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タシケント タシケント Tashkent

翻訳|Tashkent

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タシケント
タシケント
Tashkent

ウズベキスタンの首都。またタシケント州の州都で,中央アジアの中心地。チャトカリスキー山脈の西,シルダリア支流チルチク川の右岸,標高 450~480mの地にある。市の起源は前2~1世紀にさかのぼると考えられ,古来ジャジ,チャチケント,シャシケント,ビンケントなどの名で知られてきた。

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デジタル大辞泉の解説

タシケント(Tashkent)

ウズベキスタン共和国の首都。中央アジア最大の工業都市。古来、交通の要衝。人口、行政区214万(2001)。タシュケント

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百科事典マイペディアの解説

タシケント

ウズベキスタンの首都。タシュケントとも。シル・ダリヤ中流の支流チルチク川河谷にあり,各種機械,電線,織物,食品などの工業が行われる。1966年震災を受けたが,急速に復興。
→関連項目ウズベキスタン

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世界大百科事典 第2版の解説

タシケント【Tashkent】

中央アジアのオアシス都市で,ウズベキスタン共和国の首都。人口211万(1994)。タシュケントともよばれる。シル・ダリヤ中流右岸の支流チルチクChirchik河畔にある。シル・ダリヤ右岸一帯は古くから東西交易路上にあり,かつ北方の遊牧地帯と南方農耕地帯との境界でもあり,政治的・経済的な要地であった。タシケントもこの立地条件に由来して,交易による繁栄と複雑な政治的支配の変動を経験した。このオアシスの存在の確実な記録は6世紀に編纂された中国の正史《魏書》に〈者舌国〉と見えるのが最初で,これは当時のアーリヤ系住民の現地名チャーチChāchの音訳である。

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大辞林 第三版の解説

タシケント【Tashkent】

ウズベキスタン共和国の首都。天山山脈の西端に位置する中央アジア最大の工業都市。綿花地帯を控え、綿織物・農業機械などの生産が盛ん。古くから東西交通の要衝。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タシケント
たしけんと
Ташкент Tashkent

中央アジア、ウズベキスタン共和国の首都、同共和国タシケント州の州都。天山山脈の北西麓(ろく)のオアシスにあり、標高430メートル、シルダリヤ支流チルチク川に沿う。人口214万2700(1999)。[山下脩二]

地誌

旧ソ連時代はモスクワ、レニングラード(サンクト・ペテルブルグ)、キエフに次ぐ第四の大都市で、独立後も中央アジアにおける経済、文化の中心地である。歴史的にも交通の要地であったが、いまもモスクワ、トビリシ(ジョージア)、ニュー・デリー(インド)など内外への空路があり、天山山中への自動車道の起点ともなっている。鉄道はアシガバート、オレンブルグ両鉄道のほか、2支線が通っている。ソビエト時代になってから工業が著しく発達し、現在では中央アジア最大の工業都市となっている。おもな工業は、重工業では大型農機具、織機、コンプレッサー、ケーブル、起重機などの機械製造業である。また軽工業では最大級の綿織物コンビナートがあるほか、家具、紙、陶器、薬品化学、食品(酒類、缶詰、菓子類、食肉)、履物製造、電気機器製造などがある。動力源はタシケント火力発電所のほか、周辺のチルチク・ボズスーやファルハドの水力発電所である。ジャルカクやガズリの天然ガスがパイプラインによりタシケントに送られている。かつてはロシア植民地時代の貧しい旧市街(西部)とロシア人の住むヨーロッパ風の新市街(東部)に分けられていたが、1966年4月26日の大地震で日干しれんが造の家の並ぶ旧市街は壊滅した。しかしその後の復興は目覚ましく、また新しい都市計画による再開発も功を奏し、新旧市街の区別は解消している。学問、芸術の中心地で、図書館、民族歴史博物館、オペラ・人形芝居・バレエなどの劇場、コンサートホール、映画館、サーカス、11の公園など多数の文化施設がある。またこの地の新聞は、ロシア語、ウズベク語、タジク語の3種が発行されている。1958年にアジア・アフリカ作家会議、1966年にはインド・パキスタン停戦交渉が開かれた。
 タシケント州は面積1万5600平方キロメートル、住民はウズベク人とロシア人が多数を占めるが、カザフ人、ウクライナ人、タジク人など、多くの民族が住んでいる。[山下脩二]

歴史

中国の『魏書(ぎしょ)』に「者舌(しゃぜつ)国」とあるのが最古の記録で、隋(ずい)・唐(とう)時代(6~10世紀)に中央アジアに君臨した西突厥(にしとっけつ)の領内にあった「赭時(しゃじ)国」「拓支(たくし)国」「石(せき)国」などの名は「者舌」とともにチャーチ(転じてシャーシ)の音訳であり、このオアシスを中心とする都市国家の呼称である。13世紀ごろから、この都市はタシケント(トルコ語で「石の都市」の意)とよばれるようになった。唐代の石国というのもタシケントの訳語にあたる。タシケントは古代はイラン系民族の住地で、7世紀からトルコ人(西突厥)の勢力下に入り、この地を訪れた玄奘(げんじょう)の『大唐西域記』にも記録されている。10世紀にはサーマーン朝、カラ・ハン朝の領域に入って、しだいにトルコ・イスラム化し、13、14世紀にはチャガタイ・ハン国領、15世紀にはティームール帝国領となり、以後、タシケントの都市名が定着し、明(みん)朝では「達失干」と書かれた。16世紀以降、オイラート人、ウズベク人、カザフ人の争奪地となり、18世紀後半にはカザフ人を撃退したコーカンド・ハン国領となった。このころ、タシケントは商業の要地となり、ロシア人、カザフ人、コーカンド人が物資を集散した。19世紀後半、帝政ロシアに征服され、シルダリヤ中流域の行政・経済の中心となった。[佐口 透]

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