ダヤン・ハン(読み)ダヤン・ハン(その他表記)Dayan Khan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ダヤン・ハン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン・ハン(達延汗)
ダヤン・ハン
Dayan Khan

[生]1464
[没]1524?
モンゴル北元ハン (在位 1487頃~1524?) 。ダヤンとは漢語の「大元」の音訳で,大元ハンになろうと目指したもの。マンドゴリ・ハン (満都魯汗) の寡婦マンドガイ・セチェン・ハトン (満都海徹辰福晋) と結婚し,以後モンゴル各地に征討を行い,内モンゴルの大部分を統一チンギス・ハン系のハンの権威を回復したといわれる。その子供たちを各地に分封し,明末にはモンゴルの諸集団の大半がその後裔の支配するところとなった。ただし,この詳細な事跡については史料上に多くの混乱があり,謎に包まれた部分が多い。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ダヤン・ハン」の意味・わかりやすい解説

ダヤン・ハン
だやんはん / 達延汗
Dayan Qaγan
(1464―1524)

モンゴルの君主。チンギス・ハン家の再興者。本名はバト・モンケ。幼くして父母と離れて苦労したが、1479年チャハル部族長マンドールン・ハンの未亡人と結婚、87年父ボルフ晋王(ジノン)が殺されるとともに北元の帝位に登ってダヤン・ハン(大元皇帝)と称した。外モンゴル東部から内モンゴルにかけての諸部族を再統一し、これを左右両翼の6万戸に編成、11人の息子たちに分封して、エセン以来、分裂と混乱の続いたモンゴルを再建した。これ以後、内外モンゴルに広がったチンギス・ハンの子孫は、すべてダヤン・ハンの血を引いている。

岡田英弘

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旺文社世界史事典 三訂版 「ダヤン・ハン」の解説

ダヤン=ハン
Dayan Khan

1464ごろ〜1517ごろ
明代モンゴルのタタール韃靼)部の再興者
生没・在位の年代に関しては諸説ある。ダヤンとは「大元」の音訳で,元朝復興の意図を示す。エセン(=ハン)の横死後,諸勢力による分裂状態が続いていたタタール(韃靼)部では,1470年ごろからイスラーム教徒が内モンゴルの統一に成功し,さらにオイラート部を西北に追いやり,モンゴルの大部分を一時その支配下に置いた。ハンとしての彼はチャハル部を直轄領とし,残りを東西に2分して息子に統治させた。なお,彼の死後,その統一モンゴル国もしだいに崩壊していった。

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