タンジール(読み)たんじーる(英語表記)Tangier

デジタル大辞泉 「タンジール」の意味・読み・例文・類語

タンジール(Tangier)

モロッコの北端、ジブラルタル海峡に臨む港湾都市地中海入り口という戦略上の要地で、列強が進出、1925年に永世中立の国際管理都市となる。1956年、モロッコ独立に伴い返還された。タンジャタンジェ

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精選版 日本国語大辞典 「タンジール」の意味・読み・例文・類語

タンジール

  1. ( Tangier ) アフリカ大陸の北西端、ジブラルタル海峡に臨むモロッコ北部の港湾都市。天然の良港で、古来、戦略上の要地であるために、列強の争奪の的となった。一九一二年から五六年にかけて永世中立の国際都市の地位を確立

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「タンジール」の意味・わかりやすい解説

タンジール
たんじーる
Tangier
Tanger フランス語

北アフリカ、モロッコ最北部のジブラルタル海峡に面した港湾都市。地中海の入口という戦略的位置から、強国の争奪の的となった歴史をもつ。人口52万6215(1994)、市域の人口99万8972(2014推計)。大西洋から10キロメートル海峡に入った所に位置し、半円形の湾入をもつ天然の良港で、市街地は背後の丘の斜面から海岸まで分布する。湾の西端にある港の船上から見上げる白い街の景観は美しい。市街はメディナとよばれるアラブ風旧市街とヨーロッパ風新市街とがある。メディナには、旧王族邸で博物館になっているダール・ル・マフゼンや大モスクがあり、伝統工芸品をつくる工房も分布する。工業としては食品、繊維、セメント、電器、造船などがある。カサブランカフェズウジダなどと鉄道で結ばれ、スペインアルヘシラスへは定期連絡船が通っており、外国人観光客やヨーロッパへの出稼ぎ移民の出入りが多い。夏涼しく、冬温和なので、避暑客、避寒客が訪れる。

[藤井宏志]

歴史

フェニキア人の建設に始まり、ローマの支配を経て、7世紀にアラブ人の支配下に入った。15世紀以後ヨーロッパ勢力の南進につれ、ポルトガル、スペイン、イギリスに支配されたのち、1684年モロッコ(アラウィ朝)の領土となった。19世紀にふたたびヨーロッパ列強の植民地化の波が押し寄せ、タンジールは鎖国体制にあったモロッコの外交都市となった。1905年第一次モロッコ紛争の発端となったタンジール事件が発生、12年モロッコはフランス、スペインの保護領として分割され、タンジールは特別にフランス、スペイン、イギリス3国の国際委員会の管理下に置かれた。23年にはイタリア、ポルトガルなど5か国を加えた委員会による国際管理地区となり、25年永世中立の国際都市を宣言し、タンジールは自由貿易港として発展した。40年に一時スペインが占領したが、45年アメリカが加わった国際管理委員会が復活した。1956年3月モロッコの独立に伴い、同年10月モロッコに返還された。

[藤井宏志]

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改訂新版 世界大百科事典 「タンジール」の意味・わかりやすい解説

タンジール
Tangier

ジブラルタル海峡に面するモロッコ北部の港市。人口78万2000(2003)。アラビア語ではタンジャṬanja。モロッコの玄関口としてにぎわい,スペイン人やフランス人の居住者も多い。フェニキア人の交易都市が起源で,カルタゴやローマ時代には商業が栄え,7世紀末以降はイスラム教徒の軍事上の拠点として重要であった。15世紀後半からは,ポルトガル,スペイン,イギリスなどに支配されたが,1684年再びモロッコ領となる。しかし,19世紀後半からは西欧列強の進出に遭い,1905年第1次モロッコ事件が勃発,25年に永世中立の国際都市となったが,56年モロッコの独立によりモロッコ領となる。14世紀の旅行家イブン・バットゥータの生まれた旧市街は丘の上に立つ。現在は,建設,観光,漁業以外に目だった産業はない。
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百科事典マイペディア 「タンジール」の意味・わかりやすい解説

タンジール

モロッコ北部,ジブラルタル海峡に臨む港湾都市。アラビア語ではタンジャ。漁業の中心地で,缶詰工業が行われる。古代から交通,戦略上の要地として知られ,7世紀末以降はイスラム教徒の軍事拠点。19世紀以降ヨーロッパ各国の植民地獲得争いの中で独自の地位を占め,第1次モロッコ事件(タンジール事件)を機に1906年アルヘシラス会議の結果,国際都市として規定された。1923年英仏の条約(1924年スペインも調印)によって中立地帯となり,1945年英,仏,米,ソ4国会議により,国際管理下に置かれた。1956年モロッコ独立に伴い,同国領。67万人(2004)。
→関連項目モロッコ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「タンジール」の意味・わかりやすい解説

タンジール
Tangier

モロッコ北部,タンジール州の州都。ジブラルタル海峡にのぞむ港湾都市。地中海をめぐる商業,軍事の要衝で,前 15世紀にはフェニキアの交易拠点として繁栄。その後,地中海の歴史を反映して,カルタゴ,ローマ,バンダル,ビザンチンなどと,次々に支配者が変った。8世紀にはイスラム朝の支配下に入り,1471年まで多くのアラブ系王朝が盛衰。その後 1661年までポルトガル,スペインに占領され,次いでイギリスの植民地となった。 19世紀にはモロッコの外交上の首都とされたが,1905年にはタンジール事件が起るなどして,23年にはイギリス,フランス,スペインなどの共同管理下におかれ,自由貿易港として繁栄。 56年独立したモロッコに編入。漁業が盛んで,缶詰工場がある。モスクなどがある旧市街と,新市街がある。鉄道,道路,海運でラバト,ウジュダ,フェスなどと結ばれる。人口 26万 6346 (1982) 。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「タンジール」の解説

タンジール
Tangier[英],Tanger[フランス]

アフリカ西北端,ジブラルタル海峡に面するモロッコの港市。19世紀後半より列強がここに進出し,1905年モロッコ事件が発生,25年永世中立の国際都市となる。56年モロッコの独立に際し返還。

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