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ダキーキー ダキーキーDaqīqī, Abū Manṣūr Muḥammad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダキーキー
Daqīqī, Abū Manṣūr Muḥammad

[生]? バルフ?
[没]980頃
ペルシアの詩人。サーマーン朝の王に仕え,若くして奴隷に刺殺された。大民族詩人フィルダウシーの先駆者として知られ,『王書』 Shāh-nāmeの作詩に着手したが未完に終った。彼がつくった約 1000句の詩はのちにフィルダウシーの『シャー・ナーメ』に収められた。頌詩,抒情詩も断片的に現存。

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百科事典マイペディアの解説

ダキーキー

イランの詩人。サーマーン朝ヌーフ2世の知遇を受け,神話・伝説を集め,彼の作った1000句は《シャー・ナーメ》に収められその基礎となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ダキーキー【Daqīqī】

?‐978ころ
近世ペルシア文学の初期において,ルーダキーに次ぐ詩人。930‐940年ころ,イラン北東部のトゥースに生まれる。長じてサーマーン朝の宮廷詩人となったが,民族叙事詩《シャー・ナーメ》の先駆けともいうべき千句を作詩して文学史上に名をとどめる。若年にしてトルコ奴隷の手にかかって殺害されたが,この千句は,その経緯を記して《シャー・ナーメ》の中に収められてある。【岡田 恵美子】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ダキーキー
だきーきー
Ab Manr Muammad Daqq
(940ころ―980ころ)

ペルシアの詩人。トゥースまたはバルフの生まれ。サーマーン朝に宮廷詩人として仕えた。自然描写に優れ、多くの頌詩(しょうし)、叙情詩を詠んだが、最大の業績は王の命によりイランの神話、伝承に基づく民族叙事詩を作詩したことである。しかし約1000句作詩の段階で奴隷に殺害され、未完に終わった。彼の作品はのちにフィルドウスィーの『シャー・ナーメ』に収められた。[黒柳恒男]
『フィルドゥスィー著、黒柳恒男訳『王書(シヤー・ナーメ)』(平凡社・東洋文庫)』

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世界大百科事典内のダキーキーの言及

【ペルシア文学】より

…この時代の大きな特色は宮廷詩人による頌詩と民族叙事詩の勃興で,ともに時代精神の反映であった。10世紀後半に先駆的詩人ダキーキーの後を継いで,イラン建国からササン朝滅亡に至る神話,伝説,歴史をテーマに作詩に着手し,30余年をかけて約6万句に及ぶ大民族叙事詩《シャー・ナーメ(王書)》を完成させたのがイラン最大の民族詩人フィルドゥーシーである。 11世紀初頭から13世紀にかけてトルコ系ガズナ朝,セルジューク朝の支配が続いたとはいえ,これらの王朝も文化的には完全にイラン化してサーマーン朝以来の伝統的文化政策を踏襲したため,異民族王朝支配下においてもペルシア詩は隆盛の一途をたどり,11世紀前半ガズナ朝スルタン,マフムードの宮廷には400人ものペルシア宮廷詩人が仕えていたといわれ,桂冠詩人の制度が設けられ,ウンスリー‘Unṣurī,ファッルヒーFarrukhī,マヌーチフリーManūchihrīらの頌詩詩人が活躍し,ペルシア古典詩の主流になった〈ホラーサーン・スタイル〉を確立し,アラビア語彙を多く採り入れて表現をさらに豊かにした。…

※「ダキーキー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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