万1000(2011推計)。首都 クアラルンプール東南アジアの連邦制立憲君主国南シナ海を挟んでマレー半島部とボルネオ島のサバ,サラワク両州よりなる。

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百科事典マイペディアの解説

マレーシア

◎正式名称−マレーシアMalaysia。◎面積−33万803km2。◎人口−2833万人(2010)。◎首都−クアラルンプールKuala Lumpur(138万人,2000)。
→関連項目経済連携協定東南アジア

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世界大百科事典 第2版の解説

マレーシア【Malaysia】

正式名称=マレーシアMalaysia面積=32万9758km2人口(1996)=2036万人首都=クアラ・ルンプルKuala Lumpur(日本との時差=-1時間)主要言語=マレーシア語(マレー語),中国語,英語,タミル語通貨=リンギRinggit東南アジア,マレー半島南部を占める半島マレーシア(西マレーシア)とボルネオ島北部の島嶼マレーシア(東マレーシア)からなる立憲君主国。イギリス連邦の一員。イギリス植民地時代に形成された二重経済構造,それを支えた移民の増大に伴う多民族国化は,今日のマレーシア社会を特色づけている。

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大辞林 第三版の解説

マレーシア【Malaysia】

マレー半島南部とカリマンタン島北部から成る立憲君主国。1963年マラヤ連邦・サバ・サラワクなどが結成した連邦国家。一三州から成る(結成当初参加したシンガポールは65年分離・独立)。ゴム・スズの世界的な産出国。マレー人のほか中国系人・インド系人が居住し、民族構成は複雑。主要言語はムラユ語と英語。イスラム教を国教とする。首都クアラルンプール。面積33万平方キロメートル。人口2530万( 2005)。正称、マレーシア。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マレーシア
まれーしあ
Malaysia

東南アジアの立憲君主国。マレー半島南部のマレーシア本土と、ボルネオ島北岸のサバ、サラワク両州からなり連邦制をとる。1963年以前はマレー半島南部(マラヤ)を中心にマラヤ連邦を構成していた。面積は32万9758平方キロメートルで日本の約87%に相当する。人口2657万2000(2007)で、約80%はマレーシア本土に居住する。首都はクアラ・ルンプール。国旗の縞(しま)と星の光の数14は、マレーシア発足当時の14州を示したが、シンガポール離脱後は13州と連邦政府の統一を表している。また三日月と星は国教のイスラム教を象徴する。[別技篤彦・賀陽美智子]

自然

マレー半島部は全体として山がちの地形をなし、中央部には中央山脈が南北に縦走している。またこの山脈に並行して東・西バンジャラン山脈が延び、東バンジャラン山脈中に半島の最高峰タハン山(2189メートル)がそびえる。山地は北部では険しいが、南へいくにしたがってしだいに低くなり、南端では準平原化が著しい。また山地を中心にその東西には山麓(さんろく)部、海岸平野部、マングローブの密生する海岸低湿地がほぼ対称的に並ぶ。なお地質的に山地は花崗(かこう)岩、砂岩、石灰岩などからなり、花崗岩山地には豊富な錫(すず)鉱が埋蔵され、この国を世界最大の錫鉱の生産国としてきたが、その地位は徐々に低下してきている。
 河川は東岸に注ぐケランタン川、トレンガヌ川、パハン川、西岸に注ぐペラク川、セランゴール川、ミューア川などがおもなものである。いずれも流路は短いが水量は豊富で、密林中を蛇行する。気候は典型的な熱帯雨林型で高温多湿である。クアラ・ルンプールの年平均気温は27.0℃、年降水量は2389.8ミリメートルに達する。降水量は各月にわたって平均化されているが、東岸は北東モンスーン季(11月~2月)に多い。
 ボルネオ島のサラワク州では、海岸から幅広い低湿地帯が広がり、そこをラジャン、ルパルなどの河川が蛇行している。しかしその背後で地形はしだいに高度を増し、カプアス、イランなどボルネオ島の脊梁(せきりょう)山脈へと移行していく。一方サバ州は、この脊梁山脈が州の大半を占めるため、全体が山がちである。北西にはボルネオ島最高峰のキナバル山(4094メートル)がそびえている。またサバ州の海岸は出入りに富み、とくに東部には大きい湾が多い。気候は本土のマレー半島部と類似するが、降水量はいっそう多くなり、サラワク州では年間3900ミリメートルにも及ぶ。この多量の降雨は高温とともに、この地方全体のなお70~80%が密林に覆われる状態を生んでいる。[別技篤彦・賀陽美智子]

地誌

マレーシアでは地域により開発度が著しく異なり、それが地域的特色を生み出す主因となっている。半島部では中央山地を境として東西両海岸の地域差が著しい。人口密度も西海岸一帯が1平方キロメートルにつき80人以上であるのに、山地や東海岸地方は10人前後という極端な差異を示している。古くは半島におけるマレー人の分布にはさしたる地域差はなかったと思われるが、近代に入って西海岸が急速に開発され、多数のインド人、中国人が移住してきたことでこの差が生じた。西海岸はマラッカ海峡という国際的交通路に面しているため、古くからペナン、マラッカの二大港湾都市が発達していた。しかし19世紀中ごろまで、その他の地域は低地に水田地帯がみられるにすぎなかった。ところがイギリスの進出とともに、錫(すず)の採掘とゴム園の経営という二大産業がおこった。
 錫採掘は19世紀中ごろから、ペラク州のキンタ河谷から始まり、海岸伝いに南へと広がった。またゴム栽培は19世紀末から開始され、北はケダー州から南はジョホール州に至る西岸一帯に広がった。いずれの産業も自然的条件に恵まれて発展したのであるが、西海岸に良港が備わっていたことも、発展を促す大きな要因となった。すなわち、港から労働力として外来民族を移入しやすく、生産物をそこから輸出しやすいという条件が幸いしたのである。こうして今日では西海岸にペナン、イポー、クアラ・ルンプール、セレンバン、マラッカ、クルアンなど諸都市が連なる国の心臓部が形成されている。これに対して中央の山地帯にはカメロン高原、マレー国立公園などの新たなレクリエーション地域が開かれつつあるものの、依然として本土の後進地域である。また東海岸一帯は雨量も多く湿地帯も広く、加えて交通が不便なため、若干の鉱物資源の採掘地を除けば開発が遅れている。しかし、それだけに伝統的マレー文化が、いまなお保たれている地域といえよう。
 ボルネオ島北岸部は、自然的条件などから、さらに後進性は免れない。しかし近年、石油資源や林業の開発によって、部分的に近代化が進んでいる所もある。[別技篤彦・賀陽美智子]

歴史

今日のマレーシア半島部は、7世紀ごろスマトラ島の仏教国シュリービジャヤの支配下に置かれ、13世紀にはジャワ島のヒンドゥー教国マジャパヒトに支配された。現在のマレーシアの母体であるマラッカ王国は、15世紀初頭、スマトラ島の王族パラメシュバラによって建国された。この王国は東西貿易の要衝マラッカ海峡を抑えて富裕な国となり、王都マラッカは多様な民族が集まる当時の一大国際都市として栄えた。またイスラム教とスルタン制を採用し、ここから東南アジア各地にイスラム教が伝えられた。しかし、1511年ポルトガルがマラッカを攻略して、ここをアジア貿易とキリスト教普及の基地とし、ついで1641年オランダがこれにかわった。こうしてマラッカ王国は崩壊したが、王国の後裔(こうえい)は半島内部各地に小王国をつくり、マレー的伝統を保った。
 18世紀末になるとイギリスがインドから進出し、1786年マラッカ海峡北口のペナン島を抑え、続いて1795年マラッカを占領、さらに1819年南端のシンガポール島を手に入れた。ペナン、マラッカ、シンガポールはまとめて海峡植民地とよばれ、1867年直轄植民地となった。その後イギリスはこの3基地を拠点にしだいに半島内部の各小王国も支配するに至り、1909年にはタイ領となっていた北部の4王国も獲得した。しかしイギリスの統治下でもスルタンは廃位されず、また各小国の領域が州の単位となった。
 一方ボルネオ島北岸部は、もとブルネイとフィリピンのスル諸島のスルタンの支配地域であった。1841年イギリス人ジェームズ・ブルークは海賊を討伐した功績によりブルネイのスルタンから広大なサラワクを与えられた。彼は自ら王となって王国を建てたが、1888年イギリスの保護国となった。またサバはイギリス北ボルネオ会社が開発権を得た所であるが、これも同年イギリスの保護領となった。
 第二次世界大戦中この地域は全域が日本軍に占領された。戦後ふたたびイギリスの統治下に戻ったが、マレー人の強い抵抗運動が起こり、1948年イギリスはペナン、マラッカと半島部9州よりなるマラヤ連邦自治政府を発足させた。以後独立運動は急速に高まり、1957年マラヤ連邦はイギリス連邦加盟の独立国となった。
 初代首相のラーマンはさらにシンガポール、サバ、サラワク、ブルネイも加えて新たな連邦を結成しようと試みた。これは、ボルネオの3地域を加えればマレー人が中国系に数的に優越することを主眼としていたが、ブルネイは戦略的、資源的立場からイギリスがその保護国にとどめた。こうして1963年マラヤ連邦、シンガポール、サバ、サラワクからなるマレーシア連邦が誕生した。しかし、1965年、中国系が圧倒的に多いシンガポールは分離独立し、シンガポール共和国となった。[別技篤彦・賀陽美智子]

政治

マレーシアは半島部11州とサバ、サラワク2州および連邦直轄区(クアラ・ルンプール、ラブアン、プトラジャヤ)とからなる連邦国家で、立憲君主制をとる。国家元首の国王はペナン、マラッカを除く半島部9州(かつてのイスラム小王国)のスルタンのなかから互選で決定され、任期は5年である。現在の国王はトレンガヌ州のミザン・ザイナル・アビディンで2006年選出された。13代目になる。
 国会は上下二院からなるが、憲法上、下院に大きな権限が与えられている。上院は定員70で、そのうち26名は各州議会から2人ずつ選出され、残り44名は国王の任命で選ばれる。任期は3年。下院は定員222で、小選挙区制の直接選挙で選ばれる。任期は5年。首相は、下院で多数の信任を得ている議員が国王より任命され、各省大臣は首相の勧告に基づいて上下両院議員中から任命される。独立の父ラーマン、開発の父ラザク、その後のフセイン・オンを経て1981年からはマハティールが首相となった。マハティールは長期にわたって政権を維持したが、2002年6月の統一マレー国民組織(UMNO)の党大会において2003年に首相職等を辞任し、後継を副首相のアブドラ(アブドゥラ)にすると発表、2003年10月退任、新首相にアブドラが就任した。
 政府は総理府のほか21省よりなる。地方行政では、サバ、サラワク両州がマレーシア発足当時の事情もあって半島部の州よりも強い自治権を与えられている。政党は、独立以来マレー人系政党の統一マレー国民組織(UMNO)がもっとも強かったが、1970年代初めからは中国系、インド系の政党もこれに加わって広範な国民戦線(BN、NF)を組織し、連立的与党として政権を担当している。2004年3月の下院選挙で与党の国民戦線は野党連合オルタナティブ戦線や民主行動党(DAP)などに圧勝して下院定数219議席(当時)のうち90%の199議席を獲得した。しかし、2008年3月に行われた下院選挙では獲得議席は63%まで減少した。2008年7月、首相のアブドラは副首相のナジブに首相職を移譲すると発表している。
 建国以来ブミプトラ(土地の子)政策とよばれるマレー人・先住民族優遇政策がとられているため、中国系住民やインド系住民の不満は大きい。2007年11月にはインド系住民約5000人がクアラ・ルンプールで抗議デモを行い警官隊と衝突した。
 外交面ではイギリス連邦の一員として独立以来西側諸国との連携が強いが、非同盟中立主義を掲げ、ほとんどの共産圏諸国とも国交をもった。また東南アジアの中立化構想を最初に提唱した国でもあり、ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)を中心とした地域内協力を積極的に推進している。
 軍隊は総兵力10万9000人で、8万人の陸軍、フリゲート艦、ミサイル艇などを主とする兵力1万4000人の海軍、スカイホーク戦闘機などを有する兵力1万5000人の空軍からなる(2007)。[別技篤彦・賀陽美智子]

経済・産業

第二次世界大戦前からの天然ゴム、錫(すず)、近年重要性を増してきたパーム油(やし油)、木材、石油など豊富な資源に恵まれているが、経済はこれら一次産品の輸出に依存してきたため、世界の好不況の影響を受けやすかった。このため政府は1966年より数次にわたり経済発展五か年計画を実施、外国企業の積極的誘致、生産物の多角化と工業化に努めて高度成長を続けてきた。2007年の国内総生産(GDP)は1856億ドルと、1998年(480億ドル)のおよそ4倍になっている。1人当り国民総生産(GNP)は6685ドルとなっている。
 農業は、商品作物の天然ゴム、パーム(アブラヤシ)栽培と自給用の米作で特徴づけられる。天然ゴムはマレーシアの作付面積の60%で栽培され、128万4000トン(2006)を生産し世界第3位である。しかし近年合成ゴムに押され、栽培面積は減少傾向にある。ゴム園はかつてはエステートとよばれるイギリス人、中国人経営の大農園が多かったが、第二次世界大戦後はマレー人による小規模農園が増大し、その割合はほぼ等しくなった。また、パーム油の原料となるパームは戦後に栽培面積が急増した作物である。栽培方法が天然ゴムと似ていることが普及の要因で、天然ゴムとの混植も多い。現在パーム油生産量は1588万トン(2006)でインドネシアとともに世界第1位を争っている。
 一方、米の生産は伝統的にマレー人の小農経営が中心で、植民地時代は需要の30%ほどを満たすにすぎなかった。しかし独立後、多収穫性品種の採用、灌漑(かんがい)田、二期作田の拡張が行われ、自給率は80%を超える。林業は戦後大きな発展をみせた。サバ州、サラワク州から丸太がおもに日本に向けて輸出され、重要な外貨獲得源となっているほか、半島部では木材加工業が発展しつつある。漁業は半島部東海岸を中心に沿岸漁業が盛んである。
 マレーシアの錫(すず)は1972年をピークに減産中だが、なお世界第8位(2006)である。石油は1970年までサラワク州のミリ油田で少量産出する程度であったが、サバ州、サラワク州の海底油田開発が急速に進み、主要輸出品に成長した。工業は、開発の歴史は比較的新しいが、積極的な外資導入と石油生産の伸びによって順調に発展してきた。ペナンやクアラ・ルンプール近郊のペタリン・ジャヤなどの工業センターには各種工場が進出しており、電気機械、輸送機械などが輸出されている。
 貿易は、1976年の石油輸出急増以来、輸出超過傾向を示している。2007年の輸出額は760億4100万ドル、輸入額は468億5200万ドルとなっている。輸出品は電気・電子関連製品、化学製品、原油、LNG、パーム油、繊維製品などである。輸入品は製造機器、輸送機器、食料品などである。貿易相手国はアメリカ、シンガポール、日本、中国などが上位を占める。
 マレーシア本土では交通はよく発達している。道路延長は9万8721キロメートル(2005)で、81%は舗装されている。鉄道は、シンガポールを起点とするマレーシア国鉄(KTM、旧マレー鉄道)幹線が、西海岸沿いに北西部のパダンブサールまで延び、タイ国鉄(RSR)と連絡している。またゲマスで分かれケランタン州北部に至る東海岸線もある。国際航空路はクアラ・ルンプールとペナンを中心とし、国内航空路も発達している。クアラ・ルンプール国際空港が1998年に開港。主要海港はペナン、クラン、マラッカなどがある。
 一方、ボルネオ島北岸部では、道路もサバ州の沿岸を除けば、まだ発達しておらず、鉄道はサバ州に160キロメートル敷かれているにすぎない。このためとくにサラワク州では河川が内陸の重要交通手段である。空港は9港あり、コタ・キナバル、クチン、セナイが国際空港である。主要海港はコタ・キナバル、サンダカン、ミリ、クチンなどである。[別技篤彦・賀陽美智子]

社会・文化

マレーシアはマレー人、中国系、インド系、その他の先住民族などからなる典型的な複合民族国家であるが、半島部とボルネオ島北岸部では民族構成は大きく異なる。半島部では東海岸の農村部を中心とするマレー人が半数強で、西海岸のとくに都市に多い中国系と、ペナン、クアラ・ルンプール付近に集中するインド系がこれに次ぎ、先住民族の割合は少ない。これに対してボルネオ島のサバ州ではカダザン、バジャウなどの先住民族が多数派で、中国系がこれに続き、マレー人はごくわずかである。サラワク州でもダヤクがもっとも多く、次が中国系で、マレー人は少数派である。しかし全体を通してみると、人口の66%がマレー人、約26%が中国系、約8%がインド系、残りがその他の先住民族、ヨーロッパ人などとなっている(2007)。
 マレーシアの複雑な民族構成は、おもに19世紀後半以後、イギリスの植民地開発に伴って中国人、インド人が移住してきたことで形成されたが、多数の外来民族の流入は、深刻な社会的対立を引き起こした。これらの民族は、都市はいうまでもなく、農村部でさえ、特定の区域に集中して住み、おのおの団結を強化してきた。ことに中国系の場合はさらに出身地別に分かれて連帯してきたが、これには同郷出身者の組織、いわゆる郷(ごうぱん)が重要な役割を果たしている。この郷はまた同業組合的組織の業の基礎となり、たとえば中国系ゴム園経営者はほとんど福建で占められている。こうして都市では同じ中国人居住地区の中がさらに福建人居住区、広東(カントン)人居住区などと分かれている。このような区分された社会的構造はさらに各民族の生活水準、文化的差異と結び付いて、いわゆるエスニック・カースト(民族的カースト)の形成へとつながった。民族間の通婚も少なく、相互の対立を深める主因となった。またこれまではブミプトラ(マレー人とその他先住民族)は政治的権力を握って、官僚、兵士、警察官などの職業に従う者が多かったが、収入はそれほど多くなかった。これに対し中国系は商工業をほとんど独占し、また各種専門職に従って高収入を得てきた。こうした経済的格差がいっそう民族的融和を妨げてきた。1971年からの新経済政策(NEP)では、この民族間の富の配分の是正、貧困の撲滅を目ざし、1990年をいちおうの目標として総合的な社会政策を実施してきた。また1996年の第七次五か年計画では外国人労働者の流入を制限し、労働集約型から技能、資本集約型産業への転換を図り、労働力不足に対処することをうたった。なお歴史的関係から従来大規模な錫(すず)鉱山、ゴム園の経営者はイギリス人であったが、近年はイギリス人の後退と政府系企業の肩代りが目だつ。
 宗教もこうした複雑な民族構成を反映して多様である。憲法ではイスラム教が国教と定められているが、個人的には宗教の自由が保障されているため、マレー人はイスラム教、中国系の大部分は仏教、インド系の大部分はヒンドゥー教というのが基本的構造である。言語面でも憲法上マレー語が国語とされ公用語となっているが、中国系は中国語を、インド系はタミル語を日常語とする。中国系でマレー語を理解する者は全体の24%にすぎず、インド系も35%程度である。また歴史的事情により英語も広く用いられ、理解度はマレーシア全体で30%に及んでいる。
 教育制度は、小学校6年、初級中学校3年、上級中学校2年、大学予科2年、大学3~6年である。義務教育制はないが、初級中学校までは無償で、小学校の就学率は96%と高い。従来小・中学校では各民族語および英語による教育が行われ、大学では講義は英語であった。しかし文化的統一を図るため、第三次教育計画(1976~80)で全教育課程を通じてのマレー語による授業の進推が図られ、大学の講義については、1981年度までに完全にマレー語化された。なお大学はマレー大学、国民大学、理科大学、農業大学など国立10校に私立3校がある。[別技篤彦・賀陽美智子]

日本との関係

マレーシアと日本との関係は第二次世界大戦後著しく緊密となり、ことに経済面では日本はマレーシアにとって主要な相手国である。貿易では日本はマレーシア全輸出の9.1%(2007)で第3位に、輸入では13%(2007)を占めて首位にある。マレーシアの輸出は機械類が第1位で、以下木材、天然ガス、原油、パーム油、魚貝となっている。日本からの輸入は半導体等電子部品、一般機械器具、鉄鋼などが主たるものである。日本の対マレーシア投資は主として工業方面に向けられ、2005年度の直接投資額は581億円となっている。経済協力としては1966年以降相次ぐ五か年計画に円借款を供与しており、それによって実現したプロジェクトのなかには半島部北のテメンゴル・ダムやジョホール造船所などがある。また技術協力としてはマレーシア政府の要請による各種の開発調査、あるいは研修生の受け入れなどが活発になされている。2005年までの日本の援助累計は、無償資金協力122億円、有償資金協力9693億円、技術協力1051億円となっている。1981年から2003年まで長期政権を維持した首相マハティールは、1981年に、「ルック・イースト政策」(「東方政策」)を掲げ、経済発展のため日本(および韓国)を見習おうという姿勢を打ち出し、留学生や研修員を日本に派遣、日本も受け入れに協力している。[別技篤彦・賀陽美智子]
『萩原宜之他著『東南アジアの価値体系4 マレーシア・フィリピン』(1973・現代アジア出版会) ▽河合武著『マレー文化と習慣』(1983・日本マレイシア協会) ▽Z・A・アブドゥル・ワーヒド編、野村亨訳『マレーシアの歴史』(1983・山川出版社) ▽東川繁編『マレーシアの経済・社会発展』(1992・アジア経済研究所) ▽サイド・フシン・アリ編著、小野沢純他訳『マレーシア―多民族社会の構造』(1994・井村文化事業社) ▽綾部恒雄他編『もっと知りたいマレーシア』(1994・弘文堂) ▽世界経済情報サービス編・刊『マレーシア』(1998) ▽岩佐和幸著『マレーシアにおける農業開発とアグリビジネス』(2005・法律文化社) ▽橋本雄一著『マレーシアの経済発展とアジア通過危機』(2005・古今書院) ▽鳥居高編『マハティール政権下のマレーシア』(2006・アジア経済研究所) ▽寺西重郎他編『アジアの経済発展と金融システム』(2008・東洋経済新報社)』

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