精選版 日本国語大辞典 「スルタン」の意味・読み・例文・類語
スルタン
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イスラム教最高権威者であるカリフが授与した政治的有力支配者の称号。コーランでは、宗教的に重要な証示、または権威の意味で使用され、非人格的なものであったが、のち特定の地域を支配する個人の称号となった。875年、アッバース朝カリフ、ムウタミドの弟が最初にこの称号を受けた。世俗的権力の最高権威をもつイスラム専制君主の公式称号としては、トルコ系のガズナ朝に使用例がある。しかし、実質的には、1055年バグダードに入城したセルジューク朝のトゥグリル・ベクが、1058年にアッバース朝カリフ、カーイムから授与されたことに始まる。その後、小アジアのルーム・セルジューク朝、エジプトのマムルーク朝、そしてオスマン朝と、この称号が襲用された。ただ、イランでは地方知事の称号として使用され、現代では、北アフリカからインドネシアに至るイスラム諸国において、土豪や小君主が政治的支配者として、スルタンの称号を用いている。
[設楽國廣]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
アラビア語で「支配者の地位」を意味した。その使用例は10世紀以前にまでさかのぼる。だが,特定地域の独立君主の称号に使用されるのは11世紀頃からで,カリフ神権政治の衰退期において至高の教権の保持者たるカリフの地位に対し,世俗的支配権の保持者をさした。カリフ神権政治の崩壊後は,イスラーム諸国の大小の主権者の通称となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
1924 -
サウジアラビアの王子。
副首相。
初代国王イブンサウードの第12子。ファハド国王の実弟。スディリー財閥の7人の一人。1958年交通相、’62年国防・航空相、’82年第2副首相となる。親米・親西欧路線の王族内の実力者。正規軍を掌握している。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…その甥のトゥグリル・ベク,チャグリー・ベクChaghrī Bek(987‐1060)らは,1038年ニーシャープールに無血入城し,40年にはダンダーナカーンDandānqānの戦でガズナ朝軍を破り,ホラーサーンの支配権を手中に入れた。55年にトゥグリル・ベクはバグダードに入り,アッバース朝カリフより史上初めてスルタンの称号を公式に受け,東方イスラム世界における支配者として公認された。セルジューク朝の進出がモンゴルの侵入とは異なり,大きな混乱・破壊を伴わなかったのは,すでにイスラムに改宗し,〈信仰の擁護者〉として出現したためである。…
…10世紀半ば,イスラム世界に軍事政権が成立してカリフ権が弱体化すると,ワジールもカリフの単なる書記に転落した。ただセルジューク朝時代にはスルタンを補佐する宰相職の意味に復した。ファーティマ朝では,アッバース朝にならって官僚出身者がワジールとなったが,そのような文官支配による国家体制も前半期までで,後半になると軍人が宰相職も兼ね,他のイスラム世界の軍事政権と変りないものとなった。…
※「スルタン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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