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タルスス Tarsus

翻訳|Tarsus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タルスス
Tarsus

トルコ中央南部の都市。アダナの西 30km,キリキア沖積平野に位置する。前5世紀から7世紀のアラブの侵略まで繁栄したが,これは土地が肥沃であり,「キリキアの門」というトロス山脈越えの唯一の通路の南口であったこと,レーグマという良港があったことによる。アッシリア王センナケリブ (前 704~681) による市の再建が最古の歴史記録であるが,アケメネス朝セレウコス朝などの支配を経て,前 67年に新設のローマ属州キリキアに吸収された。聖パウロの生誕地,アントニウスクレオパトラの初めての出会いの場所としても有名。ローマ時代とビザンチン初期を通じて農業麻織物で主要都市の一つとされたが,現在でも農業と綿業の中心都市として繁栄。人口 18万 7508 (1990) 。

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デジタル大辞泉の解説

タルスス(Tarsus)

トルコ南部の都市。地中海から15キロメートル内陸に位置する。古くからトロス山脈を横断する通商路の要衝として知られ、古代ローマの属州キリキアの首都となった。キリスト教の使徒パウロの生地であり、パウロゆかりとされる井戸があるほか、古代ローマの軍人・政治家、マルクス=アントニウスエジプトの女王クレオパトラ同地に招いた際に通った門が残っている。

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世界大百科事典 第2版の解説

タルスス【Tarsus】

トルコ南部,アダナの南西約40kmにある都市。人口22万5000(1994)。ギリシア名タルソスTarsos。古代から豊かな地として知られるキリキア地方の入口にあたるため諸民族争奪の的となり,アッシリア,アレクサンドロス大王,ローマ帝国,ペルシア帝国,アラブなどに支配され,十字軍にも攻略された。16世紀初頭にオスマン帝国の支配下に入り,現在にいたっている。使徒パウロの生誕の地として有名。アダナとともに農産物(綿花,小麦,ゴマなど)と鉱物資源(銅,クローム,石炭など)の取引の中心地で商業活動が活発である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

タルスス
たるすす
Tarsus

トルコの小アジア半島中南部、イチェル県にある都市。この地方の中心都市アダナの西方35キロメートルに位置し、地中海から15キロメートルの内陸にある。人口21万6382(2000)。小麦、綿などの農産物を集散し、紡績業、製粉業が発達する。トロス山脈を横断する道路(古代のキリキア門)の基点にあたる交通の要衝でもある。北の町はずれにはアレクサンドロス大王も水浴したという著名な滝があり、その付近には1902年にトルコで最初に建設された水力発電所の建物も現存する。[末尾至行]

歴史

古代にまず先住民によって建設され、シリアとエーゲ海東岸、地中海東部と黒海南岸を結ぶ交通上の要地を占め、紀元前11~前7世紀にギリシア人の移民を受け入れた。前6世紀の後半以降、ペルシアの支配下に入り、ヘレニズム時代にはシリア王国に属し、前66年にポンペイウスに征服され、紀元後72年ごろからローマの属州キリキアの首府になり、亜麻(あま)布製造で繁栄した。前41年にマルクス・アントニウスとクレオパトラが初めて相会した町として知られ、クレオパトラ門という名の城門が残っている。またキリスト教の使徒パウロ生誕の町としても知られる。ギリシア人はタルソス、ローマ人はタルススとよんだ。[清永昭次]

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